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本にまつわる話

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本を読んで、思いついたことを綴ります。
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『現代の超克』の文章がココロを打ち抜いたので、私の「引き出し」に入れる。

小難しい本で読むのには時間がかかります。難しいから分からないことも多いです。でも、流れをひしひしと感じて読み始めているため、篤き魂すら感じるほど学ぶことが多いです。6年前だったら絶対に読まないですし、すぐに投げ出していた本ですね。全部理会することはできませんが、でも、今読むべき本だと感じるし、今まで読んできたと次の本に読むべき本をしっかり繋げてくれている気がします。これまた、世界観というか人生観に深みを増してくれる一冊になりそうです。 なお、読んでいる最中ですので、感想などは

『生なる死』を読みつつ

梅雨が起きる原因を今まで知らなかった。 それを全く関係なさそうな本から教えられる。 濱田陽さん著『生なる死』の第四章「生きとし生ける米」74ページに書かれていた。 6月になり、偏西風がヒマラヤ山脈にぶつかって、二手に分かれ、一方の風は温められ、もう一方の風は冷やされ、流れていき、再度出会う。それが偶然にも日本であり、梅雨をもたらしている。そして、米栽培には欠かせない恵みの雨となるのだ。 今回この本を読んでいるのは、1月15日(土)に行なわれる【読書てらこや】と呼ばれる読書会

呼吸を、感じる。

焙煎し立ての、新鮮な珈琲豆。 色、艶、香り うん、よし。 ミルで挽く。 お湯を少し注いで、まず蒸らす。 まるで生き物のように、どんどん膨む。 まるでカップケーキのようだ。 豆の奥底で生命が誕生するかのように、 呼吸をして、ポコッと穴が開く。 珈琲豆も生きているんだ。 お湯を一点に集中させ、しばらく注いだら、 右回りの渦を巻きながら注ぐ。 左回りではなんだかぎこちない。 右回りは陰。女性性。 味に柔らかささえ感じる。 機械に頼って、淹れるのはたやすい。 でも、時間がかかってもい

『ハイツひなげし』の小田島さんを少し意識して、相談に応えてみた

相談者A「新しいことをやりたいんですが、うまくいくのか自信がありません。どうしたらいいですか。」 私「そんなに、みなさん自信があって、いつも行動しているのでしょうか。新しいことをやるのは、誰でも不安だし、たくさん悩んでいると思いますよ。自信がなくなって、まずはやってみたらいいじゃないですか。後先ばかり考えていたら、チャンスを逃してしまうかもしれませんよ。あなたがやりたいことなんですから、やってみましょうよ。失敗したら、やり直せばいいと思います。どんなことが起きても、すべてあな

「いのち」と「本」に向き合う読書会

読書会にかける、わたしの想い センジュ出版オンライン読書会に初参加する11月19日(金)。 昼前に、Facebookのグループを眺めていたら、「センジュ出版読書会主催者グループ」なるものが目に飛び込んできた。 なんだ、これは? そもそもこの読書会があることは知っていたが、夜開催だから参加できないとずっと諦めていた。しかし、11月8日(月)から妻の実家で生活を始めることになり、インターネットが使えるようになった。それを契機として捉え、新しいことに挑戦し始めていた矢先の話である

1月センジュ出版オンライン読書会     ~「いのち」と本に向き合う~(仮)

2021年11月22日(月)の朝6時、仕事に行くための準備を始めていた。 そうしたら、ふと問いと答えが舞い降りてきた。 「私にとってのテーマ」とは、いったい何だろう? もし、読書会の主催者になるとしたら…。 私にとってのテーマは、やはり「いのち」でした。 『「いのち」と向き合う読書会』をやってみたい。 何だか一日中ずっと対話することができそうな気がする。 たくさんの方の話に、耳を傾けてみたい。 私にとって、いのちにかかわる出来事とは…。 妻の流産、娘の誕生、私の交通事故、祖

私にとっての…

11月13日(土)9時から第15回読書てらこやが行われた。今回のテーマは「対話する」で、選定本は『ダイアローグ』と『最後に残るのは本』である。本の感想はブログに後日書こうと思うが、ここには「読書てらこや」を通して感じた〝内側〟にあるものを表現してみたい。 私自身は「対話」が怖かった。小さい頃から話すことが苦手だ。話すことにとどまらず、自分を表現することも不得手だ。今も特段変わったとは思えない。職場にいても自ら喋ることは必要最小限であり、仕事上必要なときには口を開くが、雑談は

内なるものを引き出す

デヴィッド・ボーム著『ダイアローグ』を読み始めているところだが、なかなかページが進まない。何度も戻って、読み直してしまう。「思考」の連続なのだろう。ただ、心のどこかで読書会を意識して、何を話そうか考えながら読んでいる節があるので、純粋に本を読んでいると果たして呼べるかは分からない。けれども、これも私にとっては本を読むというスタイルともいえる。そもそも私が本を読むのは、自分はもとより、人のためであるから。自分を見直し、自分を磨き、少し読む前と異なった感性の持ち主である、新しい自

藻掻く

ここには、ブログ2本(本を読んでの感想もどきもの、日々の命の証として喜びを表すもの)とは異なったことを書き綴ってみようと考える。うまくいくかは分からないが、否、うまくいくと思うこと自体思い上がっていることだから、自分自身との対話をもとに、あるがままに、そして自由気儘に藻掻いてみたい。 先日の読書会では、永井玲衣著『水中の哲学者たち』をもとにして対話を行った。久しぶりの読書会ということもあり、まさにうまく言葉にできずに、藻掻いた。私自身は高校教員でありながら、対話が苦手である