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欅坂46は永遠のアイドルになるか

先日の配信ライブにて、改名と再出発を発表した欅坂46。平手友梨奈の脱退から色々と思うことがあったが、わたしもこれを機にその「色々」な気持ちを整理し、これからどうしていくかを考えようという結論に至った。このnoteはあくまでわたしという1人のファンの、欅坂というアイドルに関係する記憶と考えの整理であり、他者に共感を求めるものではないとだけ最初に記しておく。

欅坂46の魅力

容姿の整った子を集めて、大人数のグループを作る。これが秋元康の作る現代の女性アイドルグループのテンプレートである。AKBやら何とか坂やら、興味のない人からしたら一体何がどう違うのかも分からないような沢山のグループの中で、欅坂46に惹きつけられたのはひとえにその「リアルさ」ゆえだった(他のグループも好きだが、あまり熱狂的なタイプではないのであまり語らないでおく)

2017年の秋頃、どうにもならない苦しい状況の中で、欅坂46の「不協和音」に出会った。髪を振り乱し、腕がもげそうなくらい全力で表現する彼女たちを見て、深夜の眠れないリビングで自然と涙が溢れたのを覚えている。自分の気持ちを代弁してくれているかのようなパフォーマンスを何度も何度も見返し、演技だけでは成しえないであろう苦しみに共感を求めた。

可愛くて元気をもらえる理想の存在、それが多くのアイドルの形だ。しかし、私が求めていたのは明るい方向へと引っ張り上げてくれる存在ではなく、等身大の気持ちにただ寄り添い、共感してくれる存在だった。そして、後者のようなアイドルはとても少ない。欅坂46は芸能人という遠い存在であると同時に、自分の心の一番近くにいてくれる唯一の存在だった。それをわたしは「リアルさ」と表現する。

そんなわけで欅坂46に救われてしまったわたしは、その後複雑な思いを抱えながらもずるずると彼女たちを応援するのであった。

アイドルは人間であるという事実

熱いパフォーマンスに魅せられたわたしは、その後Youtubeなどで過去の動画を探す旅に出た。そこで新たな事実に気づいたのである。それは

欅坂46は人間である、ということ

パフォーマンスを見て勝手にアイドルを神のような存在として崇めていたわたしは、バラエティー番組で笑い、喋り、いじられ、泣きそうになる姿を見て、この子たちも普通の女の子なんだなあということに気づいたのだった。

アイドルは人間である。人間は時に間違え、失敗する。怪我もするし、心が弱ってしまうこともある。たとえ仕事だったとしても、お金をもらっているとしても、頑張れないことやあやまちを犯してしまうことがあるのだ。欅坂46は普通の女の子なのだということに気づいたはずなのに、わたしはその事実をマイナス方面の可能性に対しては適用させることができなかったのである。

ここからが、欅坂46に対しての複雑な気持ちを書いた部分になる。

不穏な空気

芸能人とゴシップは切っても切り離せない関係にある。女性アイドルグループでは、誰が誰と不仲だとか、いじめをしているだとか、交際相手がいるだとかは定番中の定番。真実が分からない以上あれこれと勘繰るのは無意味であり、わたし自身はそのような噂には目を瞑ってきた。ゴシップを気にしなければ、幸せにファンとして活動できる。しかし現実はそう甘くはなかった。

欅坂46を応援し始めて、どれくらい経った頃だろうか。なんだか、明らかにメンバーの様子がおかしくなっていった。メンバーというぼかし方をやめてはっきりと言えば、平手友梨奈(以下平手ちゃんと表記することがある)の限界が近づいていたのである。平手ちゃんはデビューしてからずっと欅坂46のセンターに立ち、表現の核を担っていた。欅坂46のパフォーマンスに救われたわたしは勿論平手ちゃんのファンで、出来る範囲で彼女のことを応援していた。そんな平手ちゃんの元気がないことはファンなら何となく察しがついていて、怒る人もいれば心配する人もいた。

世間の期待が彼女を苦しめているのだろうなあと思いつつも、やっぱり期待することをやめられない自分もいた。アイドルは人間だということに気づいていたはずなのに、「アイドルだから」という理由で理想を押し付け続けた。いつか不協和音のように心震わせるパフォーマンスを見られるようになる日を信じて、不調の彼女を応援し続けた。「休養」「引退」のどちらかになるのだろうなと諦めの気持ちになったのは、平手ちゃんが運営の方針では潰れてしまうという危機感がこれまで抱いていた期待以上に大きくなった時である。

好きだったのは平手友梨奈か欅坂46か

それから色々あって、平手ちゃんは欅坂46を脱退した。ここで言っておきたいのは、その脱退はわたしが覚悟していたよりもかなり遅かったということだ。踏ん張って踏ん張って、調子を崩したり復活したりを繰り返しながら成長し続けていった。平手ちゃんが脱退して、わたしは究極の二択に迫られた。

このまま平手友梨奈不在の欅坂46を応援し続けるか否か

この時までわたしは、何の疑いもなく自分は「欅坂46のファン」であると思っていた。しかし、包み隠さず言うのなら、多分わたしが好きだったのは ”平手友梨奈がセンターの” ”一期生の” 欅坂46なのだ。もっと言えば、2017年の秋にこのグループに出会った時からわたしの時間は完全に止まっていた。

卒業してメンバーが変わって、それでもグループとしての色は保たれ続けて。他にもそういうグループは沢山ある。しかし欅坂46の場合、欅坂46としての色に平手友梨奈という要素が関わりすぎた。だって圧倒的センターなのだ。一人の人間をここまでグループの顔として前に置き続けるというのは、メンバーの入れ替わりを前提としたグループ活動の長期的な方針として今となっては悪手だったのかもしれない。

そんなこんなで、平手友梨奈の脱退とともにわたしは ”今の” 欅坂46のファンをやめた。

その後の欅騒動

平手ちゃんが引退した後も何となく欅坂46の動向は追っていた。しばらくは大きな発表もなく、自粛期間に入っていった。

逆に、引退したメンバー(の一部)が活発に活動し始めたのはこの頃だったように思える。Twitterやインスタグラム、Youtubeなどで発信を始め、ファンクラブなども設立されていった。自由になった彼女たちは、良い意味でも悪い意味でも素を見せてくれるようになって、なんだか変わってしまったなあと寂しく思うことが増えた。世間的にはあまり良くない話題として上がることも増えた。

別に私は元欅坂46の看板を背負った彼女たちの行動が今の欅坂46に対して良くないイメージを与えたとかそういうことを言いたいのではない。ただ個人的に、終わり方は大切だなと思ったのである。良い思い出は良い思い出のまま、好きだった人は好きな人のまま終わりにしたかった。

そう考えると、欅坂46がこの先も続いていくことは本当に幸せなことなのだろうか、という不安が湧き上がってきた。このまま人気が下降して、頑張っているメンバーが「平手がいないとダメだ」と言われるのは見たくなかった。

欅坂46

そして冒頭に戻る。2020年7月16日、配信ライブにて重大発表が行われた。

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わたしは終わりをポジティブに捉えるタイプの人間だ。これからの可能性が閉じられるということは、永遠の創出に他ならない。欅坂46を終わらせることで、今までの欅坂46は思い出の中で守られ続ける。

そして、今いるメンバーは "欅坂46の色" に囚われることなく進んでいける。このまま同じグループで続けても、今までと同じ欅でいることはきっと不可能だ。なぜなら平手友梨奈がいないから。それはどう頑張っても変えがたい現実で、メンバーにまとわりつく苦しみの一部になりうる。少なくともわたしはそう心配していた。

だから、改名と再出発はとても前向きで、勇気ある決断だったと思う。でも正直、新しいグループを応援できるかは分からない。わたしはこれからも欅坂46の亡霊として、そして平手友梨奈のファンとして生きていくのだろう。欅坂46を応援したいわたしが、もともと欅坂46だったからという理由で新しいグループを応援するのはきっと違う。わたしは欅坂46との違いを見つけては失望するだろうし、メンバーのためにもならないだろう。だから、現時点では新しい形の彼女たちを応援できるかは分からない。全ては再スタートをきってからだ。

わたしにはメンバーの苦しみも、これまでにあった問題も、他のファンの気持ちもわからない。ただ、自分の中の欅坂46が永遠になったことに安堵し、頑張ってきた人たちがどんな道であっても笑顔でいられることを願うのみである。

2020.7.17












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