実家の猫
8月のある日。東京に戻って荷ほどきをしていると、猫の毛がどの荷物にもくっついている。昨年末に実家にやって来た飼い猫の毛だと気づく。
先月の帰省で、どうしたものか自分の旅行カバンがお気に入りの場所になり、開いた状態のカバンの中に鎮座し、荷物の匂いを嗅いだりかじったり、爪でガリガリ爪研ぎしたり、くつ下を丸めて作ったボールをコロンコロンと転がして遊んだり、脱いだ裏返しの片方のくつ下を嗅いだり、でこぼこした旅行バックの中で気持ちよさそうに寝ていた。
寝室にした部屋に行くと、家のどこかに猫はいて自分の姿を見ているのか足音でわかるのか、すぐにトコトコトコと開いてる戸から部屋にいるか覗いて、自分の姿を見つけると静かに部屋に入って来た。
荷物をガサゴソとやっていると、その様子を注視して、そのうちクンクンして触ってみたりする。
ときどき家事やら雑事に疲れると、一瞬だけと言い聞かせてゴロンと布団に転がって目を瞑った。そうすると、いつの間にか猫が自分の身体に触れるか触れないかの距離でくつろいだ格好でいた。布団を敷いた枕の上のほうにわずかな畳のすき間が出来て、そこも落ち着くのかよく眠っていた。
東京の部屋に猫がいるはずは無いのだが、残像みたいに猫の存在を感じては寂しくなり、モフモフを撫でたくなる禁断症状が出て、数日は腑抜けだった。
この夏がはじめましてだった実家で飼い始めた猫は、ちょうど8月で生後1年を迎えて人間年齢なら17歳ぐらい。セブンティーンの男の子だ。飼い始めた頃に家族から送ってもらった写真や動画では子猫だったので、半年あまりで驚くほどに成長していた。
こどもの頃に実家で飼っていた猫は、いつも同じ家から子猫を譲り受けていたので、親猫が一緒だったから、日本猫の黒いキジトラで尻尾が丸コロンと短い猫ばかりだった。
だからノルウェージャンフォレストキャットという聞き慣れなかった長毛種の猫は、まるで小さなライオンのように見えた。
たった数週間を一緒に過ごしただけなのに、エサやトイレのお世話をしたり、庭に散歩に出かけたり色々と遊んでいたら、楽しいエピソードをたくさんくれた。
何年も前から熱望して、ようやく猫を飼うことが叶った小学生の姪は、よき相棒のような猫が一緒にいると和やかな笑顔でいるのでうれしかった。
こどもの頃は猫も犬も実家で飼っていた。上京当時の東京は野良猫がまだ多くて、いつの間にか仲良くなった野良猫が何匹もいた。それぞれの猫に忘れがたい思い出がある。
いつも動物から信頼や愛情をたくさんもらっていたことに、今さらになって気づく。この夏に実家の猫と過ごしながら、しみじみとそのことを感じた。
さて実家の猫は、“森の猫”と名前についている通り木登りが得意な猫であった。冗談ではなく崩れかかってきてはいるが、実家は江戸時代から建つ古い民家で、天井は高く吹き抜けになっている。
余談ながら、亡き父の高校の先輩である作家の長部日出雄さんが80年代当時にされていた東京新聞の連載で実家の古い建物のことを目の前に見えるかのような秀逸な筆致で書いてくださったのだが、柱などは囲炉裏で燻されて煤で真っ黒で、釘を使わない【木組み】という工法で建てられた津軽地方の“むがし家(え)”と呼ばれる家になる。そのむき出しの真っ黒な天井の吹き抜け部分を、猫がキャットタワー状態で夜中にスイスイと移動して走っているのを最初に見たときは度肝を抜かれた。
ときどき落ちそうになったりしても、上手く登りきり絶対に落ちない。ヒヤッとして、姪はたまらず声を上げていた。
誰も教えていないのに、勝手に子猫のうちから天井を歩くことをやり始めたらしい。天井に居るのが最も楽しそうな猫の姿に、ノルウェーの雪山や寒冷地で生き抜いてきた祖先である猫達の血が、きっと実家の猫にも流れているのだろうと思い、逞しさと神秘を感じた。
昔飼っていた日本猫たちは、古めかしい重い引き戸を器用に開けては部屋を出入りしていた。さすがに天井を遊び場にしている姿は見たことがなかった。ちなみに猫を飼い始めた頃に弟が用意したキャットタワーは、最初から見向きもしなかったらしい。
決まったいくつかの部屋にしか入ることを許されてなかった猫を、日中は猫と自分しかいないときがあると、家中を掃除するのを理由にしていっぱい冒険させた。不思議そうにあちこちの部屋を匂いを嗅ぎながら渡り歩いては、お気に入りの場所を見つけていた。ベッドの下や洋服掛けの下段のすき間にからだをぴったり収めて、くもの巣をくっつけながら居心地よさそうにしていた。
自分が寝ていた部屋は、猫が通れるように少しだけ戸をいつも開けておいた。夜中にトイレに起きて、寝ぼけて戸をうっかり全部閉めてしまうと、すぐに摺りガラスの戸を猫パンチして派手に音を何度も鳴らして“開けろ!”とばかりに起こされた。
用心して常に帰省してからもマスクをして過ごしていた。外すのは眠るときぐらいだったかもしれない。布団に入った瞬間に寝落ちてしまうことが多かったので、マスクを外さないで寝てしまうこともたまにあった。
そんなときに、寝ているとマスクの辺りやほっぺたが妙にこそばゆくて目が覚めた。そっと薄目を開けると、猫がマスクをしている自分の顔にぴったりくっついた状態でいるではないか。マスク越しに匂いを嗅いでいたのか、寝ているのを観察でもしていたのだろうか。疲れていていびきをかいていたかもしれない。猫に気づかれないように、その後もくすぐったいけれど寝ているフリをした。
そのうちに、夜は一緒の部屋で猫は当たり前のように寝るようになり、撫でていると仲間にするように手や顔をペロペロと舐めてくれたり、鼻チューをしてくれるようになった。
それなのに別の部屋で会ったときは、誰?って感じに驚かれたりする。猫らしいツンデレかとそれさえも喜んでいたある日、マスクを外すと自分の顔をしっかりと認識が出来たのか、顔を向けると目をキラン!とさせてスキップするように走り寄って、からだを擦りつけてきた。マスクをした顔は、どうやら声を出さない限り気づかないことがあることもわかった。
叔母に猫が駆け寄る瞬間を、姪はそばで見ていた。その後に鼻チューをしたので悔しがった。
“○○○だってそうしてほしいのに‥”と言って、子猫の頃は姪にもそうしてくれていたらしい。可愛がってお世話もしているのにと、さっき引っ掻かれた生々しい傷を見せてくれた。
こどもの頃に実家で飼っていた猫もそんな感じだったよと、いくつかの思い出を話したら、姪よりも飼い猫に酷い目に遭っていたことで気持ちが晴れたようで、エピソードを愉快そうに思い出し笑いすると、また優しく声をかけて猫を撫でていた。
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