mlodinの徒然脱線紀行(自明ですか?:補助金はどのようにして決まるのでしょう)

前の記事で、補助金はこのようなものだろうというmlodinが考える補助金像をまとめてみました。
繰り返しになりますが、
1. 自動車産業の国際競争力を維持・強化するために「国が提供する資金」
2. 対象となるのは「研究資金」で、製品からは少し離れた基礎的な研究
3. 「研究成果」は、自動車業界全体が享受できることが望ましい
4. 「研究成果」は、特許のような知的財産になる可能性が高い
こんなところでしょうか。

この「補助金」はどんな手順を踏んで、企業が使えるようになるのでしょうか。
そのプロセスをmlodinなりに考えてみました。

最初に、「補助金は、企業にとっては使いにくいお金にならざるを得ないことは、自明ですね」ということは、言っておきます。
原資は税金ですから、「正しく使いました」という証明は必須です。
小学生の夏休みの宿題のように、8月31日に夏休みの日記を書いて、「毎日日記をつけました」と出して通るものではないと考えるからです。

国がお金を出すということは、予算化するということです。予算を獲得するということは、省庁にとってはとても重要な業務、主要業務です。
各部署で、予算の案を作り、それを取りまとめて調整をして、省としての予算案を出し、財務省との折衝で取捨され、最終的には、大臣折衝を経て最終的な政府予算案となり、国会で可決成立して、政府予算となります。

部署内であれ、省内であれ、予算の案を出すときは、「この事業はこのような必要性があり、それを実現するのにはこれだけの金額が必要で、その金額の算出にはこのような根拠があります」という説得力のある裏付けがあることが必須になります。
丼勘定で「これぐらい必要です」と言って予算を取ることはできません。

「補助金」を予算案に入れたいのであれば、「自動車産業は、このような分野について研究を行なっていて、それを更に後押しするために、このような課題での研究についての補助を行なうのが適当と判断される。この分野での研究に必要となる資金はこの程度で、研究期間もこの程度になると考えられる」というような、きちんとしたターゲット、そのターゲットで必要になる金額などについて、説得力のある根拠を示すことが必要になります。
それがお役所だけでできるかどうかというと、どうなんでしょう。
業界にヒアリングをするなり、本当の専門家にご意見をうかがうというようなことになるのでしょう。
「新エネルギー・産業技術総合開発機構」のような組織も、そのような役割を担っていると思われます。

このようにして、特定の研究に対する「補助金」が予算化されたとします。予算は、基本的には「単年度」が原則なので、毎年、同じようなことを繰り返して行なうということになるのでしょうか。あるいは、予算化した際に、複数年度ということを明確にするのかもしれません。

予算が決まることで、「補助金」の姿が明らかになります。
「補助金」の姿が明らかになったとして、手を上げた企業がすぐに「補助金」を受けられるのでしょうか。そもそも、手を上げただけで受けられるのでしょうか。
そうではないでしょう。
企業が手を上げる際は、「補助金」の対象とされている研究分野にどのように取り組み、どれだけの費用がかかると考えているかというような、「研究のマスタープラン。スケジュール。費用見積もりなど」を出すことが必要でしょう。そのようなものがなければ、その企業が、その研究に相応しいか否かが判断できないからです。
補助金は、「手を上げるの?」「はい。お願いします」「判った。出しますよ」という感じで受けられるものではないはずです。
複数社が手を上げた場合、当落が出ることになるでしょう。
共同体みたいなものを作っての応募、あるいは、大学などとの協同での応募という形もあるでしょう。
いずれにしても、応募の際の手間はかなりのものになると想定されますし、採択されるまでのプロセスは、簡単ではないと考えられます。

「補助金」の対象として採択されたとしても、すぐに貰えるかというと、条件面や、規定など細かなやり取りが必要になることが想定されます。
ひな型のようなものはあるでしょうし、募集の際に、そのような条件の概要は示されているでしょうから、それほど大変な作業にはならないかも知れませんが。

「補助金」の対象として採択され、契約ができて、実際に研究を始めたとします。
お金には色がついていないので、お金がきちんと使われたかという会計処理は、高い透明性を持って行なわれることが必須です。
「このようなやり方で研究をするのでこれだけ必要です」と言って受け取ったお金が、別の使途に流用されるようなことがあってはなりません。
ということで、企業側の会計処理は十分に留意して行なう必要があることになります。別会計にするのでしょうね。

「このようなやり方で、これぐらいの時期には、ここまで来ることを想定しています」と主張して採用された研究であれば、どれだけの人がどれだけの作業をしたかというような工数管理のデーター、進捗レポートも、ある程度の間隔で提出する必要があるでしょう。
お金は使われているが、誰も、なにもしていなかったということは、あってはならないからです。性善説を採ることは、国の予算の執行としては、いかがなものかということになります。

企業側も、「いろいろ出すように」と言われて大変ですが、補助金を出す側も、細かくフォローすることが求められるはずです。
企業が出すべき資料などを確認して、出ていなければ対応を要求しなければなりませんし、スケジュールどおりに進行していないのならば、原因について説明を受け、問題点などを正しく把握する必要があります。
複数年度での研究であれば、問題が生じた場合は、次年度以降をどのようにするかという問題も出てきます。
税金を原資とする国家予算を使うということは、最悪のケースを想定しておくことが要求されるとmlodinは考えます。

会計検査院という組織があります。国の予算が適切に使われたかということを検査する機関で、「アベノマスクは無駄」と断罪したというニュースで有名になりましたね。
「補助金」が適切に使われたか、そして、所期の目的を果たしたかということは、会計検査院の検査対象になる可能性があります。検査を受けた場合に備えて、きちんとした資料を用意しておく必要があるでしょう。

というわけで、補助金が決まって、使われて行く道筋を考えたならば、池田氏が書かれているように、
>政府がこういうことに金を使うのは「財政主義」政策、いわゆる
>ケインジアン的政策ということ
ではないでしょうし、
>その上で、世の中には長い目で見ればリターンが無くてもやらな
>ければならないものはあって、そこは民間ではどうやったってや
>れないから税でやるという話
で済むことではないとmlodinは考えます。

ここまでの考察をベースに、次は、なぜ企業はこんな面倒な「補助金」に手を出すのだろうかということを考察します。
企業には企業の事情があるということについてのmlodinなりの考察です。

今回の話の主旨とは少し違うと思いますが、ここで書いておきたいことがあります。
mlodinは「経験主義マウント」へのコメントで、
>理系・文系ということではなく、研究開発への参加意識を持たれ
>たことがないと、成功確率の低いものに取り組むことの意義が体
>感できないのではないでしょうか。
と、池田氏の考え方についての感想を書きました。
池田氏は、「過去エントリー「経験主義マウント」についたコメントへの返信」の中で、
>振りじゃなくて、本当に専門家でもないど素人の役人がそこまで
>口出しして管理しなきゃ成功しないようなクソ案件だったら、最
>初から補助金を交付するのがおかしいんじゃないかとそういう論
>旨なんですがねぇ。
と書かれています。
mlodinが言いたかったことが理解して貰えなかったのでしょう。

上記のような池田氏の文章(ほかにも同趣旨のことをいろいろと書いておられますが)に接すると、mlodinは、「せっかくの知識が身についていない。頭だけで得た知識だから、研究開発の難しさが肌感覚として認識できないのだ」と感じてしまいます。

ロータリーエンジンがあります。特許が出て、多くの自動車会社が実用化にチャレンジしました。実際に、製品としてのロータリーエンジンを出せたのは、マツダと、もう一社あったでしょうか。
ベンツのΑクラスが製品化された際には、後に燃料電池スタックを納めた追加モデルとしてFCVがデビューする予定だったという話があります。
このような話というか、事実は、知識として探せば、山ほどあるでしょう。

専門家の集団が、成功すると確信して突き進んでも、たどりつけないことが多いのが、研究開発です。自動車産業でもそれは同じでしょう。
「実際に、そのようなヒリヒリする世界を体験していなければ、研究開発の難しさは理解できないと思いますよ」と言ったら、「経験主義マウント」と言われてしまうのでしょうか。
mlodinは、想像力、共感力の問題ではないかと考えているのですが。

mlodinは、「見たいものを見ていると、見えるものも見えなくなる」ということは、忘れないようにしたいと考えています。