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mlodinの徒然脱線紀行(記憶になかったこと)

このところ、いろいろあって、時間を取ることができていません。
クルマのバンパーを擦ってしまったので、どう対処するかを相談しに行き、使っているノートPCの調子がおかしいので、相談しに行きと、どちらも一日仕事でした。
さらに、調子のおかしいノートPCへの対策として、使っていなかった手持ちのノートPCをセットアップし直して貰ったのですが、環境を整え、データ移行してと、使えるようにするまでの作業が山積みで、こちらに書くための時間を取ることができません。
ここに記事を投稿するようになった原因についての宿題は、なるべく早く片付けたいと思っていて、頭の中で、いろいろ構想はしているのですが。
愚痴を言っていても仕方がないので、数日前に書き始めたこの記事を仕上げてしまうことにしました。

mlodinがものごとにあたる際に大事にしているのが、「見えるものを見る」を基本にするということです。
「当たり前じゃない」、「なにを言っているの」と言われてしまうかも知れませんが、mlodinは、多くの人が、「見えるものを見る」のではなく、「見たいものを見る」のではないかと考えているのです。
「見たいものを見る」と、「見えるものも見えなくなる」のではないかというのが、mlodinの考えです。
おれおれ詐欺もそうですが、詐欺の被害にあう人は、「見たいものを見た」ために、詐欺師の罠にはまっているのではないでしょうか?
滅多に電話をかけてこない孫が、困ったことになったと頼ってきた。助けてあげたらさぞ喜ぶだろう。孫の喜ぶ顔を見たい、、、
と思うと、声が違っていることにも気付かないのではないかと、mlodinは考えるのです。
プーチン大統領も、「見たいものを見る」ために侵攻を始めたのではないかと思っています。

徒然草に、「人は見たいものを見る」という話があり、「石清水」に行った人の話だったと記憶していたので、原文を見てみようと思いました。
いまの時代ですから、Googleで検索すれば簡単でしょうが、徒然草の文庫本があったのを覚えていたので、探してみることにしました。
あとで考えたら、結構、無謀な試みでした。

本棚に、紙が茶色に変色した岩波文庫の徒然草がありました。高校生の頃に購入したものなので、そこまで劣化したのでしょう。
一瞬、亡くなった父親のものかなと思いましたが、奥付で、mlodinが高校二年のときに発行されたことが確認できました。

部屋に持って行って、本を開いて、目次を見たところで、のけぞりました。

岩波文庫の徒然草は、目次が上と下に分けてあります。
目次を見て、上は、有名な序段(つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事(ごと)を、そこはかとなく書きつくれば、あやうしうこそものぐるほしけれ。)から第百三十六段まで、下は第百三十七段から第二百四十三段まであることがわかりました。
この中から目的の話を見つけようというのは、単純に考えれば、無謀な試みになるでしょう。

でも、mlodinがのけぞったのは、そのことに気付いたからではありません。かなりの数の話があることは覚悟していたのです。

mlodinは本に書き込みをしないことをモットーにしているのですが、目次のいくつかが〇で囲ってありました。
たくさんではありません。印象に残ったものに〇を付けたのだと思いますが、〇を付けたということが全く記憶になかったので、目次に〇が付いていたことに驚いたのです。

〇で囲ってあるものの中に探していた話がありそうだと思ったので、Googleで探す前に、いくつか見てみることにして、本文の頁を開いたところで、またもやのけぞってしまいました。

mlodinは本に書き込みをしないことをモットーにしています。
岩波文庫の徒然草は、原文の書き下ろしがあって、その下に、校閲者の西尾実氏の脚注があるのですが、その脚注の横に、細かな書き込みがいくつかあったのです。
これを書いていて、パラパラと見直してみたのですが、初めから四分の一程度のところまででした。そこで力尽きたのでしょう。

本文に書き込みをしたことも、全く、記憶にありませんでした。
筆跡から、自分が書いたのだろうと納得するしかありませんでした。

目次に戻って〇で囲ってあるものをいくつか選び、ここを開き、あそこを開きして、五分ぐらいで、探していた話を見つけることができました。
第五十二段  仁和寺にある法師  で、目次にも〇が付けてありました。

この話を読み直して、たしかに、「人は見たいものを見る」という話だとは思いましたが、最後のまとめ、というか、結語は、記憶には残っていませんでした。
「すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり」
この文章は覚えていたのですが、この話の結語として記憶してはいなかったのです。

mlodinが、ここを「mlodinの徒然きまぐれ脱線記」として立ち上げたのは、「徒然」という言葉が気に入っていたからだと、自分では思っていました。
高校生の頃に、受験勉強とは別に徒然草を読んでいて、そのことが潜在意識に残っていて、「徒然」という言葉を選んだかも知れないということは、この文庫本を見るまでは、思ってもいませんでした。

「見えるものを見る」ことをやっていて、「記憶になかったこと」に気付いたことになるのでしょう。