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メタバースの原典『スノウ・クラッシュ』から推測する 私たちのメタバースの行方

彼がいるのはコンピュータの作り出した宇宙であり、ゴーグルに描かれた画像とイヤフォンに送り込まれた音声によって出現する世界。専門用語では"メタヴァース"と呼ばれる、想像上の世界だ──。

メタバースという言葉が史上初めて登場し、原典として扱われているSF小説『スノウ・クラッシュ』。メタバースブームの到来により、今月25日に早川書房より復刊されることになり、大きな注目を集めている。

同小説は、SF作家、ノンフィクションライター、そしてハッカーでもあるニール・スティーブンスンが1992年に発刊したポスト・サイバーパンクSF小説だ。

舞台はテクノロジーのコモディティ化が起きた近未来。アメリカの優秀なフリーランス・ハッカー、ヒロ・プロタゴニストが、現実世界とメタバースに出現した謎のウイルス「スノウ・クラッシュ」に侵された友人と、調査に向かう元恋人を助けるために奮闘するという筋書である。

発刊当時、"次なるSF”を求めていたアメリカ西海岸のネットユーザー・VRファンたちに熱く支持された『スノウ・クラッシュ』。本記事では、30年前に書かれたとは思えない先見性に満ちた同小説を引用しつつ、私たちのメタバースにこれから起きうる変化を考えてみたいと思う。

『スノウ・クラッシュ』内のメタバース

小説内の人々が活用する、巨大なVRネット「メタバース」。まずは作品に登場するメタバースの特徴を見てみよう。

小説内の現実世界の人口はおよそ60~100億人(ちなみに2021年の世界の総人口は78憶7500万人だ)。このうち、コンピュータを買うことができるのはおよそ10億人、そのなかで実際にコンピュータを購入するのは2億5000万人ほどだ。

さらに、メタバースを扱える高性能なコンピュータを買えるのは6000万人強。ただし、メタバースは公衆端末からアクセスすることも可能で、そのような活用をする人々がさらに6000万人ほどいる。

そのため、メタバースの総人口はおよそ1億2000万人。ちなみに、メタバースの覇権を握るといわれているオンラインゲーム「Fortnite」の登録ユーザー数は2020年、全世界で3億5000万人を突破している。

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メタバースでのコミュニケーションはすべてアバターを介して行われる。初心者のほか、アバターを作成するスキルや資金がないユーザーは、レディメイドのアバターを買って参入することになる。

メタバースで実体化する(=アバターとして現れる)には、自分の家もしくは「ポート」を活用しなければならない。ポートは、現実世界からメタバースに立ち寄るためのまさに「港」のような場所。メタバース上に256ヵ所あり、公共端末からアクセスするユーザーはポートを活用することが多い。

ちなみに、アバターの瞬間移動は不可能で、仮想空間でありながら現実的な行動制限があるもの興味深い点だ。

メタバースには、地球でいうところの赤道に位置する大通り「ストリート」が存在する。幅100m、距離は65536kmと広大で、現在も開発が続く。

このストリートに何かを建造するには、GMPGという管理組織の許可と、贈収賄検閲官の審査が必要となる。また、建造時にGMPGに収めた金はストリートの開発・維持などに充てられる仕組みだ。

メタバースの地価はストリートに近いほど高い。ちなみに、主人公のヒロはストリートの一番の繁華街のそばに豪邸をもっている。ヒロは、メタバースのアーリーアダプターであり、ストリートのプロトコルが書かれ始めた10年前に友人らとハッカー地区を作っていたからだ。

メタバースの治安は複数の組織によって維持されている。まずは「メタコップス」。メタバース各所で公式に採用されている保安部隊だ。そしてその競合にあたる「ワールドビート・セキュリティ」。メタコップスより規模は小さいが、契約規模が大きいスパイ活動部門を持っていることで重宝されている。

そのほか、メタバースに住むロボット「デーモン」も用心棒の役割を果たす。アバター物理の基本原理を応用し、好ましからざるアバターを掴んで放り出すことができるのだ。そのほかに、使い走りをしたり飲み物を運んでくれたりと、メタバースでの生活をアシストしてくれる存在でもある。ちなみに現実の人間と同じ外見をしている。

これらの特徴をふまえて、今後、私たちの世界のメタバースで起きうる変化や問題を考えてみよう。

まずは、メタバースそのものがどのような集合体として発展していくかだ。端的にいえば「ユニバース」となるか「マルチバース」となるかである。

『スノウ・クラッシュ』ではメタバースは単一の巨大仮想空間、つまりはユニバースとして構築されている。このなかで商取引から娯楽まで、人間の営みにかかわるあらゆることが行われている。

しかし、私たちの世界では、メタバースは多元的な「マルチバース」として活用されるべきという声も上がっている。

東京大学 先端科学技術研究センターの稲見昌彦教授は2021年12月、SNSを更新。魅力的で多様なメタバースを構築するためにはマルチバースを目指すべきと述べ、さらに、異なるメタバース同士で価値交換を行う取引(インターバース)や、それを担うことができる人材が将来重宝されるのではと予測している。

今の時代は、組織やコミュニティのあり方、あらゆるプロセスがディセントライズド(非中央集権化/分権化)に向かっている。利権の集中を回避しながら、真に人間の求める機能を搭載していくために、小さなサイクルを回すのが主流だからだ。

このような流れは、行政におけるDX(デジタルトランスフォーメーション)の推進に関する調査研究資料「GDX:行政府における理念と実践」でも言及されている。

この時流を踏まえると、ユーザーの目的に合わせた小単位のメタバースが多数築かれる、つまり「マルチバース」として発展する可能性は十分考えられる。これは『スノウ・クラッシュ』の展開とは若干異なる未来だろう。

次にレギュレーションについて考えてみよう。メタバース上で土地や建物などのデジタル資産が盛んに取引されるようになると、私たちはおのずと所有権などの課題と向き合わなければならない。また、現在すでに仮想通貨が課税対象となっていることを考えると、メタバース上でも不動産取得税などの税制度ができ、現実世界のリアルな資産同様、法整備が整えられていくだろう。

実際、暗号資産交換業者のFXコインなどが設立したメタバースの業界団体「一般社団法人日本メタバース協会」は、設立の目的のひとつに、デジタル資産の課題整理を挙げている。

ちなみに暗号資産に関する法律は、2010年4月1日施行の「資金決済法」をベースにおよそ2年に1回のハイペースで改正され、2017年に仮想通貨交換業が規定されるにいたった。現在でも法律およびガイドラインの改正・改訂が続けられている。メタバースの資産についても同様、もしくはそれ以上の時間が見込まれるだろう。

最後に治安維持だ。参加ユーザーが多くなり、コミュニケーションや商取引が増えるにつれて、メタバースでの事件は増えていくだろう。それはちょうど、インターネットなどのテクノロジーの発展にともない、1990年代後半からサイバー犯罪が増加したように。

もちろんその多くは現実世界の警察が取り締まり、現実世界の裁判で裁かれることになるだろう。しかし、『スノウ・クラッシュ』でいうところのメタコップスやデーモンのように、メタバースに特化した警護組織なども現れるかもしれない。

その一方で、「ネット私刑」の是非についてもますます議論されることになるのではないだろうか。

アバターが映し出す格差社会

メタバース上でコミュニケーションをとるために使われる、ユーザーに紐付けられた3Dモデル「アバター」。私たちの世界でも、 3Dアバターソーシャルアプリを運営する「ZEPETO」がソフトバンクらから214億円を調達しユニコーン企業となるなど、注目を集めている。

『スノウ・クラッシュ』の世界でのアバターは、マシンの性能が許す限りどんなかたちにすることも可能だ。一方で、個々人が自由に設定できるアバターは、メタバースでの格差を象徴するものでもある。

この世界では、自分の顔をレンダリング(※)するのは高い技術を要する。つまり、精巧なアバターは一目置かれる対象であり、非常に高価で、現実世界でいえば高級な革製品やラグジュアリーブランドを身に着けることと同義なのだ。

※レンダリング:3DCGにおいて、数値データとして与えられた物体や図形に関する情報を、演算によって画像化すること

一方で、アバターを作成するITスキル、アバターを発注するための十分な資金がないユーザーは、無個性で大衆的なレディメイドのアバターを購入することになる。

また、自分のコンピュータを持てず、使用料の安い公衆端末からしかアクセスできないユーザーは、粒子が荒く安定しないことからアバターがモノクロにレンダリングされてしまう現象が起きる。

そのような特徴によって、彼らはメタバース上では、一瞥で下階層ユーザーであることが伝わってしまう。つまり、アバターは能力や経済力を映し出す鏡であり、メタバースはアバターを介して格差が露呈する社会でもあるのだ。

メタバースへの期待として、現実世界では有限の資産も、デジタルであれば無限に創造できることから、全人類が同じスタートラインに立つことができる公平な世界だという声もある。しかし、メタバースがそれだけで独立せず現実世界とリンクしながら活用される以上、そしてそこに虚栄心や欲求をもつ人間がいる以上、『スノウ・クラッシュ』の世界同様、格差社会を反映するプラットフォームになる可能性は十分にあるだろう。

ただし、それとアバターが直結するかどうかについては懐疑的だ。特に、アバターそのものの精巧さが格差に直結するかについては、可能性は低いように思う。

CES 2022に出展したSnapは、長年研究・開発を続けてきたARレンズ技術を披露。2021年12月にはすでにARレンズ「Avatar」をリリースしており、ユーザーを3Dアバター風に変換できる機能を有している。

キヤノンも同様に、同社のカメラで撮影した人物の映像から、複雑な設定をせずにアバターを再現できる技術を披露した。

『スノウ・クラッシュ』の世界と異なり、私たちの世界では誰もがアバター作成サービスにアクセスでき、特別な能力や大金がなくとも精巧なアバターを作ることができるようになるはずだ。そのため、アバターの質は差別化の大きな要因にはならないだろう。

では、自分の分身であるアバターの価値は何によって高められていくのか。現実世界の高級な革製品やラグジュアリーアイテムは、メタバースでは何に代替され、私たちの購買意志決定はどのように変動するのだろうか。

人間の購買意志はつねに"価値"に左右されてきた。1990年代ごろまでは高性能なプロダクト・サービスに感じる機能的価値、性能・機能のコモディティ化が顕著になってからは「これを使うときにワクワクする」といった情緒的価値、そこからさらに「これを所持することでなりたい自分になれる」といった自己実現的価値が重視されるようになった。

洋服で例えると、機能的価値は「洗濯機で洗える」「シワになりにくい」「動きやすい」などの利便性、情緒的価値は「袖を通すときにワクワクする」「着心地がよい」などの利用時のポジティブな感情が挙げられる。

ここで考えたいのは、洋服をはじめとするアバターが身に着けるアイテムの場合、機能的・情緒的価値に、果たしてどれほどの価値が保持されるのかという点だ。

機能的価値はわかりやすい。アバターの洋服は洗濯する必要がないし、長時間座ってもシワはできない。ストレッチ性の有無や裁断のかたちに影響されることなく、基本的に自在に動き回ることができるだろう。つまり機能的価値のパワーは限りなくゼロに近くなる(着替えるときなどのUIの操作性という、また別の機能的価値はさておき)。

では情緒的価値はどうだろうか。「可愛い」「かっこいい」などの価値はメタバースでも有用かもしれない。しかし、それも現実世界と比較すれば大きくビハインドするだろう。

現実世界を生きる私たちは、本当にほしいものだけで生きていくことは難しい。洋服なら、通勤服のように便宜上そろえなければいけないものがある。今や機能的価値に大差はないから、数ある通勤服のなかでも自分がより良いと感じたもの、つまり情緒的価値を見出せるものを選ぶ。しかしそれは言い換えるなら"より良い打算"であることが多く、TPOという条件付きの選択といえる。

メタバースでは、洗濯のことも、手入れのことも、日常の便宜のことも考えなくていい。ユーザーは、現実的な制約を受けない自由な世界で、自分にとって意味のあるものを積極的にそろえることになるだろう。

つまり、アバターを介する表現は、自己実現的価値の一点に向かって研ぎ澄まされていくのではないだろうか。

このような流れを汲んで、意欲的に戦略を仕掛けているのがGUCCIだ。

2015年、CEOにマルコ・ビッザーリが就任し、彼がミケーレを見出したことで始まったGUCCIの大改革。デジタル化やパーパスドリブンの時代を見据えたビッザーリの戦略と、さまざまなジャンルをジェンダーレスにミックスしたミケーレの大胆なクリエイションは、低迷していたGUCCIの業績を2年で蘇らせるほど先鋭的なものだった。

彼らは当然のごとくメタバースにも着目。2020年にはアバターが着用できる服を、2021年にはオンラインゲームプラットフォーム「ROBLOX」にてアクセサリーなどのデジタルアイテムを販売し、大きな話題を呼んだ。

このようなGUCCIのストーリー、クリエイティビティ、ストラテジー、イノベーション、そしてチャレンジへの強い意志は、GUCCIの商品を単なるファッションアイテム以上のものへと昇華してきた。

それは彼らの信念である「自己表現を体現せよ」の通り、消費者の自己実現欲求を駆り立て、満たすものだ。GUCCIを身につけるということは、ただ興味深いデザインを身につけることにあらず、既成概念にとらわれず自分らしく生きるという選択までも意味している。

ちなみに、ROBLOX側も自社のプラットフォームでは「ストーリーテリングと自己表現がすべて」と語っており、GUCCIとの親和性の高さがうかがえる。そしてそのような価値観は、特にZ世代・ミレニアル世代の購買意思決定において、非常に重要な要素となっているようだ。

メタバース上のアバターでは、このような自己実現的価値が特別視されていくだろう。企業はそれを踏まえたうえで戦略を練り、商品やサービスを打ち出していく必要があるのではないだろうか。

将来的には市場規模が1兆ドル(約115兆円)に達するとされるメタバース。リアル、ECに続く"第三の商空間"の出現によって、私たちの生活や価値観がどのように変化し、どのようなサービスが脚光を浴びるのか、これから見守っていきたい。

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■モンスターラボの3Dモデル・AR事例

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事例についての問い合わせ、DX(デジタルトランスフォーメーション)のご相談は以下からご連絡ください。

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■引用・参考文献
・ニール スティーブンスン 著『スノウ・クラッシュ』(アスキー出版局)
・日経クロストレンド『メタバース時代の覇権を握る「本命」とは 強さを3つのCで解明
・TRENDING『GUCCI 、ROBLOXとのメタバース進出でZ世代をデジタルで装備 – THE SEATTLE TIMES

※アスキー出版局発行『スノウ・クラッシュ』では「メタヴァース」と表記されていますが、本文中では「メタバース」に統一しました。

Top Photo by julien Tromeur on Unsplash

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