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【藝人春秋Diaryラジオ書き起こし②】古舘伊知郎のオールナイトニッポンGOLD 2021年10月29日放送分

番組名:古舘伊知郎のオールナイトニッポンGOLD
放送局:ニッポン放送
ネットワーク:NRN
放送日時:2021年10月29日 22時~24時
パーソナリティ:古舘伊知郎
ゲスト:水道橋博士

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E8%88%98%E4%BC%8A%E7%9F%A5%E9%83%8E%E3%81%AE%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%83%E3%83%9D%E3%83%B3GOLD

水道橋博士の出演は22時台。
本来は博士出演部分のみの書き起こしとしたかったが、古館さんが番組冒頭から博士に触れて、その後の出演部分にもトークがつながるため、冒頭からの書き起こしとなっております。

オープニングトーク

こんばんは。金曜夜10時になりました。
改めまして梵天太郎です。あっ、古舘伊知郎です。
今日はですね、このあともうすでにこのニッポン放送にはお越しになっておりますけども、「人間界のシートン動物記と言われ…言われてないですけど、私が今考えたんですけどもね。
やっぱり今回は藝人春秋Diaryで分厚い、本当にホテルに置いてある新約聖書かと思わせるような分厚さのあらゆる自分の巡り会った人を「藝人」というアングルで見ながら、本当に動物を愛するシートンのようにですね、もうためつすがめつ、ある時は分解し、ある時は解釈をし、ってやってるね水道橋博士にお越しいただきまして、本を出してね。
で、じっくり話を聞いてみようと前半は思っておりますけども、その前にですね、ちょっとこの今日はですね始まる前からメールをいっぱいいただいておりまして、水道橋博士が来るっていうこともひとつあろうと思いますし、それからやっぱりこのところ『(古舘伊知郎)トーキングブルース(2021)』で地方をいろいろ回ってますんで、観に行ったよってのをいただいて嬉しいもんですね。この前は名古屋行ってきましてね、この前の日曜日ですけどもね。
常連さんのラジオネーム「弱味を握る寿司屋の大将24歳」岐阜から。
「先日、愛知県で行われたトーキングブルースに行きました。舞台が始まって早々に「そうか! これがラジオでよく聴いていたご当地実況というやつなのか」と、すぐに心を掴まれました。少し遅れてパラパラと入って来るお客さんにいちいち話していた話をぶった切って実況交じりの煽りと。あんなことをされたら私は、やりはしませんが自分も遅れてくれば良かったと思いました」
もう本当にね、ちょうど昼下がり日曜日(2021年10月24日)の微妙な時間帯ですよ。まだ逢魔時がやって来る前のね、お昼の15時(開演)。3時から始めてるんですよね。だからちょっと時間的にもっと早いとか、もっと遅いとかだったらいいんでしょうけど、パラパラパラパラ…そのたんび話ぶった切って実況しましたから。入って来る2人組も1人もそれも含めて全部、
“人間が二足歩行で立ち上がって以来の動きでありましょうか。なぜ腰を屈めるのか。ここで屈めるところではないぞ”とか。
“さあ一気に臀部をシートの方に沈ませてもらいたい”とか。
“おっと一列間違えているか、ざまあみろ”とか、
いろいろ言いながら実況して。これがねちょっと自分で本当しんどいね、元に戻んの。じゃあやんなきゃいいんだけど、やりたくなんだよね、これが。じゃあもう一通だけちょっと読みましょうかね。あっ折出君ですよ。折出賢一君ですね。え~っと
「先日、トーキングブルース行ってきました、名古屋。お会いできたことをTwitterでつぶやいたら、オールナイトニッポンGOLDのリスナー常連のみなさんから“おめでとう”のコメントをいただきました。まさかそんなものをいただけるとは思っておらず、古館ファンの心の温かさに感謝するばかりです」

こちらこそありがとうございます。みなさん、ありがとうございます。
タカハシミカさん、これは鹿児島の指宿の方ですね、常連さんです。それから火消し娘さんはじめ、みなさんありがとうございます。

◆注釈
火消し娘さんは大の古館さんフリーク。
そして博士ファンでもあり、金八ならぬ水八先生こと博士が毎晩配信するツイキャスにも出席中。(私も出席しています)
毎年クリスマスには自作の紙芝居を子供たちへ読み聞かせをしている。
『古舘伊知郎トーキングブルース2021』千穐楽・2021年11月28日(日)では、ツアーコンダクターとして水道橋博士と三又又三を引率して参加。

Twitterで古館についに会ったよ、と。しょっちゅう交流はしてたけど、FAX越しで会ったよとかなんか言ってたけど初めて会ったということで、ああそういうふうに。なんかオレはマッチングアプリやってるのかって話ですけど。
でもね、今回の名古屋はね、その前は後で話しますけど11時台になったら話そうかなと思ってんですけど、福岡のね柳川(2021年10月 2日 福岡県・柳川市民文化会館大ホール)も行ってきましたし、いろんなところでトーキングブルースやって嬉しい!
今回はですね、トーキングブルース、日曜日に朝早く品川の駅から新幹線に乗って名古屋に向かったわけですけどね。その間が一番苦痛なんです。やっぱりいざ向こうに着いて、会場でお客さんを前にしてドーンと始めてしまえばね、あーままよと。後は野となれ山となれって感じになりますけど。
やっぱりね新幹線に乗った時は「やっぱり時事ネタを入れ直そう」とか、「ここのところの繋ぎはかったるいからやめにしよう」とか。それからご当地ネタで名古屋ネタをちょっと反復しとかないと。実況調でまくりますから。
“名古屋にやってまいりまして、あの金のしゃちほこで有名な名古屋城、「尾張名古屋は城でもつ」のあの天守閣におきまして”とか、いろんなこと言わなきゃいけない。そういうののネタはいつもご当地で新ネタですから。結構大変なんですよ。その名古屋まで着く1時間半かからないですけど、その間ずっと頭の中で『トーキングブルース』の脳内リハーサルやってるんです。それで新幹線の名古屋の駅に着いて、タクシーに滑り込むようにしてマネージャーと2人で。これが長ったらしい場所でやったんですよ。ネーミングライツになったことで。要は昔の名古屋市民会館。昭和47年にできあがって、まもなく取り壊されて新しいものになると言ってましたけど。ちょっと残念ではありますけど、古き建物はやがて取り壊されるのかと思いましたら、今ネーミングライツになりまして、日本特殊陶業(株式会社)って、これ陶器の陶ですよ。日本特殊陶業市民会館ビレッジホールってところで。
それでタクシーに乗って、ビックリしたのが名古屋の駅のタクシー溜まりのロータリーのところからパッとマネージャーと乗ったら、80(歳)は優に超えているドライバーの方ですよ。瘦せぎすでね、病気をされたのかどうかわかりませんけど。でも本当に血色は良くて元気そうで、痩せている瘦せ型の80過ぎの名古屋のタクシードライバーの方って、ボクは東京以上に平均年齢高いんじゃないかと私の勝手な出口調査で思ってるんですけど。乗った瞬間にどちらまでって感じだったんで、マネージャーが「日本特殊陶業市民会館ビレッジホールまで」って言った瞬間に、「ああそうですか。今日は誰のコンサート?」って元気なんだよ、その80過ぎのドライバーさんが。運転がうまくてね、安全運転でね。「誰のコンサート?」って言って、「マイク1本でやってる古舘伊知郎のトーキングブルースっていうのをこれからやるんで来たんです」って、マネージャーが行ったら、
「ああ! 古舘伊知郎さんなら退屈させないわ! 退屈させないよ。いやあ退屈させないわ」
それでマネージャーが「ありがとうございます」って言っちゃったんだ。ありがとうございますって言ったから、関係者だな客じゃないんだなと思ったの。それからプスーッって黙ってた。
嬉しかったねぇ~。
オレ別に自己紹介しようかと思ったけど、なんかこうね、褒めてもらって「私です」って言うのもちょっとなんだなって思って手控えって、そのまま「ありがとうございました」って素直に降りてきたけど、やっぱ嬉しかったね、そういうふうに言われると。「ダメだよ、あんなヤツ」って言われんのイヤじゃない。さっき見てたらね、そういうのもあったんだよ。えっとね、え~あるんだ面白いのが。ちょっと待ってね。ちっとわかんなくなっちゃった。あとで探そう。
なんかね逆もあったんだよ。なんかね、博多から柳川の公演に行った時にね、バスに乗って運転手さんと雑談してて6千円払って古舘伊知郎のトーキングに行くって。
「あんなヤツのために6千円払っちゃダメだよ」
って言われたっていうのもあったからさ。これいろいろでいいんだけどもさ。だってヒドかないでしょ、そりゃ両方ないとダメだからね。この世界っていうものはね。それでまあそれも嬉しかったし、無我夢中で2時間しゃべってね。その後もね、いろいろ面白いことがあったんだけど、全部あとにしよう、今日は。やっぱり早く水道橋博士と話したいし。
そういえばもう何ヶ月も前だけどね、なんで相方が訂正しないのかなと思って。ずーっとプロのインタビュアーの吉田豪との関連で、徳光和夫さんがずーっとニッポン放送の朝の番組で何回も
「いやぁ~お茶の水博士と出会うことになって」って、ずーっと話しててね(笑)。なんで「水道橋ですよね?」って、相方の人が言わないのと思ったの。朝5時台ならいいのかな、水道橋とお茶の水となり同士だから。

◆注釈
徳光さんが「お茶の水」と発言した番組は、『徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー』(ニッポン放送 毎週土曜日5時~7時40分)2021年9月25日放送分でのこと。
相方(アシスタント)は元ニッポン放送アナウンサーで現フリーアナウンサーの石川みゆきさん。

今日はやっぱりさ、いろんな話したいから。ちょっと短めでまいりましょうか。古舘伊知郎のオールナイトニッポンGOLD!

え~っとね、この『藝人春秋Diary』水道橋博士、10月の18日にこれ出版と相成ってね、その後ボクなりに調べてみると、サイン会、飛び込み営業やったり、配信番組とのタイアップ企画でね、たとえば旧知の仲なんでしょうけど町山智浩さん。ジャーナリストにして映画評論家の方とね、ずっとやってるのボクもYouTubeに上がっているのを観たりしてね。
それからあとはもう、通販サイトでおまけ付きのサイン本の通販とかね。それから1冊の本を届けるためのどぶ板営業。オレ、ヘタしたら博士ねぇ枕営業もやってんじゃないかと思う。本当執念の活動、一人電通状態!
やっぱりでも大著ですから。大全と言ってもいいわけですから。そういう気合がある中で、この番組にも出てきてくれたということで。
今日はですね、こっからメールテーマにつながるんですけど、11時台におもに読ませていただきたいと思いますが、「私は今これに苦労している」。
なにも水道橋博士がこの本のために苦労しているということを言いたかったんじゃないんだけど、粉骨砕身、自分の大著のために動いてるってところがアッパレでね。だから前向きに悩んでる場合もあるし、後ろ向きにジメジメしてる場合もどっちもあっていいわけだから、「私は今これに苦労している」とかね。「難渋している」。まあブルースであったり、いやいやたいしたことないけど、これがもうホントにねぇ私にとっては目の上のたんこぶでとかいろいろあると思うんで、「今、私はこれに苦労している」っていうので、ちょっとお寄せいただけたらと思います。
※番組メールアドレス、Twitterのハッシュタグの呼び込み。
※CM

博士を招いてのトーク①

古館「ですからね、あの徳さんが言うところのお茶の水博士にお越しいただいたということで。水道橋博士、よろしくお願いします」
博士「よろしくお願いします。徳光さん、ずっと直さないんですよね」
古館「そこがすごいよね」
博士「すごいですよね。混乱してたみたいですね。ちょっと違うなと思いつつも、もうそのままいった…」
古館「なんかもうお茶の水と水道橋の間に新設の高輪ゲートウェイみたいの作ってもらって、違う名前で呼んでもらいたい、間取って」
博士「どっちが本物かもわからなくなるでしょうね」
古館「もう虚実の皮膜になってね。今日の水道橋博士のコスチューム、ボクはねつい最近、町山智浩さんとね、さっきもちょっと言ったけども、コラボで対談やってるじゃないですか。あれをYouTubeに上がってるのを観た時に、その時の博士のコスチュームが好きで。黒いジャケットにメダルをわざと半分ずつチラ見せするような。月で言うと下弦の月だか上弦の月みたいな、半分だけにして。で、中に黒いTシャツで赤に染め抜かれた…あれ何でしたっけね、中の黒いTシャツの? 赤でガーンとこう文字が書かれてましたよ」
博士「そうですか。ボク覚えてないんですけどね」

博士! Tシャツはご自身のブランドですよ~!!

古館「覚えてない? ジャケットは覚えてる?」
博士「ジャケットは覚えてます」
古館「メダルが少し。その黒ずくめがカッコ良かったんで。今日はまた一転して、闘魂タオルに猪木・アリ戦の時のTシャツと」
博士「Tシャツ、そうですね」
古館「これはあの阿佐ヶ谷でライブに呼ばれた時もこれね」
博士「古館さんにもプレゼントしました」
古館「ありがとうございます」
博士「これ京都の瀬戸さんていう猪木さんにだけついて、描いている絵師がいるんですよ」
古館「はぁ~」

古館さんが出演された2021年6月26日に開催された『アサヤンVol.13』。イベント終了後の博士。このTシャツをラジオ出演時にも着用。

◆注釈
Tシャツをデザインされた瀬戸さんは、博士のブログやTwitterにたびたびお名前が出てくる京都の猪木絵師・瀬戸さんのこと。
ラジオ出演時のTシャツは2017年春の新作。

博士「今日さっき梵天太郎って言いましたけども、梵天太郎知ってる人なんかいるんですか?」
古館「ちょっと博士にだけ受けようと思って」

博士「刺青をね彫る人ですけども」
古館「そうそうそう」
博士「ちなみに言うと、竹中労さんってボクが大好きなルポライターの背中の刺青を彫ってるのが梵天太郎さん」
古館「梵天太郎さんが入れたんですか!」

博士「ボク、亡くなられる前に沖縄でお会いしましたね、偶然」

古館「ああそう。いやもう徹底した『シートン動物記』だよね。もうあらゆる人間を」
博士「これすごい長い本ですけど、大部ですけど、古館さんがほぼサブの主人公みたいな」
古館「いやいやいや、そんな大げさなことじゃない(笑)」
博士「でも最後も出ますし、その前に4箇所出てるっていうね」
古館「ねぇ、ありがたいこと。だけどね、本当にこう芸人だけじゃないじゃないですか。女優さん、俳優」
博士「政治家の方も」
古館「政治家も出てくるし」
博士「麻生太郎さんのところに古館さん出てきますから」
古館「あっ、それはまだ読んでない!」
博士「読んでないですか? 麻生太郎さんのところで「ワイマール憲法に学ぶ」っていうのを対比させてんですよ」

※詳細は『藝人春秋Diary』19章『麻生漫☆画太郎・誕生秘話』をお読み下さい。

古館「えっ今、三浦(憲高・番組ディレクター)君、本の名前を言えっていうんだな。そりゃそうだよね、ずっと中身入っちゃった。『藝人春秋』。これはあの文藝春秋じゃないや。『週刊文春』にずっと連載かつてされていたそういうものも含めて、新たにもちろん加筆したことも全部含めて、ものすごく分厚くなってダイアリー、『藝人春秋Diary』として本を出して。今もちょっと麻生太郎とかいろいろ話が出てたけども、あらゆる人の…あらゆるではないんだけど、これはと思ってた人のことのずーっと解釈・解説・分析があって、ボクも最後の方にもちゃんと入れていただいて」
博士「最後の方というより最終回ですよね」
古館「あと、この江口さん」
博士「江口寿史さんの絵が」
古館「絵がすごいね~」
博士「この絵が好きで、とにかく3冊に分けて出させてほしいって言ったんですけど、いま出版不況だから電子書籍でならOKって出たんですけど。で、アンソロジーで1冊って言われたんですよ、文春に。だけどこの絵を60枚、全部やっぱ並べたいんですよ。画集として出したいって気持ちもあって。すごい絵がいいですよね」
古館「いや~もう加賀まりこさんも小泉今日子さんももういいないいな。
でもボクがいいなと思うのは、なんていうんですかね、似顔絵を描く人でもすこぶる実物より良く描く人とか、実物より悪の部分を強調してデフォルメする人とか、極端にものまねのように振るのを多いというボクの印象があるなかで、自分のね自分のところのイラストを見た時に「この顔だ!」って心底から納得した。要するに良すぎも悪すぎもしない。こういう顔なんだおまえはって。顔の情報と心の情報を全部入れてますよね、この人」
博士「すごいですよね。古館さんの一コマで取って、古館さんっていうのがもう出てますもんね。これ太田光君の表情なんかも最高ですよね」
古館「ものすごい! 爆笑太田さんはもうこれぞ! だから本物が…」
博士「スクリーントーンは使ってない絵であんだけ表情を捉えてるって、なかなか無いなと」
古館「「顔は語る」っていうのは知ってるつもりだったけど、爆笑太田さんに関しては本物が偽物になりましたよ、ホントに」
博士「この絵が発表されて週刊誌に。その翌週には、もう爆笑問題のラジオに招かれてましたからね」

古館「ああやっぱり本人もそこはものすごく得心がいったんだね。
で、この前ね、町山智浩さん。ジャーナリストにして映画評論家の人とやってる時に」
博士「ボクね、古館さんに町山智浩さんの映画評をずっと前から聞いてほしい、読んでほしいって、ずっと思ってたんですよ。ようやくここで結ばれたなと思って」
古館「そうなんですよね~」
博士「ボク、古館さんの映画評もすごくこのラジオでされるじゃないですか。それもものすごく面白いんですよ」
古館「あ、ホント?」
博士「ええ。それをこう対比して、同じ映画で。古館さんと町山さんとこういうふうに語るんだみたいなのを」
古館「そうねぇ。町山さんは会ったことないけど、すごい人だなと思って、前から面白い人だなと思って変わってるわと思って、もうね水道橋博士は変人とか好きじゃない。だから本当にそうだなと思って、この前もその対談を聴いてたんだけども文藝春秋…じゃない『藝人春秋Diary』がらみで。そしたら町山さんがもう…親しき中にも礼儀がない人なのかなんか知らないけど、
“博士、こんな分厚い本出しちゃダメ!”と」
博士「もともと編集者ですからね」

古館「だからプロ筋では正しいことばっかり言ってるんだろうけども、
“薄くなきゃダメ”
“中身は簡潔にして明瞭じゃなければシンプルじゃなければダメ”
“そんな加筆して分厚くしちゃダメなんだ”
“3冊分を1冊なんかにしちゃダメ。だから講談社にも断られるんだ”
とか、
いろいろ言って、
“最終的にスモール出版なんて東中野のね、雑居ビルのところにある小さなところで出して”とか、いろいろ言ってるじゃないですか」
博士「よく知ってますね~」
古館「ボクは見ながら反論してて、町山さんが言ってることはプロ筋として正解なんだろうけど、その正道からはみ出した『藝人春秋Diary』が面白いんじゃねぇかと思って。
「いやいやわかるんだけど町山さんさあ」とか言ってツッコミ入れてたの。そしたら嬉しいじゃない! オレちゃんと調べましたよ。おとといの丸善ジュンク堂。あれ合併して丸善とジュンク堂、池袋。でっかいですよねぇ? そこで6位だよ、この『藝人春秋Diary』が! そして4日前の高円寺。いくらホームとはいえ、高円寺駅前の文禄堂で2位だよ! これ町山さんの定説を打ち破ったじゃん」
博士「はい、そうなんですよね」
古館「(テーブルをドンと叩き)嬉しいねぇ~
博士「嬉しいです。これ出版して2日目で重版かかったんで。重版出来で。嬉しいですね」
古館「うわぁ~。いいねいいねいいねぇ」
博士「でも本屋に並んであると、逆に言うと目立つんですよね」
古館「目立つよ、この分厚さ」
博士「束がこれだけ厚いっていうのは、なかなか無いですし。あと江口さんが言ってましたけど、タイトルを横で書くってところがカッコイイっていうのはね」
古館「なるほどぉ」
博士「この束のところに、こう横にこうタイトルが入るっていう」

たしかにカッコいい! 主張しない奥ゆかしさとスマートさを感じますね。

古館「カッコイイよね、これね~。だからね『藝人春秋』っていうのを、ずっと『週刊文春』で書いてたっていうベースもあり、そこで水道橋博士の観察眼なり文体が全部ある程度は浸透し、さらにここにまとめ上げた感があって。しかもオレがね、ちょっと聞いてみたいなと思うのは、たとえば中身のこともそうなんだけど、一時体調崩してたじゃない。で、今59(歳)でしょ。還暦を前にして、オレがいい言葉だなと思ったのが、どっかで書いてたんだよ。この本の中じゃなかったような気がすんだけど、
「いくつになっても芸人とかしゃべりとかやってるヤツなら、伸びしろねぇなオレとか私と思ったなら即刻やめろ!」と。
「年齢が若かろうが年であろうが、伸びしろまだあるっていうふうに自分のことを思うヤツはずっと続けてほしい」と。これは染み渡ったわ。67(歳)になろうとしてるオレにも」

博士「まあ古館さんがすごいですからねぇ。もうどうしちゃったんだっていうぐらい、こうね各地に出かけて行って。「古舘伊知郎行幸」ってオレは呼んでますけど」
古館「行幸って(笑)。いやぁやっぱりドサ回り、行幸は楽しい!」
博士「やっぱね、プロレス実況のあの経験が、もう一度あれをやりたいってなってるんでしょうね」
古館「そうなんだ」
博士「地方地方行って、人の顔を見てちゃんと言葉で伝えたいと」
古館「最終的に人ってのは風に吹かれたいんだよね。ボブ・ディランじゃないけど「答えは風の中にある」。なんか風の中にないんだけど、あるような気になりたいんだよ。それは年のせいかもだけど。本当に伸びしろがある、と信じて生きてくしかないじゃん」
博士「そうですね」
古館「ねえ」

『風に吹かれて』
リリース:1963年 作詞・作曲:ボブ・ディラン

博士「あと先週の話でいうと、過去にこだわるっていうのは全然悪くないとボクも思ってるんですね。過去の話をたくさん入れるんで。「明日は明日の風が吹く」じゃなくて、「明日は過去の風が吹く」と思って書くんですよね」

◆注釈
ここで博士が言う「先週の話」とは、おそらく2021年10月1日放送分の
『古館伊知郎のオールナイトニッポンGOLD』で募集したメールテーマ、
「今、古舘伊知郎に訊いてみたい事!」で番組終盤にあるリスナーから
送られてきた内容に対する回答を指しているものと思われる。
具体的に記載すると「ネガティブで悩み事を考えすぎてしまうが、どのように切り替えればよいか?」という内容に対し、古館さんが「私は悩み事はグチグチ考えます。後ろを向くから前が向けるんだよ。前があるから後ろ向きにもなれるんだよ。だから後ろ向きに悩み事を考えて、底を突くまで行くだけ行ったろかって開き直ればいいんですよ」と回答。

https://youtu.be/77HRZglIY6o?t=5107

古館「なるほど。だって過去がなかったら、今と未来はないわけだから。後ろを振り返るってことの大切さをこれ教えてもらえてるよね」
博士「全部に日付があるっていうのがボクの特徴なんですよね」
古館「もうね、ホント『日記芸人』と自らを呼び始めてるでしょ」
博士「はい、古川ロッパがそうなんですけどね」
古館「あ~その流れか。高校…中学生ぐらいから日記書くの?」
博士「そうですね。日記が無い時の方が少ないですね」
古館「はぁ~。じゃあもうずーっとその延長線上にこの本は集大成としてあるんだ」
博士「そうですね」
古館「日記を書くことによって、整理整頓され落ち着くこともできる?」
博士「うん。あと人生を本当に1冊の本だとしたら、伏線っていうのは付箋だなって思うようになったんですよ。だから伏線を回収できる、付箋を今貼ってる貼ってるって思うようになったんですね。だからずっとそれが続いてる感じですね。それで50歳を過ぎてから、もうホント回収の連続ですよね。それはでも偶然だけれども、古館さんが言ってた「人生に予告編がある」っていう話。それを最後に持ってきてるのは、あれはボクもずっとあの頃言い出した言葉だったんですよ。『オールナイトニッポン(GOLD)』で古館さんが
“過去3回、オレには人生に予告編があったんだ”
って話するじゃないですか。あの時に「ああこの本のテーマ決まったな」みたいに思ったんですよね」
古館「あ、そうなんだ。あのね、なんかねここにそれ書いてくれてるじゃない。オレが嬉しかったのはね、オレ結構アップテンポでさ、ついついしゃべるでしょ。それいい悪いあると思うんだけど。それがそうじゃなくて、ラジオでしゃべった時になんかどこだっけな。夜空を見上げるようにみたいな書いてくれてない? 探すと人間ていうのは見つからないんだけど、なんかハイテンポでしゃべる古館が『オールナイトニッポンGOLD』の中で、まるで夜空を見上げながら語るように人生には予告編があるんだよなって哀切を込めて語ったってことを結構入れてくれてるでしょ。あれは嬉しかったなぁ」
博士「歯医者さんのお話なんて、ボクすごい感動しましたもん」
古館「ああそうだねぇ。これ話すと長くなるんで簡単に言うと、ボクがまだプロレスの実況で売れる前に知ってる人から
「杉並の歯医者さんに行ってくれ」と。
「自分の遠い親戚筋で一家揃ってアンタのファンってのがいて、変わってんだよアンタ大して売れてもいねぇのに」って言われて。
「そこで夕飯一度食いに行ってくれ」って、わけのわかんないミッションが下って。お世話になってる人だから、知らない家ピンポンって訪ねたの。プロレスの中継終わりで遅く。しかも杉並まで行って、蔵前国技館から。
“なんなんですか?”って言ったんだもん玄関口で。
“いや言われたから来たけど”って、“いやなんなんですか?”って。
「お待ちしてました」って。ボクは夢見心地で、キツネにつままれるとはこのことで、これ幻想なんじゃないかな。オレは夢見てるんじゃないかなと」
博士「その時も夢を見てるような状態だったんですよね」
古館「そう。だって現実とは思えない。だってまだボクなんかプロレスの実況で、ブレイクする前ですからね。
で、「とにかく貴方のしゃべりが面白い。貴方は最後にしゃべり手として大成する」みたいな家族で言うから、ボク宗教の勧誘だと思ったんだもんホントに。それでもずっとご飯ごちそうになって、「ありがとうございました」って座してきたの。なんだったんだろうって」
博士「それが一夜の出来事で、自分が年を経ていくうちに自分が捏造してる記憶じゃないかと思い出すところが好きなんですよ」
古館「ホントにボクは自分の記憶っていうのは、かなり改ざんが入ってるんで。ウソ入ってんですよ。だから財務省もオレにはかなわないだろうと思う。公文書変えるの。だからオレの公文記憶がおかしいと思ってたら、思い始めてきたら今から数年前ですけど、ホテルでパンとエレベーターですれ違った人が振り返りざまに子供に向かって「古舘伊知郎さんだよ」ってやさしく言ったから、あまりにもやさしい言い方でボクに直接向かないんで、
「ありがとうございます」って言ったら、
「覚えてらっしゃらないと思いますけど、杉並の歯医者のせがれですボクは」って言って、チーンとドアが閉まったから、それで「あーーっ!」ってたった1人になってホテルの中で真っ昼間。あ、あの中学生で面立ちがキレイだったあの中学生がもう45(歳)は超えてる状態で、自分の子供に話しかけてんですよ」
博士「だからこれは本当の伏線回収ですよね」
古館「回収。でも、いや…」
博士「しかも現実はチーンって閉まるところがいいですよ」
古館「閉まっちゃう…あっ、それいいんだ」
博士「ええ」

※詳細は『藝人春秋Diary』51章『古舘伊知郎「人生の予告編」[その1]』、もしくは博士がnoteで公開しておりますので、是非お読み下さい。https://note.com/suidou_hakase/n/n1fe85bc7d414

古館「でも『藝人春秋Diary』では、その回収がすさまじいよね!」
博士「そのお話を聞いた後、ボクの話も聞いてくださいって、ボクが妻との出会いとか妻のおばあさんと北野サキさんとの関係とか」
古館「あれもビックリした」

※詳細は『藝人春秋Diary』51章
『古舘伊知郎「人生の予告編」[その2]妻との出会い①』
『古舘伊知郎「人生の予告編」[その3]妻との出会い②』
『最終回 芸人の墓』を是非お読みください。

博士「だからこういうのは古館さんもいつも言ってますけど、自分たちは過剰に言葉を語ってるから、その伏線を回収しやすいんだって。ほかの人は物語を求めない、線を引かないからだ。だから偶然に並んでるような出来事があるけれど、我々はそこに意思的に線を結ぶから星座ができるし、伏線の回収があるんだっていうのは、ホントに古館さんがやられてることと一緒だなと思いますよ」
古館「じゃあ博士もこのノンフィクションの中に、若干意識せざるともフィクションが入ってる可能性ある?」
博士「可能性はあるでしょうね。だから、それができないように日記っていうのは結構まじめに書いてるんですよ」
古館「そっか、ファクトの確認でもあるわけだ」
博士「そうですそうです」
古館「記憶になると若干捏造入るからね」
博士「古館さんと今年すごくライブもやったりしてたんですけど、最終的に古館さんが最初に観たプロレスが間違ってたっていう、あれが驚きましたよね」
古館「オレびっくりしたよ。だって、ちょびっとだけねその話。阿佐ヶ谷で『アサヤン』やってるじゃない。YouTubeにも編集して1時間(アップした動画のこと)。オレも猪木・アリ戦の記念日の時に村松(友視)さんのピンチヒッターで呼んでもらって、楽しく久々にターザン山本と会って、
「山本さん懐かしいわ~」って言ったら、
「いや古館さんとそんな付き合いなかったじゃないですか」って、寂しい男だなこの野郎って思って。何言ってんだよ、あれだけ話してきたのに」
博士「「初対面ですよね?」って言ってましたからね」

古館「だから言ってることがおかしいの、あの人。オレがしゃべる前から
「最高ですよぉーーっ!」って体育館でいつも話してたのに、貴方とは初対面と言われたから、なんだコイツと思ったけど、でもいろいろ寂しかったり嬉しかったりいろいろあって、あのところでボクはもう年表、またすごい人がいるじゃないですか」
博士「相沢(直)君です」
古館「相沢さん。もうねボクは、その相沢さんていう人のこともビックリしてんだけど、博士が日記芸人なら相沢さんは年表作りの達人で」
博士「年表の鬼
古館「年表の鬼だ。もうほんっとにいろんな人の年表をつぶさに正確につまびらかにしていくじゃん。ボクも分厚いの博士から送ってもらって、相沢さんにも感謝、博士にも。ただひとつ、全部納得してオレが忘れてたこと。
オレがいちいち語ってないことも年表で再確認さしてもらって、オレよりすごい年表だって思って、変な気持ちになって。
で、その中で唯一間違いがあると思い込んで博士にも相沢さんにも指摘して。ボクは中1で行ったんじゃなくて、プロレスに初めて後楽園ホールに触れたんじゃなくて、小学校5年の時に叔父さんと一緒に『サマーファイトシリーズ』第2弾に行ってて、そこで猪木と初めて直接会ったわけじゃないけど、猪木がオレの顔を見て「明日の川崎来い」って言ったんだと。
オレが初めて猪木さんと運命的な出会いをしたのが小学校5年だみたいなことで訂正したら、博士もまたマムシの如くね、古館さんってまたメールくれたじゃん。古館さん、これは間違ってますよと。中1の時の正確な『サマーファイトシリーズ』第2弾。オレがショックだったのはその時、小学校5年で初めて猪木さんと会ったとか後楽園ホールでって言ってますけど、その時海外遠征、アメリカに行っていた猪木は日本にいないんですよ、って言われて。
なにーっ、じゃあオレが小学校5年の時のあの記憶はどこいったんだ?
どうしたんだ?

捏造レベルじゃないと思ったら、相沢さんが見事にその間を取って訂正してくれて。古館さん、小学校5年の時に行ってるんですよ、日本プロレスの。その時の記憶をすーっと薄くさせて、中1でもう1回行った2回目の時に猪木は遠征から戻ってきて日本にいたから、そこで大暴れして「明日の川崎来い」って言ってるわけですよ。こういうことは間違いがないんで、ファクトを取って裏取りしてるんで古館さんは新日本プロレスの実況中継を始めて、猪木ファンに再度強くなった時に初めてプロレスを観に行った初体験でプロレスヴァージンを破ったのは“燃える闘魂 アントニオ猪木”だっていうふうに記憶を挿げ替えたくなって、小5の記憶をグーンと脇にどけて、中1で初めて観たっていうふうにしてるんですよ。だから古館さんが局アナ時代の『過激でどーもすいません』っていう田中知二っていう集英社の友達が名前を付けてくれた『過激でどーもすいません』って一番オレの本の中で売れた、本の中では小5じゃなくて中1の時って確かに書いてるじゃないですか。ところが30(歳)を超えてからずーっとね」

◆注釈
古館さんが初観戦した日本プロレスのシリーズ名を改めて調べてみたところ、参照したサイトでは『第一次サマー・シリーズ』となっていました。
※1967年7月21日~8月16日、全16戦開催
古館さんは相沢さん制作の年表によると、1967年7月21日に後楽園ホールで開催の開幕戦を観戦したのだと思われます。

https://showapro2016.web.fc2.com/JWA/JWA-series.html
https://asayan.s-hakase.com/fight01/

博士「すり替わったんですよ」
古館「ていうことを指摘されたでしょ」
博士「STAP細胞はあります、と一緒ですよ」
古館「ホントにそうだよね~。ホントなかったんだよね~」
博士「なかったんですよ、あれは」
古館「この脳内コピペ野郎! だからあれは博士と相沢さんのおかげで、自分が一度崩した記憶を正気に戻してくれたってことだよね」
博士「そうですよね」
古館「だから年表と日記が重なったら、もう鬼に金棒じゃん」
博士「そうなんです。でも自分もそういうこと、しょっちゅうありますからね。中学時代のこの記憶っていうのは、まったく間違ってるっていうのが。日記を見たら、本当はこっちだったんだっていうことがよくありますね」
古館「これはどうしても編集したり切り取ったりパッチワークにしたりっつって、自分の思い出づくりになった時に、よく言やあ発酵させる。ワインセラーの中で。悪く言うと捏造すんだよね」
博士「ボクね、『時計じかけのオレンジ』って映画が自分の映画体験の中で一番好きな映画なんですけど、それを母親と一緒に大学の下見に来た時に、新宿の京王地下でその時リバイバルやったのを観たっていう記憶にずっとなってたんですよ。それを後年、日記を取り寄せてみたら、ボクはひとりで18歳の前日になる誕生日の前日に映画館、東京まで行って正確に言えば友達ひとりいたんですけど、その友達と観てるんですよ。その時に渋谷でビデオを買って、『時計じかけのオレンジ』を買って家に帰って、『時計じかけのオレンジ』をずーっと観てるから、学校行ってなかったら母親がそれをずっと心配して、それをずっと横目で見てたんですよ。その記憶が母親がとなりで観てたっていう記憶にすり替わってるんですよ」

古館「そうなんだよね。こぐま座なのに、おおくま座かなんかから、おいちょっとって星持ってきて入れ替えるんだよね」
博士「星座にたとえればそうでしょうね。自分の意思で引けばいいわけですからね、形っていうのはね」
古館「違う星座にして実にいるっていう記憶には、やっぱりそういう魔物が棲んでんだよね。あのね、つい最近、また話変わるけど、この『藝人春秋』の中には入ってないけども、上祐史浩さんと対談やったじゃないですか。ひかりの輪?」
博士「『街録ch』でやりました」

古館「『街録ch』で。その話もちょっと聞きたいんだけど、いいですか?」
博士「ええ」
古館「じゃあここでちょっと、曲をいきたいんですけど。せっかく博士が来てくれたという昭和53年の曲ですけどね、1978年。もう遠藤賢司ですよ。この『藝人春秋Diary』にも出てきますよね。故遠藤賢司さんですけど、浅草キッドが入って来る時の出囃子は『東京ワッショイ』だよね」
博士「はい、そうです」
古館「じゃあ、ちょっといってみましょう」

博士を招いてのトーク②

古館「遠藤賢司『東京ワッショイ』でした。さっきも言ったようにね、博士ね、オレは上祐史浩さん会ったこともないし、詳しくは知らないんだけど、ボクの中ですごくこうあるのは本当にアーレフ(現Aleph。旧オウム真理教)じゃなくて、ひかりの輪って仏教哲学のね」
博士「そういう意味じゃ詳しいですからね」
古館「釈迦仏教が好きなだけですけどね、下手の横好きだけど。そういうので今はもう完全に麻原(彰晃)から脱してると。そういうふうに言うんだけど、そうかなとも思うし。また一方では、違う見方もあって今は本当に脱してるだろうし、全然違うんだろうと、ひかりの輪ってのは。だけどわかんないけど、10年20年したら、またねある種、麻原の打ち立てたところに寄っていく可能性はないのかって言ってる人もいる」
博士「はい」
古館「だからボクはまったくわからない。そのあたりは。博士という通訳、トランスレーターを通じて、ボクはどっちなのかなというのを確かめたい思いで、夜中に真剣に観たんだけど2人の対談。オレがボンクラなのか節穴なのかわからなかった」
博士「ボクも同級生が中川智正っていう中学時代の同級生だったんで」
古館「岡山の、倉敷時代の」
博士「麻原の主治医で死刑囚で死刑も執行されたんで。その嘆願請求なんかも署名とかしてたんで、減刑ですよね。それで死刑をやめてほしいっていう。そういう意味で言うと、上祐に対して道義的な責任はあるとずっと思ってたので、一緒に対談するのずっと断ってたんですよ。で、今回結構本も読んで、彼がどういう立場で脱会したと。ひかりの輪をやってるかという。あれも損害賠償応じてるんですよね。また信者が、やめた信者の行きどころがなくなるっていうのでやってるっていうことをある程度理解して、あそこの場に立って。
ただ上祐さんに一人語りをしてほしくなかったんですよね。だからすごくボクがあそこで饒舌にっていうか、彼の話を止めて「いや、事実はこちらです」というのをすごくしゃべってるんですよね。あれをしゃべりすぎだって、すごく若い人が書き込んでるんですけど、いやいやいやあの時代同い年だし、あの時代にボクはたけし教に入ったけどオウムに入った人っていうの、カルトになっていく気持ちっていうのはわからないでもない。
バブルの時代に向けていって、そうではない精神世界の中にいたわけだから。芸人ていうのもそういう世界だったし、ボクは家出と勘当されてるし、そういう世界観だったから。わかることはわかるし、でも彼らがやったことは犯罪だっていう気持ちもあるし、その許せない気持ちもあるんですよね」
古館「ボクの中にも広報部長という要職にあって、あれだけ前面に立ってオウムの立場からずっと正当性を訴えてた人なんで、少なからず罪があるという中で個人の懊悩おうのうとか今のひかりの輪っていうことに関してボクは勉強は一切しないけれども、やっぱりそういうものがあると思うんで本当に本人は脱会したつもりでも、潜在意識が深い意識があるいは今後はどうなのっていうのはわからない。博士はどう思いました? 完全に抜けきってんですか、松本智津夫から?」
博士「(麻原と)呼び捨てにしてますしね。それはそうでなければ、人前に出てはいけないとボクは思うんですよね」
古館「そうだよね。オレもそう思うんだよね」
博士「生きていかなきゃいけないのはそうであるけれども、団体を率いてはいけないだろみたいにボクはずっと思ってましたよね」
古館「あとちょっとその…本質的なところを置いといても不思議だったのは、う~ん、博士といよいよ対談するということになって向き合った時に、博士はもちろんリサーチしてるわけだけど上祐さんは水道橋博士という芸人を知らないと言いましたよね」
博士「そうですね。町山智浩さんも知らなかったのは驚きました。同級生ですからね」
古館「そう。早稲田(大学)高等学院で一緒なんでしょ?」
博士「ええ」
古館「町山さんも変わってて。顔見知り程度、友達じゃないにしても同級生だからって町山さんとの対談の時に博士が聞いたら、
“知らないよ、そんなの! それでね”って話変えたでしょ。
それもまた変わってんなと思ったけど、知ってても知らなくてもいいんだけど。でも水道橋博士という芸人。いいんですよコラムニストだと勘違いしようが、なんでもいいんですよ。ルポライターだと思っても。でもその存在を知らないで、なんで会いに来るんだろうね?」

博士「それはまたタイプが違うんでしょうね。古館さんはインタビューとは日本語で置き換えたら「準備だ」っておっしゃってるじゃないですか。徳光さんとの対談でおっしゃってましたよね」
古館「ああ…言った言った」
博士「ボク、すごくそれは納得できるなと思って。スポーツ実況の人はみんなそうだって、徳光さんも言ってましたけどね」
古館「資料を作らないことには始まらないんでね」
博士「そういう手札を何枚も持っていて、それを使わないにしても持ってることで余裕を持って実況できるんだって。でもプロレスはそれができないっていう話してましたね」
古館「そう、あまり資料を必要としない世界。もう目の前で起きてる絵巻物をどう描写するかっていう世界になるから、資料に基づいて捨てるものを捨てる、生かすものを生かすっていうことはなかなかやりづらい。プロレスの場合はもうひとつあるのは、インタビューは準備なの。なんでかっていうと、インタビューをこうやって対面でしてる時にオレは博士のオレなりのアウトラインは…知らないこといっぱいあるよ。だけどある程度、博士とは縁があるから知ってるじゃん。そうすると知ってるって余裕があると、「博士それわかんない」とか」
博士「ああ、なるほどね」
古館「「ちょっとそれ教えてよ。だって上祐さんのことわかんないから教えて、会ったんだから」とか、わかんないってことをこんなに自信を持って言えるってのはインタビューの妙味なんですよ。これを最大限使ってんのが田原総一朗さんですよ。「ちょっとわかんない、それ! CM行かない? 行く? 行かない?」って誰に聞いてるかわかんない。「ちょっとわかんない、それ」って必ず言う。わかってるから言えるんですよ、準備してね。
だけどプロレスってのは、まったく違う世界。目の前で起きてることをまことしやかに言わなきゃいけないっていう難しさ。もっとあんだけど。それ置いといても今いろんな人と絡んでるじゃないすか。いいよね! この『藝人春秋Diary』の中でいうとオレは、阿佐ヶ谷で会った三又又三さん。やっぱこの本の中でもものすごい面白くて、あの人の巻が! 大評判だと思うんだ、この人の巻ね。なんなの、三又又三さんって? あれ地球人なんですかね、あの人? なんですか?」
博士「「なんで博士は三又又三を必ず書くんですか?」って聞かれるんですけど、自分でもよく考えてみて『悪人正機説』だと思ったんですよ」
古館「(テーブルをドンと叩き)え~親鸞聖人ですか!」
博士「ええ。『善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや』って意味で、『いわんや三又をや』なんですよ」
古館「みま…ああ、そうかぁ! 『いわんや三又をや』だ。でもそうやってあの人はずっと渡り歩いていけるんだね」
博士「でも芸人ってやっぱ、ろくでなしも面白いんですよね。ろくでなしもいていいよ、っていう」
古館「あの人、もうさ。阿佐ヶ谷で会った時、旧知の仲と会ってるように話しかけてくれたからね」
博士「はっはっはっは」
古館「「よかったですよぉ~古館さん! まあウマいわ、切り口が」とか。いや司会じゃないし。「いやいやよかった!」って、あの時緊急事態宣言だから飲みに行けない。「飲みに行きてぇ気分だわ~」とか散々言ってて、そのまんまのテンションで1週間ぐらい経ってYouTube観てたら夜中に。三又又三チャンネルで「古舘伊知郎。これはただもんじゃないよ!」って言って」

博士「はっはっはっは。言ってましたね。よくチェックされますね~!」
古館「たまたま三又さん出てきたの。AIが判断したのかな、オレの心理を。三又又三って出てきたから見たら、オレのこと言ってくれてたの、友達のように。友達じゃないのにさ、なんなのあの人?」
博士「めちゃめちゃ嬉しいらしいですよ」
古館「そうなの?」
博士「古館さんがチェックしてくれてんのが」
古館「そうなんだ」
博士「(千原)ジュニアと一緒に仲いいですからね。それでチェックされてますからね」
古館「ジュニアの三又又三バカヤロートーク、めちゃ面白いもんね。なんで話が盛り上がってる時に、こんなにも水を差せるんだっていう。この『藝人春秋Diary』の中では、三又又三のことを今思い出した。ここ面白いなぁと。どすべり寒波芸人と呼んでる」

博士「よく覚えますね~」
古館「これ面白いから、やっぱり。どすべりでさらに寒波がやって来るんでしょ、彼がしゃべると。やっぱり『悪人正機説』か」
博士「そうですね。あとサーフィンにかけてますからね」
古館「そうか。歯4本折ったんでしょ?」
博士「もっと折ってますね」
古館「だからボクシングも含めて何本折ってんだっけ?」
博士「あ~それはすごい折れてますね」
古館「ボクシングの1回…」
博士「箕輪厚介の」
古館「全部インプラント?」
博士「全部インプラントです」
古館「キレイに完成した?」
博士「はい」
古館「サグラダ・ファミリアを超えて」
博士「はっはっはっは」
古館「完成した?」
博士「1本1本ね。まだ完成しないんでしょうねサグラダ・ファミリア」
古館「そうそうそう。できあがった時に、どこかが壊れていくと。だけどホントに自分のサーフボードで小っちゃかった子供を連れて、息子を連れて行った九十九里でバコーンとサーフボードにぶち当たって」
博士「最初の波でね」
古館「最初の波で。ほいで4本?」
博士「そうですね。その時は4本だった…ポロポロポロと落ちて」
古館「よく3時間ガマンして風に吹かれていたよね(感情を込めて嘆く)」
博士「それが申し訳なかったんですよ。プロの人、連れてきてもらってたから。三又も「シャレになんないですよ、今帰ったら」って言うから。そしたら歯医者さん行って、しばらくして「これ気絶しても当然なぐらいの痛みですよ」って」

※詳細は『藝人春秋Diary』3章『またまたまた三又又三』をお読み下さい。

古館「そうでしょ。前歯めちゃめちゃ折って。かぁ~だけど、よくやるなぁ。あとまた全然話が変わるんですけど、あのぉエガちゃん(江頭2:50)
博士「はいはい」
古館「前、言ったっけなぁ? 今からもう4年ぐらい前かな。エガちゃんが病気でちょっと落ち込んでる時の最後の頃ぐらいに、いきなりオレの古い携帯電話が鳴って。そしたらエガちゃんから電話かかってきて」
博士「そうですか」
古館「そんな親しいわけじゃないから。「エガちゃん、どうしたの?」って言ったら、「古館さん…ちょっと鬱で落ち込んでて、でも良くなってきたんでこれから頑張ろうと思ってんですけど、誰かとつながりてぇと思って電話しましたぁーー」って、「たぁーー」って伸びるんだよね。それをまじめに聞かなきゃいけないじゃん、どういうコンディションかわかんないのに。
だから「たぁーー」っていうのをずっと聞いて、ずーっと間を置いて、しゃべりたい衝動を抑えて。それで「エガちゃん、今元気なの? これから再始動するわけね?」って(聞いたら)。(江頭が)「そうなんですーー」。
話すことがオレも無くなってきて、「エガちゃんさ、オレだいぶ前だけど中野で公民館みたいなところでやって、後ろに浅草キッド2人いて」」
博士「ああ、あの時いらっしゃってたんですね」
古館「そう。玉ちゃん(玉袋筋太郎)と博士がいて、そのちょいちょいちょい前ぐらいにオレが座らしてもらって」
博士「あ、そうか。(なかの)ZEROホールですよね」
古館「そう。とにかく北朝鮮の平壌にツアーで行って、それからでんでん太鼓を300個届けるっていうテーマで。しゃべるたびに5分以内にグッと詰まって下手の袖に戻って、なんかメモ書きを読んでまた出てきてまた戻るってことを繰り返して、ジャージの上下で逃走したでしょ」
博士「最終的にはね」
古館「最終的には。そいで」
博士「できませんって」
古館「できませんって言って終わっちゃったじゃん。これ最後まで狙いかと思ってたの」
博士「ああ、なるほど」
古館「ちょっとプロレスチックに捉えて」
博士「はいはいはい」
古館「だけどそれがずっと気になって。あれエガちゃん、本当に狙いじゃなくて本当にパニクってタクシーに乗って帰っちゃったんだって。「はい、逃走しましたーー」って言って、ずっと低調なトークで終わったきりなんだけど。今はもう本当にYouTubeもハネて、大元気あの人?」
博士「『エガちゃんねる』やってますよね。いろんなところ行ってますよね。佐賀帰ったり」
古館「あんまり付き合いはないの?」
博士「ちょっと今ないんですよ。ないっていうかボクもYouTubeに出てほしいから、連絡取ってるんですけど」
古館「あ、そうなんだ。あの時も浅草キッドの2人がいたからさ」
博士「はいはいはい」
古館「折に触れて会ってんだね、いろんなとこで」
博士「そうですね」

◆注釈
江頭さんの単独ライブは2003年4月15日開催『江頭 in 北朝鮮』。
詳細は博士のブログをご参照ください。
ちなみに古館さんとお会いしていることにも触れています。

https://ameblo.jp/suidobashihakase/entry-12651832404.html

古館「ねぇ~。あとねぇオレ、これでねぇちょっとねぇ、興奮したのが三又又三の話ばっかじゃ、これ好みがあると思うからね。加賀まりこのところでいいな~と思ったねぇ。加賀まりこ姐さん。あれ、たけしさんと付き合ってたの?」
博士「(吹き笑い)…付き合ってたわけじゃないですけど」
古館「そういう書き方じゃん」
博士「いや、加賀まりこさんが想いを寄せてて、いつも待ってたんですよね『(風雲!)たけし城』の楽屋でね」

※詳細は『藝人春秋Diary』13章『女優・加賀まりこ やすらがない郷』をお読み下さい。

古館「それから数年後にオレは『夜のヒットスタジオ(SUPER)』で1年間」
博士「そうですね! そうかそうか」
古館「幕引きの1年間(1989年10月18日 ~1990年10月3日)、加賀まりこ姐さんと私で、それはそれは往生しました。
来るゲスト来るゲストにツッコミ入れて、あの姐さんが。オレは全部それを事態を収拾してかなきゃいけないんですよ。もうオレはホント苦労した分だけ、いまだに仲いいんだけど。
『梅切らぬバカ』って映画の主演やってまして、11月に公開されんだよ加賀まりこさんの。ほいで、ドランクドラゴンの塚地(武雅)さんが自閉症の息子さんの役で、加賀まりこさんが占い師でお母さんで小さな仕舞屋に住んでいるっていうね。大きなマンションのとなりの仕舞屋に住んでる。梅がグーッと市道の方に競り出してる『梅切らぬバカ』っていうタイトルなんですね。これはいい映画。
姐さんから「伊知郎ちゃん、映画観てくれたんだって。ありがとう。配給会社の人から聞いたわ」って、メールが久々に来たから。で返して。
「姐さん観ましたよ。フランスのヌーヴェルヴァーグを観るようで~」って、オレはフランスのヌーヴェルヴァーグをどれだけ知ってんだっていう話なんだけど。いいや突っ込まれてもと思って(メールを)返したら、それまた喜んで「77(歳)になりました。幸せな人生です」
博士「そうですよね」
古館「たけしさんとずーっと朝まで4軒ハシゴして、加賀まりこ姐さんはそのたんび『天城越え』を歌い上げてたんでしょ」
博士「はい、そうですそうです(笑)」
古館「ネタバレで申し訳ないんだけど。よくいろんなところで見てますね~」
博士「でもこないだ『横尾忠則展』の最終日に、ボクもっと前に行ってたんですけど、三又に勧めて三又が最終日に行ったんですよ。そしたら並んでる後ろに加賀まりこ夫妻がいらっしゃったっていう」
古館「事実婚の」
博士「ええ」
古館「うん、うん」
博士「オレなら話しかけるよっていうね(しみじみと)。それを話しかけなかったっていう、もったいないなぁと思いましたね」
古館「そうなんだぁ。でも今、いい感じになってます」
博士「ボクだって、1回きりですからね。ちゃんとお話したのは。番組に出て、「ちょっと貴方!」って指差して。「貴方、私のこと褒めてくれたでしょ!」って、なんか褒められてんだか脅されてんだか、よくわからない会話を(笑)」
古館「当時だから、タバコ吸いながらでしょ」
博士「そうですね」
古館「ねぇ! オレはそれもうホント目に浮かんだもん、それ…あっ、コマーシャルですか? はい」
※ジングルが入りCM。

博士を招いてのトーク③

古館「いやぁあのぉ…あと7分ちょっとありますんでね」
博士「ボクからもいいですか?」
古館「ええ」
博士「ボク、この本書く最後の方でですね、安住(紳一郎)さんの話を書いていて。『ぴったんこカン・カン』立教大学行って、安住さんが薬の名前を全部言うっていうね」
古館「そうそうそうそう。(19)94年の『トーキングブルース』の一部を彼が丸暗記してやってくれましたね。そうそうそう」

博士「で、あの後、安住さんがもう嗚咽して泣くっていう時に、古館さんはそれを見ながら、ボクはテレビ観ながら「泣いた!」って思ったんですよ、古館さんが。だけどどっちか判定ができなかったんですよ。で、ショートメールで古館さんに「あの時は泣いていましたか?」っていうのをボクが聞いて」
古館「そうそうそう。聞いてきたね」
博士「古館さんは「いや泣いてないです」っていう。まだテレビで一度も泣いたことがないっていう」
古館「そうなんだよ。それでさ、これ今出したけど『天才アナウンサー・安住紳一郎の穴』っていうとこで(『藝人春秋Diary』9章のタイトル名)。まあこれネタバレになるから、日光東照宮でのエピソードは割愛しますけども、めっちゃ面白いんですよこれ! この回! ほいで大笑いして見て、面白い文章だなぁと思って、今の『その後のはなし』っていうところの後日談で『ぴったんこカン・カン』の話をして、「安住は泣いた。古館は泣かなかった。あの「人より心が冷たい男」古舘伊知郎は~」っていうところで(笑)」
博士「これ『藝人春秋』の1にそれが出てるんですよ」

◆注釈
『藝人春秋』(文藝春秋)「古舘伊知郎」の章
博士がある質問をした際に、古館が回答した言葉。

古館「そうそうそう。ここで改めて見て、ほんっとにね、ここだけだよ反論したかったのは。やっぱオレは泣きたいと思って、ひとりの時は泣いてんの」
博士「泣いてますよね。映画観ても泣いたって。よく試写会で」
古館「映画観ても泣くんだよ。でも仕事上で、ラジオでもテレビでも電波に載ってる時とかYouTubeであってもネットでも仕事だった時の脳は、絶対泣きたいと思った瞬間に涙が出ないのよ。もうストッパーがバーンって。だから閉店ガラガラじゃないけど、ほんっとにシャッターがバァーってなるの。これをなんとか徳さんやみの(もんた)さん、安住のように自然に泣けりゃあいいのに。徳さん泣きすぎだと思うけど。やっぱり自然に泣けばいいじゃないって思うのに、バァーーってストッパーかかんの。だって感涙教室っていうのを(放送)作家の柳澤(正樹)と2人で行ったことがあるぐらいだから悩んで」
博士「ははははっ! そうですか」
古館「感涙教室セミナー。そこでも泣けなかった。ちょっとした仕掛けがあるでしょ、そういう教室って。横の50いくつの柳澤っていう放送作家は、同じ古館プロジェクトの。5分で、スライドが流れるだけで5分で「スーッ、スーッ、アアーッ…娘のこと思い出す」とかいろんなこと言ってんだよ。オレはその泣きじゃくる姿を見た瞬間に泣けなくなるの」
博士「すごいですね」
古館「なんだろう?」
博士「ボク、娘の結婚式のことを予想するだけで、すっごい泣けるんですよ。古館さんがこないだ(田村)淳君のあれで、娘の結婚式の…」
古館「そんなラジオも聴いてくれてたの!? また別の局なのに! ありがとうございます」
博士「それで泣かなかったって話聴いて」

古館「娘で父親席だとさすがに泣くだろうと。これ仕事じゃないから。だから司会に回ったんだもん。ほんっとに平にお願いするっつって、司会やらせてくれって娘に言ったの」
博士「鈴木おさむさんがYouTubeで対談して、今田(耕司)君が泣くんですよ、鈴木おさむさんの芝居で。今田君泣くって珍しいじゃないですか。「古館さんていうのは、まだ一度もテレビで泣いたことないんですよ」って言ったら、すごい作家心を刺激されるって言ってましたよ」
古館「そうなんだ」
博士「古館さんに出てもらって、それで泣く芝居を本当に涙が出る芝居を書きたいっていうふうに」


古館「いやぁ、それはまったく無理だね」
博士「はは、そうですか」
古館「もうだから、泣こうと思っちゃうから、一生懸命。オレ『報ステ(報道ステーション)』でも特集やってて、泣きそうになったことが4~5回ありますよ。もういいや、正直に泣いていいよねって言い聞かせた瞬間、もう泣けないんだから。そうだ仕事だ仕事だっていうふうになるから」
博士「あの『16小節のLOVE SONG』が流れてて、あの手紙を読める神経がわからないですもん、ボクなんて」

古館「わっはっはっは。「人より心の冷たい男」。神経がわからない(笑)。仕事だから、お仕事だから」
博士「得意技を隠すってそういうことなのかなとかね」
古館「いや、ていうかもうあれは割り切って、聞いてる人やゲストがいい気持ちになってもらうところだから、オレは脇役じゃないですか。だからあんまり自分の感情は出しちゃいけないっていうか。だからあの、風俗の方が「キスはやめて。お仕事だから」って、その古い表現ですけどね。それなんですよね」
博士「でも、みうらじゅんさんは
「女の子はおセンチだけど、男も50(歳)を超えたらドセンチになる」って言ってましたよ」
古館「ああ、確かにそうなの。ドセンチですよ」
博士「ドセンチでしょ? ドセンチメンタルになりますよね?」
古館「ドセンチメンタル。もうね、泣きたくて泣きたくてしょうがないんだから。それをダムが決壊しないように強烈なストッパーかけてるだけ。もうあとは決壊を待ってるぐらい。だけどこの『藝人春秋Diary』を安住ヴァージョンを読むにつけ、やっぱり(テーブルをドンと叩き)泣いちゃいけないんだと思ったんだ」
博士「そうですか」
古館「オレは自分の個性として、これ大事にしなきゃいけないと思ったんだ」
博士「なるほど」
古館「だから、この本はいろいろ教えられるね、博士」
博士「でも、あそこまで裏取ってたのすごいでしょ? 最後の判定は本人に聞くしかないと思って」
古館「だからそこが年表であり、日記芸人であり、要するに竹中労が巣食ってるわけですよ。ルポライターが」
博士「はい」
古館「ねぇ。でもね、いい本を出してくれました。これはもう1年、2年で廃れる本じゃないと思うんで、ひとつのバイブルになっていくわけじゃないですか」
博士「そうありたいですけどね」
古館「ねぇ。これは是非頑張っていただきたい」
博士「ロングセラーで」
古館「まあここんところも、ほんっとに、よくぞ頑張ってるね! もうこのラジオならぬ、ほかのラジオならぬ、いろんなところを動いてるじゃない。ねっ! 大丈夫?」
博士「大丈夫です大丈夫です(笑)」
古館「大丈夫?」
博士「また倒れるんじゃないかってね(笑)」
古館「いやいや倒れるとは思わないけど、一日2万歩とか歩けなくなったでしょ? 忙しすぎて」
博士「歩いてますよ。結構歩いてます。1万歩以上、歩いてますね」
古館「そうなんだ。いやぁ、ちょっと精進をしてもらっててですね、この本のこともそうだし、それ以外の活躍も大いに期待してますんで。また機会がありましたら、いろんな…」
博士「是非是非!」
古館「あのぉ、いつ(新型コロナウイルスの)第6波来るかわかんないけど、合間で酒でも飲みながら話す機会があればと思います」
博士「そうですね。飲み行きたいですね」
古館「村松友視さんとか。ターザン山本さんとか猪木さんとか。ふっふっふ」
博士「その話もありましたもんね」
古館「そう。この話も今日したかったんで、ちょっと時間切れになってしまいましたけど。これの事実関係のこともまたゆっくり話させてください」
博士「そうですよ」
古館「それじゃあ本当大いに期待しております。我々まだ伸びしろがあるってことで頑張りましょう!」
博士「頑張りましょう」
古館「ありがとうございました。今日は水道橋博士さんにお越しいただきました。月に1回、ニッポン放送から全国ネットでお送りしております『古舘伊知郎のオールナイトニッポンGOLD』。この後11時台へと続いていきます。博士、ありがとうございました!!」
博士「ありがとうございました」
古館「お茶の水さん、ありがとうございました
博士「お茶の水じゃないんですよ…」

◎こぼれ話
この放送から約2か月後、本当に博士の表記が「お茶の水博士」と記載される誤記が発覚。“嘘から出たまこと”とは、こういうことなのでしょうね。

https://www.j-cast.com/2021/12/23427721.html?p=all

 





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