水に流れる二枚目の木の葉『春琴抄』

Guten Morgen, Guten Tag, Guten Nacht. Ich bin mole.

挨拶だけドイツ語に対応してみました。もるです。

今回取り上げるのは、新潮文庫より上梓されている『春琴抄』(著:谷崎潤一郎)です。

気の向くままに読んだ本を取り上げるので、前後の脈絡は全くありません。支離滅裂な人間がいるもんだと思っていただければ幸いです。幸いではありませんね。

この本について、よく覚えていることがあります。

センター試験を終えて国公立大学の二次試験対策授業を受けていた、高校三年生の2月のことです。
担任であり国語の先生が授業に用いた教材から話がはずんで、好きな本を各生徒に訊いて回っていました。
その時、私は丁度谷崎潤一郎の短編集(同文庫『少将滋幹の母』や『痴人の愛』等)にハマっていた時期でしたから、『春琴抄』だと答えました。
先生は「私も好きだ」と言った後に、どういったところが好きだったのかを私に尋ねました。
ズバリ、最後の佐助の一場面だと答えました。
先生も全く同じだったそうで、国語の授業は巡り巡って谷崎文学の話に帰着した次第です。

こうしたことを不図思い出して改めて読み返し、何が魅力的だったのかを考えたので、書き起こしてみます。

まず第一に魅力的なのは、かつての文学に特有な格調高く見事に整理された文語を用いて、著者の生きている世界を書き表していることです。

文章の一文一文はさほど句読点がないため長めなのですが、格調高さと読み易さを両立させた絶妙な書き方のために、読み難さを読み手に与えないのです。

例えば、以下は春琴の稽古に付き従う内に佐助の音感が鍛えられた所です。
「春松検校が弟子に稽古をつける部屋は奥の中二階にあったので佐助は番が廻って来ると春琴を導いて段梯子を上り検校とさし向いの席に直らせて琴なり三味線なりをその手前に置き、一旦控え室へ下って稽古の終るのを待ち再び迎えに行くのであるが待っている間ももう済む頃かと油断なく耳を立てていて済んだら呼ばれない中に直ちに立って行くようにしたされば春琴の習っている音曲が自然と耳につくようになるのも道理である佐助の音楽趣味は斯くして養われたのであった。」(23-24頁)

途中、句点が一度あるだけですが、するすると読むことが出来ると思います。
それでいて、二人の関係性や佐助の若干の為人も見えてくるのではないでしょうか。

てきとうに本を開いて目についた所から引用したので、もっといい文章があるとは思いますが、本文全体がこのような感じだということが伝われば大丈夫です。

それでは、高校時代の国語の先生と「臨場感がある」と言って共感した、文章をご紹介して今回は筆を置きます。

スパッと短く書ききることも大切ですから、訓練です。むふん。

場面は、見目麗しい春琴が暴漢の闖入によって彼女の美貌に瑕疵を残してしまうところです。

佐助はその数日後に白内障になり、春琴の美貌が凋落する様を見ることなくその後の人生を過ごします。

あまりに時期のよい白内障ですが、実は佐助が自身の双眼を潰していたのです。
というのも、佐助の認識において、春琴の美しさを保ち続ける唯一の方法が失明だったからです。これも一つの愛の形かもしれませんし、崇拝のようなあるいは逃避のような心境かもしれません。忠誠の一形態でもあるでしょう。読み手の解釈次第です。

その時の佐助の描写にはあまりに真に迫った臨場感があります。ものすごく長いですが引用します。

「然るに養生の効あって負傷も追い追い快方に赴いた頃一日病室に佐助が唯一人侍坐していると佐助お前は此の顔を見たであろうのと突如春琴が思い余ったように尋ねたいえいえ見てはならぬと仰っしゃってでござりますものを何でお言葉に違いましょうぞと答えるともう近いうちに傷が癒えたら繃帯を除けねばならぬしお医者様も来ぬようになる、そうしたら余人は兎も角お前にだけは此の顔を見られねばならぬと勝気な春琴も意地が挫けたかついぞないことに涙を流し繃帯の上から頻りに両眼を押し拭えば佐助も諳然として云うべき言葉なく共に嗚咽するばかりであったがようございます、必ずお顔を見ぬように致します御安心なさりませと何事か期する所があるように云った。それより数日を過ぎ既に春琴も床を離れ起きているようになり何時繃帯を取り除けても差支ない状態に迄治癒した時分或る朝早く佐助は女中部屋から下女の使う鏡台と縫針とを密かに持って来て寝床の上に端座し鏡を見ながら我が眼の中へ針を突き刺した針を刺したら眼が見えぬようにばると云う知識があった訳ではない成るべく苦痛の少ない手軽な方法で盲目になろうと思い試みに針を以て左の黒眼を突いてみた黒眼を狙って突き入れるのはむずかしいようだけれども白眼の所は堅くて針が這入らないが黒眼は柔かい二三度突くと巧い工合にずぶと二分程這入ったと思ったら忽ち眼球が一面に白濁し視力が失せて行くのが分かった出血も発熱もなかった痛みも殆ど感じなかった此れは水晶体の組織を破ったので外傷性の白内障を起したものと察せられる佐助は次に同じ方法を右の眼に施し瞬時にして両眼を潰した尤も直後はまだぼんやりと物の形など見えていたのが十日程の間に完全に見えなくなったと云う。」(78-79頁)

こうした文章を書ける人間になりたいものです。
若干意味は違いますが、一字千金もかくやと思わずにはおれません。

それでは、この辺りで失礼致します。
閲覧していただき、ありがとうございました。



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