水に流れる五枚目の木の葉『人間はどういう動物か』

こんにちは。もるです。

今回は、ちくま学芸文庫より上梓されている『人間はどういう動物か』(著:日高敏隆)です。

当たり前ですが、人間は動物です。一見当然なこのことについて、自分自身のことに引き寄せて考えてみると、様々な面で興味深い話題なのです。
とはいえ、人間であるというからにはどこかしらで何かしらの理想像なり目的なりを多分掲げています。しかも、それは決して利己心に終止するものではないはずです。
ですが、動物について分析を重ねていくと、どうにも利己心が根幹に潜んでいるようです。確かに、遺伝子を後世に残したいという欲求もあるのですが、それだけではなさそうです。こうした事例は、動物の一員である人間にもそれは例外ではないのです。

人口増加を例にあげてみます。
人口増加の要因は、人間という種のために、個々人がより多くの自分の分身を残そうとするからだと一方で考えることが出来ます。しかし、動物から学んで得た知見によれば、動物は種なぞ気にしません。問題なのはどこまでも個体なのです。
しかも、各個体の基準は極めて簡単で、他の個体との諸関係を鑑みた上での個体の適応度増大です。早い話が、個体自身が満足できればそれでいいのです。
学問的充足であれ、精神的充足であれ、人間関係構築への満足であれ、肉体的充足であれ、性欲的充足であれ、何でもよいのです。
読書が嫌いで筋骨隆々な肉体を以て運動を行う人の満足感も沢山の書物を読み様々な知見を得る人の満足感も比べようがないのです。貴賤はありません。どちらかがどちらかを見くびるものではありません。
勿論、そのときに必要な労力と得られる結果を比較した上で、個体自身がよければそれでよい。
自分自身が痛い目を見ないために、他人を思いやる。こういったところでしょうか。

さて、人間は他の動物と何が違っているのでしょうか。
答えの一つは言語や学習の仕方だと著者は言います。
人間が3~4歳の頃までに言語の構造をを理解するのですが、このとき育つ環境によって得られる言語構造も異なります。この時の環境全体が文化と言われるものでしょう。

要点もまとめずに書いてしまいましたが、特に私の関心に触れた点を取り上げてみます。
人間の攻撃性もまた遺伝子に組み込まれていることです。
何をするにしたって打算的です。だとすれば、人間な基準が全くわからないしその基準も人それぞれな功利主義者でしょう。人間は別に崇高な目的意識を持たねばならない存在ではありませんから。それが良いとか悪いとかではなくて、「そういうもんだ」「自分にも当てはまるかも」と割り切って、冷静な眼差しを以て自分自身と付き合っていくのがよさそうです。

『人間はどういう動物か』の本文はは、このブログでの文章の様にとっちらかっておりませんので、興味を持たれましたら是非。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
講談社学術文庫より出版されている『〈身〉の構造』(著:市川浩)あたりを次に取り扱ってみようかと考えております。

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