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臨済寺 特別参拝(静岡でどうする? 1)

もう2週間前になってしまいましたが、臨済寺の特別参拝に行ってきました。

臨済寺とは、静岡市葵区にある今川家の菩提寺で、竹千代時代の徳川家康が、人質として預けられていたお寺です。

もともとは、出家した今川義元の為に、父氏親が名軍師として名高い太原雪斎を招いて建立した善得院というお寺だったそうです。
義元の兄氏輝が急逝したため、義元が還俗して家督を継いだのです。

その時義元が、兄氏輝を弔うために大休宗休を開山として改めて開いたのが、臨済寺です。

太原雪斎といえば、今川義元の軍師として、徳川家康の教育者としても有名ですよね。

このお寺は、普段は修行の寺として、本堂に入ることも、御朱印をいただくこともできません。
一年に2度、5月19日の今川義元の命日と、10月15日の摩利支天祈祷会の年二回だけ、特別公開が行われるのです。
ちなみに、摩利支天は、徳川家康が軍神としていた信仰していた神様です。

そして今年10月15日。
日曜日でしたので、
行ける!  行こう!!!
ということになりました。


さて、この日は深夜からの大雨。
朝家を出るときにも、かなり激しい雨が降っていました。
静岡駅からバスに乗って臨済寺に向かうときも、バスの窓が曇って、市内を全く見ることができませんでした。

しかし臨済寺前のバス停を降りたときには、小雨になっていて、傘はさしていたけれど、歩くのが嫌だと思うほどでもありませんでした。

臨済寺の前に着くと、背後の賎機山に霧がかかり、なんとも趣がある。
以前晴れの日に来た時より、厳粛な古刹と言うにふさわしい雰囲気が漂っていました。

山門には、徳川葵のご紋が掲げられている。

5月の特別参拝の時には、ここに今川の五七桐紋が掲げられるそうです。

山門の扁額は、徳川慶喜の筆。
幕に隠れて見えませんが、両側には阿吽の仁王像があり、これはもともとは静岡浅間神社にあったものだそうです。

以前来た時に撮った写真ですが

門の手前に置いてある箒と木桶は、置き忘れではなく、置いてあるものなのだそうです。その置き方も美しく、修行寺としての品格を思わせるものです。

本堂への階段を登ります。
階段の両側には、摩利支天の赤いのぼりが立っています。

なんだかいいにおいがする。
キンモクセイ?
周りをキョロキョロするけれど、黄色い花は見当たらない。
匂いの方に進むと・・・

これは、ギンモクセイ⁈
キンモクセイによく似た花だけれど、花の色がクリーム色。

ギンモクセイは、キンモクセイに比べて香りが薄いらしいのですが、満開だったせいか、辺り一面にいい香りを漂わせていました。

本堂の前に着きました。

本堂にも徳川葵の御紋が掲げられています。
もうかなり人は来ているのですが、なぜかガヤガヤした感じはしませんでした。
修行寺としての、ピリッとした空気を感じるようでした。

本堂に入るのに、特別公開だというのに、拝観料はありませんでした。
そして紙の書置きではありましたが、御朱印があります。
おいくらですか?と尋ねると、
決まった金額ではありませんので、お気持ちをお願いいたしますという。
しかも先着で何名かに、静岡大河ドラマ館の入場券をいただけるという。
更にすごいことに、写真の制限が一切ない。
何でも撮ってくださいという。

このような素晴らしいお寺をただで見せていただき、写真も撮り放題で、大河ドラマ館の入場券もいただけることに感動して、御朱印代(2枚)として1000円札を一枚出しました。(これでも足りないくらいですが、まあ、身の丈で)

南無無量壽佛 摩利支尊天

ということで、臨済寺の内部を、パシャパシャ撮らせていただきました。

狩野派の絵師によるもの
虎に睨まれている気がします
山岡鉄舟が書いた「東照宮守護大摩利支尊天」の書
伊藤博文の書
徳川家康が寄進した千鳥図という金屏風

今川義元公、氏輝公の等身大の木造。
普段はしまい込んであるそうです。
左側義元公、右が氏輝公です。

その手前には、山門の扁額にされた慶喜公の字の実物

本堂には、この日蝶の標本がたくさん置かれていて、お寺なのに虫の死骸(言い方!)を飾っていいのかな?と思っていたら、その蝶の供養が行われるということでした。

本堂の奥の方に、幕がかかっていますが、その後ろに今川義元始め、歴代今川家当主のきらびやかな金色の位牌が並び、そこに小さなかわいい家康公の像があります。

開山堂には、太原雪斎と大休宋休の等身大の坐像。
こんな感じの方だったのか・・・とイメージできます。

座禅堂には、摩利支天と多くの神様

この後、大書院に行きました。

大書院に登る階段

大書院には、驚くような文化財がたくさんあります。
博物館のショーケースの向こうにありそうなものが、ガラス越しとはいえ、目の前でみれるのです。

榊原康政が寄進した鉄釜
臨済寺という文字と榊原という文字が見える
春日局の団扇、左側は弘法大師の書
太原雪舟の陣中袈裟
太原雪舟の鎧
家康公使用の硯や、家康公にいただいた赤い…布?
義元公が寄付した仏様
太原雪舟の書
今川義元の書状
武田信玄の印がある書状
徳川家康の書状

本当にすごいお宝だらけです。
これでも一部です。

大書院といえば、絶対に見なければならないのは、竹千代手習いの間。
これは、復元されたものとのことですが、この場所で家康が手習いをしていたことは事実なのです。

四畳半の小さな部屋です。
普通の部屋のようですが、天井には今にも動きだしそうな龍の絵がありました。


このような龍ににらまれて?見守られて?家康は勉学に励んだのですね。

大書院からは、長い急な木の階段を登っていったところに、夢想庵という茶室があります。
こちらは、階段も茶室も狭いことから、人数制限がされていました。
慣れた人は、真っ先にここにきて順番札をもらうのでしょうけど、そんなことを知らない私たちは最後に行ってしまって、待ち時間が一時間以上でした。
まだ、この後行く予定のところがたくさんあったので、夢想庵は、下から眺めるだけにしました。

右の階段を登ります。左に見えるのが夢想庵

さて、この臨済寺の庭園は、国の名勝に指定されている美しい庭とのことですが・・・
撮影した場所や撮り方、アングルが悪いのですよね。
美しさが伝わらない写真になってしまいました。

こうして、夢想庵には行けなかったものの、臨済寺を十分に楽しんだ私たちは、本堂を出ました。

山門とは別の、おそらくお坊さんたちが出入りする出入口の方から、降りることにしました。

下り口脇には今川神廟があります。
桶狭間から持ち帰った義元の首は、はじめ別の場所に埋葬されていましたが、のちに掘り起こされて、そこにあった遺骨を持ち帰り、この地に埋葬されたそうです。

こうして臨済寺を後にした私たちは徒歩で10〜15分ほどの浅間神社に向かいました。

なんと、本日ギリッギリの投稿になってしまいました。
今日はここまで!

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