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USAの素敵な観音様 1
電車から見える、USAの文字。
HOLLYWOODかよっ
と思うような感じで看板があるけど、
ここは、のどかな山と田園地帯が広がる大分県宇佐市です。
この宇佐市の、素敵なところをご紹介します。
(2月前半の連休中に行った所です)
駅館川を遡り、山間に入る少し手前、吊り橋があります。
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歩行者用の吊り橋です。
鷹栖の吊り橋というそうです。
この吊り橋を渡ると、鷹栖観音堂があります。
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この吊り橋は、平成9年に作られたもので、こちら側から飛び立った鷹が、百間岩(橋の正面の切り立った岩山)の巣へ帰る姿、又は対岸の観音堂に人が合掌する姿をイメージしているそうです。
正面にそびえる岩壁(百間岩)の景観は古くから「小耶馬渓」とも「鷹栖の仙境」とも呼ばれている景勝地です。
江戸時代末期の元治元年(1864年)、この地を訪れた蓑虫山人(=土岐源吾)は、山水画『蓑虫山人絵日記 鷹巣山十景』で、「大悲閣楼」として鷹栖観音堂を描いています。
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鷹栖観音堂の歴史は古く、
法連による建立と伝えられています。
国宝宇佐神宮よりさらに古い建立とのことです。
法連は、飛鳥時代から奈良時代にかけての僧で、宇佐神宮の神宮寺であった弥勒寺の初代別当となった人です。
このすぐ近くで発掘された虚空蔵寺は、奈良時代(7世紀末頃)に創建された、宇佐地方では最も古い古代寺院です。
近年の発掘調査で、法隆寺式の伽藍配置を持った広大な寺域であったことが分かっています。
この頃から、鷹栖観音堂も、存在していたようです。
こちらの観音堂では、年間二つの行事があります。
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「鷹栖観音鬼会」は、宇佐地方の疫病・飢餓を救うために始められ、1300年余りの歴史があると伝えられる行事です。
毎年1月4日の夜、ふんどし姿の参加者が2mもの松明をかざし、駅館川に入り、対岸にある、岩をくりぬいて作られた観音堂を駆け上がるそうです。
その後、高さ約10mのドンドに火をつけ、二手にわかれて鬼面を追い回し松明を打ち合わせて悪魔払いをするそうです。
1月4日の夜というともちろん極寒。そんな中ふんどし姿で川に入って渡るなんて、考えただけでも寒い。
とはいえ、一度見てみたいものです。
鷹栖観音千日参りは、この日にお参りすると千日お参りしたのと同じご利益があると云われているものです。
観音堂の下にある慈眼堂で行われるらしい。
参拝者一人ひとりに「知恵餅」が配られご祈祷をしてもらえるそうです。
「千日参り」の日だけに頒布される合格祈願のお札は、受験生などに人気があるようです。
昔、ここに橋はありませんでした。
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昔この手前の集落の中に、鷹栖山観音寺があり、対岸の観音堂はその奥の院という位置づけだったようです。
私が子供の頃はまだありました。
普通の民家のような作りで、お寺と言われても、どれが?という感じの建物でした。
住職などはいなくて、もうかなり前から、この観音寺も、対岸の奥の院も、地元集落の方々によって、守られてきたようです。
鬼会の時には、この観音寺脇から川岸に下りて川を渡り、対岸の観音堂に向かったため、今でもその降り口、登り口がちゃんとあります。
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私が子供の頃来た時には、川べりに一艘の木の舟が置いてありました。
当時対岸に向かうには、この船で渡るか、遠くの橋を回っていくしかなかったのです。
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川への下り口。
昔はもっと狭かったような…
少し先に見えるのが、鷹栖の吊り橋です。
それでは、鷹栖のつり橋を渡って、対岸に行ってみたいと思います。
周辺案内図です。
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対岸は、綺麗に整備されています。この日も掃除の当番らしき人々が掃除をしていました。
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上の方に観音堂が見えます。
下は、清水の舞台みたいになっています。
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まずは手前の大悲堂。
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祀られている観音様は、 よく見ると焼けて原型をとどめていません。
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その昔火事があったこともあるようなので、その際に焼けてしまったものかもしれません。
石の狛犬も、年季が入っている感じです。
また、天保年間に書かれた鷹栖山眺望十景の額があり、この鷹栖観音の大悲閣楼はじめ、辺りの山や地名が書かれていますが、正直よくわかりません。
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次に見えてくるのが慈眼堂。
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観音堂保護のため、作られた御堂で、現在はここで行事が行われます。
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ではいよいよ、観音堂へ登ります。
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ですが、だいぶ長くなりましたので、今回はここまでにします。
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