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梅の名所 洞慶院

洞慶院とうけいいんは、静岡市羽鳥にある、梅が有名なお寺です。

この寺に行ったのは、実は2月24日。
(今頃?って感じですが)
例年なら梅が美しい季節です。

しかし今年は開花が早かったらしく、行く前に電話で確認すると
あんまり期待しないで来てください
とのこと。

ということで、期待しないで向かうことにしました。

静岡市の安倍川の支流である藁科川を少し登ったあたりにあるお寺です。

車で向かうと、洞慶院の梅園が見えてきます。
確かに梅の花はあんまり咲いてないみたい。

駐車場に車を停め、寺の方を見ると、
ピンク色に染まった木が
おっ!

梅ではなくて、河津桜のようでした。

駐車場では、シキミの花が咲いていました。

シキミは、よく仏壇などに備えられる葉ですが、花が咲いたのは、初めて見ました。
可愛らしい花ですね。

お寺に向かって歩いていくと、その先にはちらほら梅が咲いています。

歩いていくと、お寺が見えてきました。

ここが参道のようです。

少し歩くと、大きな杉の木が見えてきました。

横を流れる小川にかかる小さな石橋。龍門橋という橋だそうです。

この橋を渡って石段を登ると、洞慶院です。

石段を登っていくと、左側に願王尊がんのうそんという建物があり、二体のお地蔵様?があります。

左は、薬ツボを手に載せた黄梅藥師如来おうばいやくしにょらい
右は、あらゆる病の根源を切り払う根切り地蔵尊ねきりじぞうそんが安置されています。

願王尊のすぐ上には、烏枢沙摩明王堂うすさまみょうおうどうがあります。

烏枢沙摩明王といえば、不浄を焼き尽くす神様。トイレの神様としても有名です。(女神様ではないようです)
入れるようになっているので、入ってみました。

すると…

こんなところにトイレ

壁も何もない。
こんなところで用はたせません。
それに正面には…

つまり、この便器をまたいで、お参りしろってこと?

なんだか、恥ずかしいような…
でも、またいで拝んでまいりました。

さて、烏枢沙摩明王堂のよこには、慈母観音様がありました。

境内には、思ったより梅はなかったけれど、ここではまだ綺麗に咲いていました。

鐘楼の前には、可愛らしいアセビの花が咲いています。

こちらは、衆寮と言われる建物。修行僧が寝泊まりする建物です。

現在は、葬儀・法事等や、子ども禅の集い等をはじめとする合宿の宿舎やイベント会場としても活用されているそうです。

では、本堂の方に向かいます。

手前には、弘法大師様が座っています。
左側が本堂、右側は庫裡です。

本堂

ご本尊は「千手千眼観世音菩薩」です。

庫裡の建物で、御朱印をいただきました。

紙の御朱印でしたが、梅の花が綺麗な御朱印でした。

本堂の前には、朱塗りの常夜灯。

お地蔵さんの後ろにあるのが、常夜灯

木製の常夜灯って、初めて見ました。

石段を降りようとすると、「梅花流発症の地」という石碑が目につきました。

梅花流って何? 生け花とか?
と思ったら、全然違いました。
梅花流とは、曹洞宗でお唱えする御詠歌・御和讃の流派のことだそうです。
いわゆる仏教の讃美歌みたいなものらしいですが、私は聞いたことはありません。

洞慶院の住職を経て永平寺貫主となった丹羽廉芳禅師が、1952年に五七調の詠歌と五七調の和讃からなる「梅花流詠讃歌」を考案したことを称えた石碑とのことでした。

こうして参拝を終え石段を降ります。
赤い南天の実と梅まつりの赤い旗が、緑に映えます。

4本杉と龍門橋は、こちらから見ると、何とも神聖な場所のように感じました。

石橋から、少し川の上流の方に行ってみます。

川沿いのしだれ梅がありました。

綺麗だと思ったけど、写真では伝わらない
花は満開だけど、花の数が少なめ

右側の山すそに、何やら祠があります。

何と書いてあるのか・・・

この文字と言い、ちょっと妙な空気を感じた。
その手前には

これは、後から調べたのですが、これは、塩渓堂えんけいどうという建物でした。
むかしむかし、境内の渓流東の山裾に、二代石叟和尚が杖をお立てなさると、塩水が湧き出てきましたので、ここを「塩の谷」と呼ぶことなったとのこと。
その傍らに祠を造り縁結びの御利益のある愛染明王をお祀りし、現在も「塩がまさま」と言われ、信仰されているようです。
そう言われると、あの不思議な文字は
鹽竈しおがま愛染陵王と書いてあるように見える。

さてそれから、川下に降ります。

遠くの梅園がピンク色に見えます。

咲いている梅を探しながら、梅園の方に行きます。

道路を降りていくと、山道の入り口に来た。
どうやらここが、昔からの洞慶院の参道になるらしい。

いい雰囲気です。
入り口には

明治37年、この地域で生まれた三浦金蔵は、愛馬と共に日露戦争に出征したが、数々の銃弾を受けて、瀕死の重症を負った。
それでも愛馬と共に生還した。
金造と愛馬は、司令長官より功労の賞を得た。
しかし、その馬は大正5年に病死してしまったので、この哀悼碑が作られたそうです。

この石碑の文字は、司馬遼太郎著「坂の上の雲」のモデルになった、日本騎兵隊の父、秋山好古大将の書だそうです。
秋山将校は、三浦金蔵の上官だったとのことです。

では、広い梅園に行ってみます。

やっぱり梅は少ない
7〜8割散ってる
とっても広い

梅が満開でしたら、さぞ見事だったことでしょう。
しかし、ところどころにある梅まつりののぼり。
実は翌週が梅まつりなんだそうです。
もっと梅ないじゃん!

梅のない梅まつりになってしまったことでしょう。

梅の枝に、綺麗な小鳥が止まっていました。

見えますか?

そして、途中には大きな桜の木

もうすぐ桜が満開になって、見事な景色を見せてくれることでしょう。

今回梅はあまり見れませんでしたが、歩いていてとても気持ちがいいお寺でした。
いいお散歩になりました。

実は、洞慶院には、今回見た以外に、350年前の建物だという坐禅堂や、梅園を一望できる観梅亭という離れ屋敷。老楳庵という茶室、歴代住職の墓所や、金毘羅権現像など、まだ見どころがたくさんあったようなんです。

もっとちゃんと下調べしていけたら良かったのですが、何せ突然行くことになり、運転手でしたので、車中で調べることもできずに行ってしまいました。

次は、梅が満開の時に、
紅葉も美しそうですから紅葉の時期にでも
もう一度来たいと思いました。

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