国賠訴訟における規制権限の不行使(1)

1.はじめに


 先日、福島原発事故で被害を受けた住民が国を訴えた裁判の最高裁判決(判決文は左リンク参照)があり、一般ニュース等でも大きく取り扱われ、注目も集めた。
原発事故、国の責任否定 最高裁「対策命じても防げず」: 日本経済新聞
福島第一原発事故で国の責任認めず 最高裁判決をどう見る?:NHK

この判例について言及する前段階として、そもそも国賠訴訟における規制権限の不行使を問う国家賠償訴訟はどのような基準で判断されるのか。概観したい。

本件で国に対し損害賠償を求める際の根拠条文は、

国家賠償法
第一条 国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。

である。「国又は地方公共団体の公権力の行使」「公務員」「職務を行うについて」「故意・過失」「よって=因果関係」「違法性」「損害」の各要件のうち、まず規制権限の不行使で問題となるのは「公権力の行使」である。

2.公権力の行使

 「公権力の行使」の意義は、概ね国の私経済作用および国家賠償法2条の対象となるものを除くすべての活動(広義説)[1]である。「公権力の行使」は、本来公務員の積極的行為のことである。しかし、私人の活動範囲が飛躍的に増大すると、そこから生ずる被害について民法の不法行為法による解決だけに頼ることが、加害者の資力の関係などからできず、被害防止のために国家の介入が望まれるようになる。[2]よって「公権力の行使」には権限の不作為も含まれる。



[1] 塩野宏「行政法Ⅱ[第六版]」有斐閣(2019)324頁

[2] 前掲塩野Ⅱ326頁




3.違法性の判断基準

 本件判決でも、水俣病関西訴訟判決(最判平16.10.15民集58.7.1802頁)などの判例を引いて

「国又は公共団体の公務員による規制権限の不行使は、その権限を定めた法令の趣旨、目的や、その権限の性質等に照らし、具体的事情の下において、その不行使が許容される限度を逸脱して著しく合理性を欠くと認められるときは、その不行使により被害を受けた者との関係において、国家賠償法1条1項の適用上違法となるものと解するのが相当である」


と権限の不行使が国家賠償法上の違法を構成する場合の一般論、定式を示している。

4.裁量権ゼロ収縮論との関係


 権限不行使について、国家賠償を認めるかにつき、一定の場合には規制権限を行使するか否かについての行政庁の裁量権は収縮・後退して、行政庁は結果発生防止のためその規制権限の行使を義務付けられ、したがってその不行使は作為義務違反として違法になるべきとされる裁量権収縮論という法律構成もある。[1]

 これに対して、端的に規制権限の不行使を違法とするのが本件をはじめとする最高裁の態度である。権限の不行使が違法となる要件に違いが出てくるとは当然に言えないので、いずれにせよ説明の仕方の問題である。[1]実際に、裁量権収縮論で説かれてきた損害の重大性、予見可能性、回避可能性、社会的相当期待性(国民の期待)などは不合理性の判断において考慮事項となっているようにみえる。[2]



[1]前掲 塩野Ⅱ331頁

[2] 西田幸介「規制権限の不行使と国家賠償―「規制不作為違法定式」の判断構造―」法学東北大学81巻6号(2018)219頁


5.おわりに 次記事の紹介


 以上、国賠訴訟における規制権限の不行使の判断基準を概観した。次の記事では、水俣病関西訴訟判決を素材にして、その基準をいかに適用するか、判断構造を明らかにしたい。


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