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ゆうちゃんへ


 夏が過ぎ、肌寒い日々が続きますがお元気ですか。風邪ひいてないですか。
 8月の終わりに行ったゆうちゃんとの香川旅行が私にとってとても至福の時間だったので、香川への移住を少し考えてしまいました。楽しい時間をありがとう、また旅行しようね。



 さて、話は変わりますが最近はとても天気が良く過ごしやすい気温なので、仕事なんか放り出してピクニックしたいなーと思う所存です。早退する勇気なんかもちろんなくて、頭の中で考えるだけで終わるんですがね。
 私は今日も、人の多い街東京にいます。沢山の人に揉まれながら電車に乗って、おしゃれな人が多い街にある職場に向かいます。そこで、比較的裕福な子どもたちのちょっとよく分からない話を聞き『そうねー』なんて立派に標準語を話しながら適当に相槌を打っています。人前で喋るのが得意じゃないのに、自分でも何言ってんだと思いながら乳幼児さん連れの親子に向かってレクしてます。音痴なのにせーのって掛け声しながら手遊びやってます。定時に仕事を切り上げ、お家でご飯を食べてお風呂にも入らずベットで寝落ちしてます。そんな日々です。



 こんなただ毎日をこなす日々に何の意味があるんだろうって思います。私は将来結婚するわけでも子どもを持つわけでも、理解あるパートナーと過ごすわけでもありません。これからも大好きな友達にたまに会いながら、自分の好きな事をして、口癖のようにお金ないなぁと呟く日々が続くと思うとどうしてもやり切れない気持ちになります。しにたくなります。まぁもちろん死ぬ勇気なんてないんですけどね。早退する勇気すらない女です。分かりきっていることです。
 ただ、職場の階段を下る時、電車を待っている時、ベットの上で天井を見上げた時、天気のいい日に外を歩いている時。そんな日常のふとした時にしにたいって思います。私は頭が良くないので自分の気持ちを言語化できないから、しにたいって言葉に辿り着くんだと思うんです。そんな自分にも呆れちゃいます。



 先日、しにたいって思いながら、iPhone14を予約しました。しにたいって思いながら、スーパーで明日食べる食材の買い物しました。しにたいって思いながら、来月は福岡にでも旅行に行きたいなぁと計画しています。
 生きる気満々です。毎日自分で自分の機嫌を取るのに必死です。そうやってどうにか折り合いをつけてやり切ろうとしてます。



 割り切れたらなと毎日思います。どうやったら自分の人生に期待しないで生きられるのでしょうか。私にはもう誰かを好きになることも、誰かに選ばれることもないのに、白馬の王子様とまではいかなくとも、誰かが手を取ってくれる日を想像してしまうのです。『私の人生間違ってなかったんだ…生きていいんだ……!』ってその誰と抱き合いながら涙する日を思い描いてしまうのです。そんな起こり得ないもしもを信じて今日も生きてしまうのです。
 なぜこんな他者に期待してるのか考えたことがあるんです。きっと、どんな漫画や本を読んでも、映画やドラマ、アニメを見ても結局人を救うのは人でしか無かったからです。行き詰まっている女の子の前には必ずと言っていいほど理解ある彼くんが登場しました。逆もまた然りで、もがき苦しんでいる男の人の前には支えてくれる彼女の存在がありました。そんな物語で溢れかえっている世の中を生きるにはやっぱりその誰かが必要不可欠なのかなって思っちゃうんです。




 こんな固定観念に縛られながら、こんな自分に辟易しながら私はきっと明日も、人混みをかき分け仕事に行き、自分のためにご飯を作り、しにたいと思い生きるのですね。これからの人生絶望しかないと諦めて。





 沢山話し過ぎてしまいましたね。言葉を尽くせば尽くすほど本当のことからは遠ざかるものです。
大丈夫です。私は明日もこれからも生きます。
 また年末年始にでも会えたら嬉しいな。これから寒い日々が続きますがどうかご自愛ください。


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