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静止と静寂

今朝は雨が降っている。私の『ゆっくり』って、「言動を、時間をかけて丁寧に行う」ってこと。それを日常生活の中で意識して行う、或は、行おうと試みる時に、たくさんの奇跡が起きるのだと思っている。そして、その言葉は、私がなりたいと願う人物像を、言い当てている。

よく、ワクワクや楽しいイメージをより具体的に持って、それを感じ、いい氣分でいれば、その現実を引き寄せ、波動高くいられると言うけれど、そこに生まれる微かな違和感をずっと拭えずにいた。豪華な旅行や食事、鞄をイメージしても、好きなことを仕事にして多くの人から喜ばれている姿をイメージしても、やっぱりどこかなんだか虚しい。所詮、この3次元マトリックスに何を映して遊んでいるか、の枠を出ないじゃないか、って。

そしてある時、自分のありたい在り方、自分が好きな自分になるって、そういうことじゃないって氣づいた。ただただ、心が静かな湖のように穏やかに止まっている、だからこそ、あらゆるものを鏡のように在りのままに捉えて、そのままをハッキリと映し出すことができる。その静寂な心の状態でいればいいだけだって。そして、そのニュートラルな状態でい続けるために、『ゆっくり』が機能する。言動(外)がゆっくりである(静止を意識する)ことと、心(内)が静寂であることは、両翼であって、常に連動している、同じ源からの顕れであるから。

彼の大好きなエックハルト・トールさんの本から言葉を借りてみる。

「すきま」「スペース」に意識を向けてみてください。二つの思考のすきまに、会話中の、言葉と言葉のあいだの、ちょっとしたすきまに。ピアノやフルートの、音符と音符のあいだに。呼気と呼気のあいだに。

こうして「すきま」に意識を向けるとき、対象に向ける意識は、純粋な意識そのものに変わります。純粋な意識である、形態のない次元が、あなたの内から現われ、形態による認識に、とって代わられるのです。

するとどうでしょう。真の叡智が、静かに活動をはじめます。「静止の空間」。これこそが、創造性が誕生し、問題の解決策が見つかる場所なのです。

エックハルト・トール『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え』(原題:Stillness Speaks)

「すきま」とは、まだ名称のついていない自由な何かだ。『ゆっくり』、それは、静止の空間、「すきま」を生み出す行為。私の中の、観念でない叡智を呼び覚ます意識。だから、ゆっくり生きることを意識しているだけで、探し求めていた『わたし』が立ち現れる。