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最近のこと

最近会ったこととか感じたことを備忘録的に記録しておきます。


親に大感謝

23歳になって今更ながら、親のすごさや自分がすごく大切にされてきたことを改めて実感したというお話です。

つい最近13~15年前くらいに家族で使っていたデジカメを、自宅で見つけました。「13~15年前の私はどんなだったか」という軽い興味でフォトライブラリを覗いてみました。(当時、私は10歳になるかならないかくらいの幼少期ですね…。)

2010/03/08(父不在…)

↑のような懐かしすぎる、且つしあわせそうなたくさんの写真が出てきました。写真にうつっている自分があまりにもしあわせそうすぎて、まずこんな「しあわせな時間」を写真として残してくれた両親に感謝が止まりませんでした。

写真を見返したことをきっかけに幼少期から今までのあんなことやこんなことを思い出しました。その当時はそんなことには全く気付かなかったですが、両親の行動やさまざまなはからいを思い返すと自分がすごく大切にされてきたことを実感しました。

・何かイベントがあるごとにたくさん写真を撮ってくれたこと
・仕事で遅くなるときは寂しくないようにハリーポッターをレンタルしてくれたこと
・人間関係とかに困ってないか定期的に声をかけてくれたこと
・毎日凝ったお弁当を作ってくれたこと
・部活動の試合は必ず応援しにきてくれたこと etc…

色々思い出してたら「こんなに大切に育ててくれてありがとう」という感謝の気持ちが溢れ出しました。それと同時に、反抗期に自分都合でそっけなく接してしまったり、両親が困るようなことを言ったりした記憶もフラッシュバックして、「なんてひどいことをしてしまったんだ」と申し訳ない気持ちが溢れ出して胸がいっぱいになりました。

ただ、過去にしてしまったことは取り消すことができないのが現実。まだ親と過ごせる時間はあるので、残り限られた時間の中で精一杯恩返しをしようと心に決めました。

恩返しは「愛返し」

誰かに「恩返ししたい」「喜んでほしい」と思ったときに、その手段はたくさんあります。プレゼントを送る、手紙を送るなどなど。

私なりにどの手段が相手にとって一番嬉しいのか考えた時に、「愛を返す」ことを一番なのではないのかなと思いました。愛を返すってどういうことだと思うかもしれません。

私が思う「愛を返す」とは、愛のこもった行動をすることです。例えば、相手が話してくれたことをちゃんと覚えておくとか、「今日のご飯何がいい?」と聞かれた時に今まで食べて美味しかった具体的な料理の名前と作ってくれた時期を伝えるとか。そういったことなのです。

もしかしたら些細なことすぎて相手には気づいてもらえないかもしれませんし、たまには堂々と言葉にするのがいいのかもしれません。ただ、愛のある行動をするって簡単そうに見えて、実は奥深いことだと思うのです。

例えば、↑で例に挙げた「今日のご飯何がいい?」聞かれた時のことを考えてみましょう。人間は1年間で1000以上の食事をします。(365日×3食という単純計算)普通に生きてたら3ヶ月前に作ってくれた料理が何だったか思い出せないと思います。作ってもらった時に美味しかったものを「また作ってもらおう」と料理の名前や作ってもらった時のことを覚えておくのは容易いことではなく、強く意識していないとできないと思うのです。

この「強く意識すること」「記憶しておくこと」こそが、愛の表れなのではないかと思うのです。
こう感じるようになってから、家族や大事な友人にしてもらったことをしっかり覚えておけるように、してもらって嬉しかったことや作ってもらって幸せな気持ちになった料理など逐一メモをするようになりました。

今までもらった恩を最大限の愛で返していこうと思います。

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