もう嫌だ。そう言って良いんだよ。
四月ももう終盤。
新生活にもやっと慣れだした。
彼は珍しく、弱気な一言を言った。
こんな生活に、憧れてたんだったかな…。
理想と現実のギャップは、わかってる。
薔薇色の人生なんてあるわけがない。
良いことがあれば、やなこともある。
時にはやりたくないことも、やらなければならない。
そんなことはわかっているけど。
けど、の後に続きはない。
みんなそんなもんでしょ。
あなたも、私も。
私の口が、反射的にそう発していた。
彼は、夢を追いかけていた。
いつでも、どんな時も、挫けなかった。
2、3日寝れなくても、時に弱音を吐いても、とても自信家だった。
そうであるはずの彼が、亡くなった。
あれからもう1年以上経つ。
今になって、やっとわかる。
彼は、いつからかやりたいことをやってなんかいなかった。
やりたくないことばかりやっていた。
夢を追っていたつもりで、何を目指して走っているのかも分からなくなっていた。
疾走感だけを拠り所にして。
やりたいことを、やり続けること。
これは私が信じている、唯一の人生の楽しみ方。
夢追い人の彼が、それを最も体現している。
そう思っていた。
でも、そうじゃなかった。
過労死のニュースを見て、その意味がよくわかる。
やりたいことをやって生きている。
人は皆そう思い込んでいる。
たとえ自殺に追い込まれるような労働環境にいても。
少しの違和感があっても、耐えられるんだ。
それを言葉にできないまま、見過ごして、自分の内なる声を抑圧する。
もう、嫌だ。
もう、そんなこと止めにしよう。
もう、こんなの見たくないんだ。
違和感は、いくらでも感じ取って良い。
いつでも口にして良いし、言葉に残していくべき。
いつでも振り返ろう。
本当は何をしたくて、今何をしてるんだ、と。
人は、やりたくないことを続けると、やりたいことも分からなくなってしまうから。
誰に嘘をついても良い。
でも自分の声だけには、耳を傾けて、嘘をつかないで。
これが、今の私の残すことができる言葉。
どうか、自分の声に耳を傾けて。
もう嫌だ、と言える勇気をあなたに。
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