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自己弁護と刺繍

私は、正直服を作ることは全く好きではない。

きっと今このコースに移動してきて、こうしてnoteを投稿していることが何よりもの証拠だろう。

では、ファッションビジネス人になりたいのかと言われればそれもまた違う。

ここにいることへの矛盾が生じてしまうかもしれないが、正直ファッションビジネス人にも全くなりたくない。

私は、教員免許を取りにこの大学に来た。

正直服飾に対する情熱だったり、ビジネスに対する熱烈な興味だったりそういったものは、生憎持ち合わせていないのだ。

だから2年次に全く服を作らないコースがあると聞いてすごく安堵した。

しかし、安堵したのもつかの間。

実際にコースに入ってみるとやはり服を作る科目は一切無かったのだが、教職の人は全員必修で和服を作るという科目を取らなければいけなかったのだ。 

地獄だ。まさに天国から地獄だ。

全てから開放されたくらいの心持ちでいたにもかかわらず、よりによって最も苦手とする手縫いオンリーの和服をしかも通年で履修しなければいけないのである。

やむを得ないが自分の気持ちに嘘はつけないので正直に言ってしまえば、やりたくなんてない。

今も現在進行形でものすごく嫌々出席している。

和服の先生達がものすごく優しくていい先生方なのでなんとかやっていられるが、あれが鬼のような先生で軍隊のような内容であったならば、おそらく私は発狂していたであろう。その点についてはかなり救われたと思っている。

しかし、そんな嫌々受けている講義に最近救われたことがあったのだ。

それがヘッダーの画像である。

これは私が自分で刺繍したものだ。

私が愛してやまないVivienneWestwoodというブランドのベレー帽である。

このベレー帽はかなり古いモデルで古着でしか手に入れることが出来ない。さらに赤刺繍のモデルは古着でも出回っている数が非常に少ないのでもう手に入れることが出来ないのだ。

それでもどうしても赤刺繍のモデルが欲しかった私は、グレー刺繍のベレー帽を手に入れて自ら刺繍を赤で上から縫い直した。

服飾生からしたら、なんの気ないことなのかもしれない。

自分の好みにリメイクをする、アレンジをするなんて彼ら彼女らからすれば朝飯前のその前くらいの気持ちなのであろう。

ただ、私は服飾が嫌いだ。そんな私が刺繍をプライベートでした。この事実が自分自身にとってものすごく大きかったのだ。

和服の講義で手縫いを練習していなければ、正直わざわざ自分でやろうなんて気持ちにはならなかっただろう。

偶然だったが救われた。何より必要ないと突き放して嫌ったものが、役に立ったのだ。

きっとこれから服飾に来る子達の中にも私みたいなやつがいるかもしれない。

服に対する情熱を持ち合わせずに、なにかの事情があって服飾に来る子達がいるかもしれない。

残酷な事実を言えば、恐らくその子達は入ってすぐに居心地の悪さを感じると思う。

周りとのあまりに歴然とした温度差に、自分の居場所見失うと思う。

これは私が感じた、感じている事だからきっと同じマイノリティーならば、感じてしまうと思う。

だけど、これも私が感じた事だから言えるが、全く全てが役に立たない訳では無い。

もしかしたら、つまらない嫌いだと思ったものがいつか何かで役に立つ時が来るかもしれない。

温度差を感じた人達の中にも、わかってくれる人もいて、服飾とは関係の無いやりたいことを手伝ってくれるなんて人にも出会えるかもしれない。

どちらも私の実体験だから、全て全てが当てはまるとは思わないが、それでも無駄ばかりでは無いとそれだけは伝えたい。