松永K三蔵
書くための道具です。
芥川賞を受賞したことで、ありがたいことに私のペンネームも少しは世の中に広まった。多くの人が目にすることになり、およそ芥川賞作家のペンネームとも思われぬ、このアルファベット入りの奇妙なペンネームに面食らい、「なんて読むの? コレ」と混乱させてしまっているらしい。 ニュース原稿を読み上げるアナウンサーも困惑し、こんなやりとりもあったのかも知れない。 「これさ、このKってなに? 誤植じゃないの?」 スタッフ「いえ、Kですね。ありますK」 「え、ホント? じゃあ、これケイザブ
noteの読者のみなさん、こんにちは。 基本noteは私の個人サイト「三蔵亭日乗」の転載なのだけども(たまにオリジナルも) 基本的にはちゃんとタイムリーに更新していこう、という方針のもとにやっている。 つもりだけども、忙しいとそれもおぼつかない。 で、前回の投稿が第171回芥川賞候補になりました。なので、その後どうなったのかというのはnoteの読書の方々なら説明は不要だろうということで、めちゃくちゃ忙しくなって更新出来なかった。すみません。 ありがたいことに、今も今でなか
「バリ山行」(群像3月号)です。単行本にしていただけるとのことなので、皆さん本屋さんでお手に取ってみて(買って読んで)ください。 今はあまり言うこともないので、報せを受けた時の感じを描いて、置いておきます。さすがに慌てた。 ということで関連記事は↓ 単行本は講談社から7/25頃に発売になるので、みなさんよろしくお願い致します。 松永K三蔵
昨年9月、私は『群像』10月号の「文一の本棚」(講談社の文芸第一から出版された本から好きな作品をチョイスして書評)を担当させていただいた。なんでもOKということだったので、私は群像文芸文庫の「昭和期デカダン短篇集」なんて時代錯誤のアンソロジーをチョイスした。 私は意図してデカダン作家を選り好んでいるわけではないが、私が心惹かれ作品は、何故か高確率でデカダン作家のものになるのだ。残念ながら、中には今ではあまり読まれなくなっている人もいる。ということで、私の好きなデカダン作家を
「バリ山行」(群像3月号掲載)の試し読み記事をつくっていただきました。本日、講談社 現代メディアの群像で公開されました。ありがとうございます。 「バリ山行」の冒頭は X (旧Twitter)にページ画像で公開されていたので、今回の試し読みは、冒頭ではなく「バリ」が何かわかる序盤のハイライトシーン。私も好きなシーンだ。 読んでいただければわかるが、ここでMEGADETHが出でくる。え? メガデス? わかる人は世代だろうか。そうだ、メタルBIG4の一角、メガデスだ。もっとも
評者は渡邊英理さんと、宮崎智之さん。お読みいただきありがとうございました。 感謝の気持ちを込めて、文學界4月号の表紙を描いてみた。特に意味はないけれど。 渡邊英理さん。言語の共有性について書かれた冒頭の文章が非常に印象的だった。小説を書くことは、自己を掘り下げることで、それはどこまでも"たったひとりのわたし"の行為なのだが、"共有可能な普遍化"された「ことば」で書くというこはやはりどこかに他者を想っていて、それは物理的には掘り進めた先に世界が拡がることになる、このパラドキ
今月の群像3月に中篇「バリ山行」を掲載していただいた。さて、今回の原稿の校了まで、かなり慌ただしい進行だった。しかし原稿の締め切りが明後日に迫った週末、私は娘とウサギカフェに行く約束をしていたのだ。 娘よ、すまん。日本文学の為だ、今週は諦めてくれ。そう思って延期を申し出ようと思っていたが、妻から娘がとても楽しみにしていると聞いた。 でも俺はデカダン、無頼派だから(群像2023年10月号文一の本棚「昭和期デカダン小説集」書評参照)娘とのウサギカフェの約束くらいは簡単に反故に
という訳で、2月7日、群像3月号が発売されて「バリ山行」が発表になった。その前日、ちょっと事件があった。 「山行」。登山に馴染みのない人はあまり聞き慣れない言葉だと思うけれど、これは「さんこう」と読む。 じゃあ、バリってなんだよ? という人は作品を読んでみてください。因みにバリ島の話ではないことは、先に断っておく。 ここ最近、九段さん(おめでとうございます!)の芥川賞受賞作『東京都同情塔』でAIが話題だが、私も創作の資料の調べごとにchatGPT-4を使ったこともある。
中編小説「バリ山行」を群像3月号に掲載していただいた。 デビュー作の「カメオ」(群像新人文学賞優秀賞)に続く二作目。所謂、受賞後第一作だが、あれから月日は流れた。もちろんこればかりを書いていたわけではないが、この作品は、山をテーマに長編三本を書いて、混ぜて煮詰めて絞り出して、やっと出来た。ようやく機会が巡ってきて、この度発表。 山の話だが、これはいわゆる山岳小説ではない。お仕事小説だろうか。わからない。が、「なぜ山に登るのか?」という例の問いはちゃんとある。 私がひとり
あけましておめでとうございます。 ちゃんとnoteをやりはじめた昨年。 多くの方に記事を読んでいただき感謝です。 先ほど、新年の書き初め(執筆)を終えて戻りました。スターバックスは年末年始も変わらず営業してくれてありがたいですね。 昨年は発表の機会はありませんでしたが、創作は旺盛に書いております。昨年はエッセイをいくつか書かせていただき、大変感謝でした。 「文学のトゲ」群像6月号 「文一の本棚」群像10月号 「私の好きな中公文庫」(WEB中公文庫12月)これは↓で読めま
中公文庫いいですよね。好きです。改めて本棚を見ると結構持っている。そんな中央公論新社さんにお声がけいただいて書いた「私の好きな中公文庫」。 中央公論新社さんと言えば谷崎。大好きな谷崎潤一郎。私の好きな谷崎潤一郎について、地元とも言える芦屋を絡めて書いて、ルポ風に写真も載せて頂いた。 怪物のように目が三つもあるiPhone15proで写真を撮れば、素人の私でも良い写真が撮れるだろうか、と考えたがiPhone15proは持っていないのでiPhoneSEで撮ってみた。 という
(夏前に書いたサイトの記事です。) 今年の梅雨時、天王寺に絵金展を観に行った。あべのハルカス美術館。「幕末土佐の天才絵師 絵金」2023年4月22日(土)~ 6月18日(日) ということで扉絵は、絵金の白描風自画像(サブ執筆マシーンとして導入したiPadで描いてみた) あの絵金が来るとは。‥‥‥僥倖。コレってなかなか珍しいんちゃうん? なんて考えていると、高知県から絵金が出るのは半世紀振りとのこと。あ、そら久しぶりやわ、などと思っておったら、半世紀前はまだ私も生まれてい
流行りコトバというものは取り扱い注意だと思いながらも、指さきで摘み上げるようにして覗いてみる。するとそれらは大抵、既存の看板の付け替えで、実はそれほど新味があるわけじゃない。 「ルッキズム」だってそうだ。それは故事にもあらわれているように、昔からそんなことへの問題意識がずっとあったわけで、逆にそんな視覚偏重の止み難い連綿が人間にはあるのだというゲン然たる事実こそが重要なのだ。 あんまり原理主義的なことを言いはじめると化粧品や装飾品、衣服だけでなく住宅や道具に至るまで、その
例の如くサイト記事からの転載なのでタイムラグがある。まぁあまり細かいことは気にしないのがストレスフリーの秘訣。 タイトルそのままだが、依頼がなかったので勝手に参加してみた。 「新潮」のこの企画っておもしろい。誰かの日記というのはおもしろい。こんなことを言っちゃなんだが、日記なので別にどうってことない。だけど何だかおもしろい。何もない日常にこそその人の個性が出ているからだろうか。 私は日頃から創作ノート(ネタ帖)は書いているが、日記はつけていない。でも日々の行動記録は分単
▫️「君は箸で湯豆腐が食えるのか?」 と言うことで、何も大袈裟に創作論を打とうというのではなくて、以前の記事で万年筆を紹介した行き掛かり上、手書きについて書いてみる。 記事☟ 私などの創作術は全くアテにならないが、しかしもし、書きあぐねている人がいれば、これもひとつの事例として参考にしていただければと思う。 手書きへのこだわり、と言うよりも(少なくとも私の場合)初稿は手書きでなければならないだが、今どき手書きというと、文具、あるいは筆記具フリークの趣味の世界と思わ
前編☝︎のつづき 南米大陸におけるコンキスタドールのインディオに対する残虐行為の数々を告発したラス・カサス。しかし彼がインディオの労働力の代替として勧告したのが黒人奴隷貿易だ。--根深い。 奴隷貿易。欧州列強はアフリカ大陸に住む人々を獣のように捕まえ、あるいは取引し、寝返りすら出来ない棚に押し込み、奴隷船で植民地に送り続けた。排泄物垂れ流しで、病気になろうが死のうがお構いなし。つまり完全にモノだ。そうやって彼らは300年間! 実に1000万人以上の人々を送り続けた。自由、