文学にアール・ブリュットは可能か?

 ぼくがアール・ブリュットと出会ったのは、もう10年以上は前のことになるだろうか。以前に勤めていた障害者施設で、いま(2000年代後半ごろ)フランスとか、ヨーロッパでは日本のアール・ブリュットが注目されているんだという話を研修か何かで耳にし、そこで映し出された作品群のスライドに一瞬で心を奪われてしまった、そのときからだ。
 その後2010年にパリでは「アール・ブリュット・ジャポネ」という大々的な「日本のアール・ブリュット」の展覧会が催され、さすがにその当時パリまでは赴けなかったけれども、その熱波は徐々に日本にも伝播し、この国にいながらも、日本のものはもちろん、海外のアール・ブリュット群に接する機会は格段に増えた。いろいろな作品に触れるにつけ、この領域をもっと深く探求してみたい欲がどんどん増していったのがぼくにとっての2010年代だった。そうしていま、大学院で障害者アート支援についての研究なんてことをやっている。ソーシャルワーク領域からのアプローチだから、アール・ブリュットの美学的研究とはいえないが、それでも、長く続けてきた障害者支援の仕事の経験と、かつて学部で美学を専攻したことをミックスさせて、福祉となにかおもしろい文化実践の交差点を見つけられないだろうか、という試みをしている。
 
 研究論文には入れないようなことを、ここでは書いてみる。それは、文学という領域において、「アール・ブリュット」たることが可能なのか、という問いについてである。この問いは、実は本誌「甦」のアレクセイ渡辺氏との会話の中から生まれてきた疑問でもある。アール・ブリュットの話をしていて、文章を書く人でそういう人はいるんですかね、と渡辺氏がなにげなく問いかけてきたことが、この文の執筆のきっかけになっている。
 
 さて、その問いについて考えていく前に、基本的なところをおさえておきたい。まずは「アール・ブリュット」のジャン・デュビュッフェによる定義を簡単にまとめておこう。スイスはローザンヌにあるアール・ブリュット・コレクションの館長も務めたミシェル・テヴォーは、『アール・ブリュット 野生芸術の真髄』のなかで、デュビュッフェの定義を以下のように紹介している。それは「自然発生的でかつ強力に発明的な性格を持ったあらゆる種類の作品、慣習的に芸術と呼ばれるものや紋切型の文化の影響をほとんど受けてなくて、職業的芸術界とは無縁の無名の人々の手になる作品」であり、「作品の作り手がすべてを、伝統的芸術のありきたりの型からではなく、自分自身のなかの奥深い場所から引き出す。われわれはそこで、まったく純粋で生のままの芸術的遂行が行われ、作り手自身の固有の衝動を唯一の起点として芸術がその全局面において再発明される現場に立ち会う」ものであると。そう、まさにぼくが衝撃を受けたアール・ブリュットの作品群はまさにこの言葉が言い表すとおりのものだった。あえてすこし好きな作家をならべてみるが、マッジ・ギル、アドルフ・ヴェルフリ、アロイーズ、ヴィクター・サイモン、実際に実物を目にして「食らった」作品はどれも、上記引用が饒舌に述べていることすらを超えて、ドープな衝撃、崇高、なんといったらいいのか、そのような類のものが、ぼくに到来した。
 
 そんな稀有な経験をさせてくれる美術ジャンルは、ぼくにとってはなかなかないもので、たとえばドナルド・ジャッドの展覧会に行ったところで「思考」を働かせてしまうことによってアートの快楽を得ているようないわば「通常の」体験とは、まったく異なり、まさにその稀有な経験はアール・ブリュットにおいてしかありえない、というのが実感だ。だが「思考を放棄する」ことを惹起させるものがアール・ブリュットなんだ、といえば聞こえが良すぎる上にその本質を見誤ってしまう。そもそも、言語において「思考を放棄する」ということを考えている時点ではなにも放棄にはならないから、アール・ブリュットのもたらす忘我は、おそらく言語を超えている/言語から外れている。だから、アール・ブリュットの表現形態が、絵画や造形芸術が主であることとそれは無関係ではない。
 
 だとしたら、絵画および造形芸術以外の領域において、「アール・ブリュット」は成り立たないのか。そんな疑問が、渡辺氏との会話もきっかけとして、芽生えるようになった。アール=芸術、であるのだから、なにもそれは、絵画・彫刻・建築に限られはしまい。芸術には音楽も映画も演劇もそして文学もある。そのなかでなぜ、絵画や造形が、アール・ブリュットのメインのポジションを占めているのか。文学では、デュビュッフェが定義した「純粋で生のままの芸術的遂行」は不可能なのか。そんな流れで、今回は、とくに文学にしぼって、そのことについて考えてみたい。
 
 文学にアール・ブリュットは可能か?という問いが立ち上がった時、「何を言ってるのですか?あなたは「文学」でありましょう?アール・ブリュットとは呼ばれていないのですよ!」と説教する声が聞こえてきてしまったものだ。確かにその通り。呼び名が違うということだけでも、ぼくには、文学にアール・ブリュットの資格なし、と自信をもって思えてきてしまったりした。「思考」を働かせてみるならば、文学には「思考」によって練られた構成がある、「思考」によって組み立てられた文体もある、「思考」によって仕組まれたカタルシスもある、なによりも「思考」によって選び取られた単語がある。なにもかもが作者によって考えられ、紙の上に定着させられる文字列は、「思考の産物」であって、「純粋で生のままの芸術的遂行」などと呼べようか。
 
 もちろんこれに対する反論はいくらでもなしうる。パッと思いつく例を2つ。バロウズのカットアップはどうなのか。ブルトンの自動書記は。「思考」を排除し、偶然性と「無意識」に身を任せできあがった、強度ある文学的成果物があるではないかと。いやしかし、カットアップも自動書記も、そういうふうにしてやってみようという「思考」に起点を置いているではないか。ああ、じゃあやっぱりそれじゃだめなんじゃないか。
 
 バロウズはともかく、周知のとおり、アール・ブリュットの提唱者たるジャン・デュビュッフェはシュルレアリスム界隈とは親しかった。いろいろあって仲違いはしてしまったようだが、ブルトンをはじめとするシュルレアリスムの志向性と、デュビュッフェの実践はもちろんシンクロするところは多い。それでもやはり、彼らは「考えている」。「純粋で生のままの芸術的遂行」というのはそういうことではないのだ、と思う。
 
 「いや、でもね、バロウズにしたって、ブルトンにしたって、ドラッグをやっていたんじゃないですか?バロウズは生粋のジャンキーだし、ブルトンがやっていたかはわからないけど、人為的にそういう状態を作り出して、自我が、理性が、ぶっ飛んでいたんじゃないですか?」という声も聞こえてくるが、これも惜しい。まだまだだ。なぜなら、薬物を使用する(もしくはそれに準ずる状態に身を置く)という体験においては、「素面に戻る」ことができるのだから(戻れない人もたまにいるが)、まだまだにっくき「思考」は倒せまい。そうなのだ。アール・ブリュットは精神病院を探索することから始まった。ちょっと乱暴な言い方かもしれないが、「素面に戻る」ということが不可能な地点から生まれてきたものなのだから、魂が不可逆的な変化を被っていなければ、それはアール・ブリュットとは呼ばれえない、という側面はある。だからこそ、狂人とよばれるひとたち、「診断」という魔力を借りて言うならば「精神障害者」の作品が、アール・ブリュットの古典のほとんどを占めているのはそのためだ。しかしながら、そこでなにも、「精神を病んでいる」ことをその本質的条件として措定したいというわけではない。それではあまりにも雑駁な説明に過ぎないから、デュビュッフェによる、作品、もしくは表現行為そのものに注視して析出された定義とは別の形で、アール・ブリュットとはなにかを言い表してみよう。それはどのようなものかといえば、社会に見捨てられた者たちが、同時に(精神)医学に拾い上げられた者たちでもあり、なおかつ芸術(界)によって宙づりに晒された者たちでもある、その交差点が存在するというある種の世界の「体制」があって、アール・ブリュットの作家とよばれる者たちは、そのような社会体制のなかで「構築」され、そこで右往左往しているのだ、と。これでぼくらは、アール・ブリュットを、絵画や、造形芸術から解放することができただろうか。少なくとも、作品のスタイルや行為、あるいは作者の「純粋さ」といった内面性などに定義を依存させず、ソーシャルな次元を視点に組み込むことで、文学という領域にもアール・ブリュットが不可能ではない、という地点には少なくともたどり着けたのではないだろうか。まずは、作品のスタイルや作者の内面にこだわることから離れて、アール・ブリュットが立ち上がる社会体制という、「条件」に着目してみることだ。そのなかでは、あらゆる芸術表現は等価に扱われるだろうから。
 
 文学にアール・ブリュットは可能か、文学にアール・ブリュットは存在するかという問いには、断言という人間の特技をもってしてノーということは難しい。そういうことだから、不可能ではないし、可能である。そして存在しないということはないし、存在することができる。「なんとなく文学にもアール・ブリュット、あるんじゃない?」というそれこそなんとなくでしかなかった実感を、この文章ではすこし緻密に掘り下げてみて、ちょっとはその可能性を(理論的には)見つけ出すことができたかもしれない。具体的な作品に即していえば、ニーチェの「この人を見よ」を読んだとき、あるいはアルトーの「神の裁きと訣別するため」を読んだときの、これは文学におけるアール・ブリュットかもしれない、という思いに少しは確信が持てたかもわからない、ということだ。
 たしかにニーチェもアルトーも「病んでいる」。結局はその狂気という本質的「属性」に回帰してしまうのではないかという危惧をも抱きつつ、そうではない「アール・ブリュット」というものが成立するソーシャルな「体制」にこそ想像力を行き渡らせることで、文学の領野にも、「思考」の呪縛から解放される精神の飛翔が、かすかな希望として(何の、だれのための希望なんだか、は措いておくとしても)約束されるというものではないだろうか。
 
 ひとまずはそのようなもうひとつの「条件付け」を提示したところでこの文章はいったん閉じよう。これはあくまでも仮説みたいなものだし、まだまだこれだけでは、「精神疾患をもった作者」が主なアール・ブリュット文学の担い手であるというちょっとの例を示したに過ぎない。ジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」はどうなのか、ルーセルの「ロクス・ソルス」は、シュレーバーの回想録は、というように、今後検討してみたい例はいくらでもある。
 最後に、アール・ブリュットといえばのヘンリー・ダーガーのことを書いておきたい。「非現実の王国で」は、ヴィヴィアン・ガールズが主人公となっている絵画のほうが有名であるが、実はその絵画は「挿絵」なのであって、作品総体としては物語=小説の体裁を基本的にはとっていて、「絵物語」として15000ページもある代物だという事実を忘れてはならない。邦訳など出ているわけもないから、読むことすらできないのだけど(原語では出版されているのだろうか?)、それにしたって、「読破」を拒むようなものすごい「物量」のある文学は、他に類を見ない。そう、ここにもうひとつのヒントがあるのではないか。「読者」を想定しない文学。
 もちろんのこと、アール・ブリュット絵画も、「見られる」ことを想定していないものが多数を占める。そういう「邪念」を取り去ったところにアール・ブリュットは成立するのだけれど、皆が忘れかけているダーガーが実は文章の書き手でもあったということが、文学のアール・ブリュットが存在していたことを証明している。なんだあるんじゃんというオチでしかないのだけれども、読まれることをはなから想定しない文学、絵画や造形と同様にそんな地点にこそ、文学のアール・ブリュットはあるかもしれず、「発見される」というアクシデント・・・偶然に出くわすことなくしては存在しえなかったもの・・・決して探してはならないとぼくらに命令する文学なのだ。「文学にアール・ブリュットは可能か」などという問いが可能ですらない領域、非存在という形で存在しているもの・・・それはそういうものなのだと戦慄しながら想像することしかできないということそれ自体が、文学がアール・ブリュットとして「ある」(?)ことなのかもしれない。これにはちょっとびびってしまう。だから、あえて、探すなよ、という「命令」が作品そのものに宿っているものだったりするのではないか。
 
 
 追記:
そしてほんとに最後にもうひとつ。探されてはならないもの、知られざるものがアール・ブリュットではあるものの、「発掘」という営為はなされているから(それはそれで否定しないし、いくら探すなよと言っても見つかってしまうことはあるものだから)、そのなかでアール・ブリュットの絵画はなんらかの美的価値をもっているとされていて、「すごい」と言わしめるものこそがそう呼ばれる。そしてその作品数は膨大である。要するにアートの文脈において評価されているということ。対して、読まれることを拒む文学は、はたしてアートの、あるいはこれまでに積み上げられてきた文学という文脈において「読むに耐えうる」美的価値を持ちうるのかどうか、ここが現段階ではまだまだ不明瞭なところだ。ぼくらはダーガーの15000ページを読み、圧倒的な芸術的な高みにのぼりつめることができるか。この可能性が、決して高くないというところが、文学におけるアール・ブリュットというものの成立を難しくしているポイントでもあるのだろう。

初出「甦~Rebirth vol.6 福島文芸復興」(2022)

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