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有能無能を語る時に気づいた不思議なこと

有能無能を語る時に、皆、有能側として語る。

本当だ…

そう考えてみると、無能の私でさえTwitterの投稿を人から見たら「何を偉そうに」という投稿があると思う。

ただ「無意識に有能」になってはいない。
常に無能を自覚しています。
だから暇があれば、マーケティングの勉強をしたり、システム開発手法の勉強をしたりします。

しかし、クライアント側から意見を求められた時、自分はどう見えているのかが気になり始めました。

「有能ぶってしまっているのでは??」

ベースには無能の意識がある

実際にクライアントからの業務改善ツール制作導入等の相談で「私は職業プログラマーではない」というエクスキューズをつけて話すことも多いのです。
ベースには無能の意識があります。

ところが世の中全員有能

無能側の意見です!として伝える、私が異質だと全く気が付かなかった。

私は自分が無能過ぎるので、世の中には有能がとてつもなく多いのが当たり前。
だから、無能側から考えを伝えるクセがあるのです。

しかし、無能だとクライアント社内で言われている人も、有能無能を語る時は、常に有能側として意見を言っています。

「その人の考え方だもん、いろいろあるなー」くらいにしか思っていなかったのですが、びっくり仰天。

そうか「有能無能を語る時は、無意識に有能側になるのか!」

そっちが自然だ。

いつもお読みいただき、ありがとうございます。 書くだけでなく読みたいので、コメント欄で記事名入れてもらうと見に行きます。