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福島の甲状腺検査はIARC提言のモニタリングであると専門家が説明したことについて

2021年2月13日(土)、14日(日)の2日間、福島県立医科大学の主催で「『県民健康調査』国際シンポジウム」が開催され、その講演の中で複数の専門家が「福島で実施されている甲状腺検査はスクリーニングではなくモニタリングであり、IARCの提言では実施を推奨されている」という発言をしました。このシンポジウムはしばらくYouTubeで公開されていましたが、現在は非公開になっています。しかしこの重大な発言は記録に残されるべきではないかと思います。この件に関して、福島での甲状腺検査についてよくご存知の宮城学院女子大学の緑川早苗先生が、それがどういう意味を持つのか、解説してくださいました。

いただいたお手紙を画像で貼り付け、読みやすいように文章でだしています

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「福島の甲状腺検査はモニタリングとは言えない」

宮城学院女子大学 緑川早苗

1.はじめに

2021年2月13日の夜に福島県沖でマグニチュード7.3の地震が発生しました。気象庁によれば、この地震は10年前の東日本大震災の余震と考えられるもので、最大震度は6強、物的人的被害もありました。この地震でしばらくの間、東北新幹線は運休となり、完全に復帰したのは約1か月半後の3月26日でした。新幹線通勤をしている私にとってはずいぶんと長い期間に感じられ、この余震の大きさを認識させられました。
この地震のあった日とその翌日に、2021年 福島県立医科大学「県民健康調査」国際シンポジウムがweb開催されていました。地震のあった当日のセッション2は「甲状腺検査の現況と展望」であり、招待された専門家の中に1人でも、甲状腺検査の問題点を指摘し、改善策を提示する人がいてくれればいいが、と考えていました。しかし実際に傍聴し、複数の専門家から発言された「福島の甲状腺検査はモニタリングに相当する」という言葉を聞いて私は、驚愕してしまいました。なぜならばそのシンポジウムではIARC(国際がん研究機関)から出された「原子力事故後の甲状腺健康モニタリングの長期戦略」という提言を基盤として討論されていたので、提言を知っている人から見れば、それらの発言は科学的には明らかに誤った見解だったからです。さらに提言に対してどのような見方をしてもそれは個人の勝手であるといったレベルのものではなく、倫理的・人道的に問題となることなのに、どうして医学や医療の専門家がそのようなことをされたのかとびっくりしたのです。そして余震とともに強く私の脳裏に焼き付いたそれらの事実を、その後の経過とともに記録しておかなければならないと考えました。

2.スクリーニングとモニタリング

一般的にがん検診は、がんスクリーニングと表現されますが、ここで焦点となる原発事故後の甲状腺モニタリングという言葉は、甲状腺スクリーニングとどのように違うのでしょうか。その背景を簡単に説明しておきます。WHOの中にあるがんの専門家集団(IARC, International Agency for Research on Cancer)が2018年に提言1)をだしていますが、その内容は以下の通りです。

提言1 専門家グループは、原子力事故後に甲状腺集団スクリーニングを実施することは推奨しない。
提言2 専門家グループは原子力事故後、よりリスクの高い個人※に対して長期の甲状腺健康モニタリングプログラムの提供を検討するよう提言する。(※胎児期または小児期または思春期に100-500mGy以上の甲状腺線量を被ばくした者)

この提言の1にスクリーニング、提言の2にモニタリングという言葉があります。本提言の中に、スクリーニングとモニタリングについて比較した表(下記)がありますのでご覧ください。スクリーニングが集団を対象にして行われるのに対し、モニタリングは「よりリスクの高い個人」に対し、十分な説明をもとに、自分にとって利益が不利益を上回るかを、自分で判断し決定できるようにするものとして書かれています。そして参加を募集する場合にスクリーニングは積極的に募集、モニタリングは消極的に募集です。重要視されているもう一つの点は、意思決定プロセスの共有です。つまりリスクが高いと考えられる個人が、過剰診断の不利益もよく分かっている臨床医とコミュニケーションを取りながら、リスクや検査のメリットデメリットを理解し、意思決定までのプロセスを共有するということです。少なくとも個別の複数回の面談・相談を経て意思決定がなされるイメージでしょう。

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3.国際シンポジウムでの専門家の発言

次に、このIARCの提言と福島で行われている甲状腺検査について、前述の国際シンポジウムでどのような発言がなされたかを記載します。

発言1 セッションの最初のプログラムで「甲状腺検査の現状と本格検査(検査3回目)までの結果」と題し、福島医大の甲状腺検査部門長である志村浩己氏が甲状腺検査の概要をお話されました。 この中で福島の甲状腺検査はIARC提言のモニタリングに相当すると述べました
発言2 次に基調講演として甲状腺分子生物学の大家であるジェリー・トーマス氏(英・インペリアル・カレッジ・ロンドン)が、「チェルノブイリと福島:事故後10年の甲状腺への影響の比較」と題して話されました。この中でIARC提言を以下のように紹介しました。本来のIARC提言との違いを分かりやすくするために表で示します。

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トーマス氏のスライドでは、被ばく線量が100-500mGyを下回っている場合に集団スクリーニングは実施しないとなっていますが、IARCの提言では線量の規定なく集団スクリーニングは実施しないです。さらにトーマス氏は長期的なモニタリング実施を検討する場合の線量の条件を省いています。好意的に解釈すれば、100-500mGy以上の被ばくでモニタリングと捉えることも可能かもしれませんが、後述するその後の質疑応答などの発言が重要です。

発言3 トーマス氏の講演の座長をしていた、福島県立医科大学の甲状腺内分泌学講座の鈴木眞一氏が自分たちが行っている甲状腺検査はモニタリングに相当すると考えているが、どう思うか?をトーマス氏に問い、トーマス氏はそうだと答えています。講演のまとめで鈴木眞一氏がもういちどモニタリングである旨を話しています。

質疑応答 このセッションで過剰診断について講演された祖父江友孝氏が質疑応答の場面でトーマス氏に福島の甲状腺検査はスクリーニングではないかと質問されましたが、トーマス氏はこれを否定しました。


4.シンポジウム後の記録

このシンポジウムでのやり取りについて若年型甲状腺癌研究会JCJTCのメールリングで話題になりました。問題点は2つで、一つはIARCの提言が正しく紹介されなかったこと、もう一つは福島の甲状腺検査はモニタリングには当たらないにも関わらずモニタリングであるという見解が述べられたこと、です。一点目については、この提言はすでに学術論文として出版もされている科学的な見解です。トーマス氏も志村氏もIARC提言の作成にかかわったメンバーです。だからと言って、あるいはだからこそ、これを個人的な見解で勝手に「読み替える」ようなことは学術的・科学的に非常に違和感を覚えます。2点目については甲状腺検査がモニタリングにあたるとする根拠は何も示されておらず、前項に示した通り科学的には明らかにスクリーニングであり、モニタリングとは考えられないわけですので、この誤った見解が検査実施主体である福島医大のものなのかが議論になりました。
第16回福島県甲状腺評価部会(2021年3月22日)で本件について祖父江友孝部会員がこの件について甲状腺検査の事務局としての公式な見解なのかと質問をされました。志村氏はスクリーニングとモニタリングの違いは集団に対して積極的に行うか、個人にメリットデメリットを説明して同意をとって行うかの違いなので、どちらかと言えばモニタリングと考えている、と答えました。そしてIARCは福島の検査についての提言ではないということを強調されました。その後追加発言で福島医大の安村氏が、この見解は福島医大の見解ではなく、志村氏ならびに鈴木氏が研究者の個人的な見解として述べたと説明されました
 また、トーマス氏の知り合いの方が、シンポジウムのトーマス氏の発言がIARCの提言と違っており、これまでのトーマス氏の考えとも違うのではないかと思い、本件を直接トーマス氏に尋ねたられたと聞きました。トーマス氏からの返事によれば、IARCの提言のスライドの表記については、誤りではなく解釈の仕方ではこのようにも言えるとのことだったようです。しかし、福島では線量が低いのでいずれにしてもスクリーニングもモニタリングも必要ないが、専門家ができることはアドバイスであって、それらを行うかどうかは当事者の政策決定であると考えているということだったそうです。

5.まとめ

現在福島で行われている甲状腺検査は、スクリーニングであり、モニタリングには相当しないことは、IARCが文書の中で提示している定義から明らかです。また、IARCがモニタリングの実施の検討を推奨しているのは被曝量が100-500mGy以上の個人ですが、国連科学委員会の2021年3月の報告ではこのレベルで被曝した住民はいないと推計していますので、福島ではモニタリングを実施することも必要としない状況ということです。
今回の一連の経過の中で、専門家たちが福島の甲状腺検査がIARCの提言に沿ったものだという主張をしました。非常に危惧するべき事実が2点あります。第一はこのような主張をするために、IARCの提言の内容自体が意図的に改変され、また常識ではおよそ考えられない提言の曲解が行われたこと、第二はシンポジウムに参加していた日本を代表する専門家たちの中で、これらの発表や発言に異を唱えたのは祖父江氏だけであり、他の方々は疑義を示さなかった、ということです。
医療は対象者と医療者の信頼関係がその基本です。医療の安全性を確保するためには、科学的に正しい方法で実施することが大切です。そのスタート地点である科学を曲げた説明をしたり、そのような説明を容認・黙認したりすることは、対象者を危険にさらすと同時に、医療に対する信頼を揺るがす結果になるのではないでしょうか。今回の件に関わった方々には、このようなことを十分に理解していただくことを望みたいと思います。



学会で使われたスライドはしばらくの間、福島県立医科大学「県民健康調査」国際シンポジウムのページからYouTubeへのリンクが可能であり閲覧できましたが、現在は閲覧ができません。また福島医大から今回のシンポジウムの報告書が出されていますが、報告書の中にトーマス氏の当該スライドは提示されていません。鈴木眞一氏とトーマス氏のやり取りの中に一部記載されています。詳細は報告書(http://kenko-kanri.jp/img/2021report_jp.pdf)をご覧ください。

最後に、参考までに環境省が出している、国際がん研究機関(IARC)専門家グループの提言をだしておきます。
https://www.env.go.jp/chemi/rhm/r1kisoshiryo/r1kiso-03-07-21.html

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