見出し画像

成人式、振袖、友達のお母さん、お父さん。


昨日は成人の日、でしたね。

あれから8年経ちました。
肩こりがひどい、顔のニキビの治りが遅い、酒めっちゃ飲んだ時の翌日のひびきかたがえぐい、など体で歳を感じることが少し増えました。


少し私の成人式にまつわる話を聞いてってください。


私は高校卒業してから4ヶ月、ニートしていました。

受験シーズン、周りの友達はみんな大学、専門にどんどん決まっていき、私は自分が何をしたいのか、どうやって生きていくのか、そればっかり悩んでいて結局何も決めれませんでした。
卒業後、みんな新しい友達ができて楽しい生活送ってるのに自分だけ何もしていませんでした。
「みんなと違う…なんで自分だけ…」と高校卒業までに方向性を決めきれなかったツケが回ってきました。劣等感。
私は焦り、地元から逃げるように東京に住んでいた姉夫婦の家に転がり込み、バイトに明け暮れました。
狭い田舎の世界から出てきた私にとって東京の全てが楽しかったです。いろんな人に会い、話すうちに自己肯定感も少しは上がっていました。


1年後、地元の友達が成人式の前撮りをしはじめ、振袖を決め始めました。

「成人式は帰ってくるんやろ?」
「振袖どんなんにするん?」
そう聞いてくる友達も多かったのですが、地元を離れて心が軽くなっていた私は成人式に出ることに少し抵抗がありました。

しばらくして姉の妊娠が発覚し出産のため私は地元に帰ることになりました。

成人式に行くのに迷っていましたが、帰ってきたので出ない理由はなくなりました。
成人式まであと3ヶ月…
振袖は決めておらず。
ちなみにこの時、私の家庭は弟のおかげでとんでもなく荒れており、両親は私の成人式どころではなかったので、一切手を貸せない状態でした。


スーツで参加するか…と振袖は諦めていました。
成人式まであと1週間くらいまで迫ってました。


そんな中、中学からの友達Yと遊びに行きました。
その帰り、Yのお母さんが車で迎えにきてくれました。そのお母さんはいつも気さくに話をしてくれる人です。

「振袖決まったん?」

「見つからんかったからスーツで参加すんねん」

答えながら、少し悲しくなりました。

「振袖貸すから着て出ぇや」

「Yの姉ちゃんの振袖があるからそれでよかったら着ぃや」

着付けもYに頼んでる人についでにやってもらえることになりました。
もしかすると私がスーツで参加するのをYから聞いたお母さんが、元から貸すつもりで言ってくれたのかもしれません。
車に同乗していたYの姉も快く貸し出しを了解してくれました。


自分、本当は振袖が着たかったんだなぁと気づきました。
純粋な”振袖が着たかった”ではなく、また自分だけみんなと違うのは嫌だ、だから”振袖が着たかった”だと思います。
上京してから押し殺していた気持ち、勝手に周りと比べて抱いていた劣等感が”成人式の振袖”で浮き彫りになっていたんです。当時の私はすぐ人と比べていたんです。

みんなと一緒に振袖着れる、嬉しかったです。

当日、私の地域では珍しく大雪でした。

このプリクラ大好きです。

画像1

式が終わり、Yと一緒に後撮りに行きました。

後撮りをしたスタジオがYのお父さんの知り合いのようで、私の撮影費用はいらないから、気に入った写真があれば一枚単位で買えばいい、と言ってくれました。

撮影が終わり、Yのお父さんに家まで送ってもらいました。

その車中、Yのお父さんが
「写真は買っときや、マキオの親はお金出さんかもしれんけど、自分で出せるお金で買っときや。親に振袖姿見せるんやで、思い出になるから」
そんなことを言っていた気がします。
でも、地元に帰ってきてから働いていなかった私はお金がなく、結局撮影してもらっただけでした。

Yの両親のご厚意にすごく感謝しています。



成人の日からしばらく経ってYと遊んだときのこと。

Yが「マキオに言っておきたいことがある」と意味深に言ってきました。
どうしたん?なんかあったん?
聞いても「うーーん、あーーやっぱ無理や、言えんわ。言いたいけど言えんわ」とかなり渋ってました。
結局その日Yは何も言わず、心配しましたが無理矢理聞く雰囲気でもなかったのでいつか言ってくれるかな、と思ってました。


その数ヶ月後、Yのお父さんが亡くなりました。

Yからの電話で知りました。
1年ほど前から余命宣告されていたみたいです。
「あの日マキオに言おうとしてたの、それやってん、お父さんの余命がもうないって、お父さんとよく喋ってたマキオには言いたかったけど、無理やった」

親友のお父さんの死にすごく動揺しました。

お葬式に参加しました。
大泣きしているYのお母さん、お姉ちゃん、親友。


成人式の帰りにYのお父さんが言っていたこと、
晴れの日、親に振袖見せや、思い出残しやと。

あとで思い返せばそういうことかと。
自身の余命が残りわずかなのを知っていたから、言っていたのかな。



成人の日が来るとこのことを思い出します。

振袖を通して感じた当時の劣等感。

Yのお父さんのこと。


歳をとり、記憶が薄れていく前に書き残したい想い出の一つでした。

書けてよかったです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?