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スパルタ英会話創業の熱き想い

1 はじまりの場所〜バンクーバーでの出会い〜 

スパルタ英会話はコチラ

TOEICわずか380点で外資系証券会社であるモルガン・スタンレーMUFG証券に入社することが決まった僕は、どうにか英語力を上げないといけない状況でした。そもそも英語は大嫌い。数学が大好き。なぜなら確固たる答えがあるから。なんで過去形にあんないろんな形があるんだと。全部に「ed」付ければいいじゃんって思っていました。
 僕の絶望的な英語力に、会社がバンクーバーに行ってこいと指令を出します。内定者時代に語学留学に行かせてもらいました。同期は全員TOEIC900点以上だったのですが、僕だけ行かせるのは不公平だと、同期みんなで行くことに。
 当然、語学学校でのクラスは10段階ぐらいある中で、一番下のクラスと下から2番目のクラスを履修する形に。
 オリエンテーションはレベル関係なく、到着した順に行っていたので、たくさんのレベルの人がいました。
 語学学校でたまたま横に座ったのが、一緒に起業した、たかでした。
 当時、僕は23歳。大学院2年生。たかは大学1年生。19歳。めっちゃ若いなこいつって思ってました。
 僕は覚えてないけど、「すげ〜年上の人に『トイレどこ?』って聞かれて、『Follow me』って答えたら、『Follow me ってどういう意味?』って聞かれたのが最初の会話だよ」っていつもたかは当時の僕との話をしています。
 最初の仲良いグループというか、10人ぐらいで町をぶらついたり港に行ったり。そんな中に僕もたかもいました。

世界平和・起業について語りあう

 そんな出会いから数日。もう一人を加えて3人で日本料理の居酒屋に行ったとき、僕は世界平和について熱く語り、たかは起業をしたいと熱く語り合う時間がありました。あの夜、他の友達たちと違った世界へ足を踏み入れた気がします。
 そこからはどうやって起業するのか、どうやったら世界がよくなるのか、なんかおもしろいことをしようと、そんな話を飲んだくれながら、ときには韓国人と合コンをしながらも話していました。
 留学が楽しすぎて、僕は1ヶ月の留学の中で、ホームステイ先で夜ご飯を食べたのは最初の3日ぐらい。あとは、ほとんど終電帰り。なんなら終電を逃して、ヒッチハイクで家まで帰ったこともあるぐらいでした。
 そのほとんどをたかと一緒にいた気がします。

わらしべセブンが世界を救う

 大学時代、僕の中で流行っていたのが「企画旅行」。
 ・ヒッチハイクで四国一周(合計18台に乗せてもらう)
 ・与論島で0円生活(民家に泊めてもらう、朝から晩まで100軒ぐらいの家のチャイムを鳴らして頼む)
 ・わらしべ長者の旅(物々交換でワラを、お菓子へ、お菓子からワインへ、ワインからゴルフクラブへ、そして最後バイク2台にまで交換してもらう)
 体育会アイスホッケー部だったのですが、休みが年に3日だけしかありませんでした。この3日をいかに楽しむかとうことで、企画旅行をしていました。
 バンクーバーでこの話をすると、みんなやりたいやりたいと。それなら東京に帰ってからやろうということで、その場にいた7人は「わらしべセブン」というユニット名になりました。コンセプトは、「わらしべセブンが世界を救う」。
 わらしべ長者というのは、そもそもが物々交換だし、そこには優しさが乗っかるから、より良い商品になるわけです。世の中の優しさの証明が、バイク2台なわけです。
 なので、わらしべ長者をたくさんやって、そんな物々交換のサイトを作って、世の中の優しさの証明をしていこうと。その第一歩として、みんなでわらしべ長者の旅をやろうとなりました。
 当時、YouTubeなんてなかったので、ただの趣味ですw起業したあと、有名YouTuber(Max村井さんと一緒に出てるりおなりさん)とコラボ企画をやった際、この話をしたら「え!?趣味ですか!?YouTubeじゃなく?そんな人世の中にいるんだ。。。」とびっくりされましたw
 
 バンクーバーから帰ってきてから、7人を東京に集めるために一苦労。大阪・佐賀からも呼び寄せないといけないし、なんなら一人はバンクーバーから一時帰国でわらしべ長者をやりに帰ってきました。
 まずはワラを買って、物々交換開始。最初はポケットティッシュ。その次はお菓子、そしてブランド物のハンカチ。1回目でコツを掴んでいるので、どんどんとレベルアップ。民家をピンポンしまくります。
 そして青山学院大学に移動し、「わらしべは世界を救うんです!交換してください!」と謎の熱弁の結果、ブランド物のハンカチがアイポッドMINIに変えてくれる学生が現れました。アイポッドMINIを持って、とりあえず行ってみようと向かった先がベンツのディーラーショップ。学生7人で頼んだものの、さすがにアイポッドとベンツは交換してくれませんでした。
 ひとまず原付に変えようと、地元のバイクショップの店長と話すこと15分。一番ぼろい原付と交換してもらえることに!ここまでの所要時間、わずか8時間でした。

2 語学への想い〜語学が戦争をなくす〜

 わらしべから数ヶ月。またなんか面白いことをやりたいよねと。渋谷のマックに毎週集まって会議。
 とりあえず、渋谷を綺麗にしたら、世界は綺麗になるんじゃないかと、友達30人ぐらいを集めてハチ公お掃除企画をやってみたり。争いや戦争が起きるのは、相手のことをわかってないからだから、コミュニケーションの壁を乗り越えるための語学を広めたら世界平和だと言って、留学生交流会を開いたり。起業ではないけれども、いろんなことにチャレンジしていました。

応援隊になる

 あるとき、謎に、「関西に行って、支部を作ろう」となり、京都旅行に行きました。支部どころか、東京本部ですら3人のままなのに。遊びに行った関西大学で、たまたま文化祭がやってました。ソーラン節部(?)が練習しているのを見つけて、「僕ら世界の応援団なので、応援します!」って言って、ソーラン節を踊っている数十人の前で、謎に3人で応援をしたり、関西大学でコスプレをして掃除をするっていう人たちを見つけて一緒に掃除をしたり。「どうやったら世界は平和になるのか」っていう質問を画用紙に書いて、大学でみんなに話しかけたり。思いつくことは全部実行していました。(学生のときの話ですからね!w)とはいえ、今から考えると、目標設定はされてなかったし、目標に向かっていたわけでもないし、その場で思いついたことをどんどん実行するという、実行力だけは異常にあるだけの学生でした。(いまでも基本的な性格は変わってない)。

農家応援サイトを作成!?

 だんだんと、ビジネスとして成り立つような目標に落とし込んで行こうとなり、「地方創生」をキーワードに農家応援サイトを作成しようとなりました。当時、僕はモルガン・スタンレーに入ったばかりのころで、NY研修中でしたが、日本とメールのやりとりをしながらプロジェクトを進めて行こうと。
 やろうとしていたのは、地方の美味しいものを作っている農家の想いを、マップ上にピンで表示できるようにして、そこから取り寄せができるというようなサービスでした。けれど、これもNYと距離があったり、ビジネス方針が合わなかったりして、断念。
 農業や食には僕もたかも興味があったので、その後も一緒に「おかゆ屋さんビジネス」を立ち上げようと、家でいろんな出汁をとってみたり、韓国におかゆ研究の旅に行ったり。
 「畑を貸し出すビジネス」をやろうと、農大に友達を作りに行ったり、農大の合宿に潜り込んだり、農家に交渉に行ったり。
 そんなこんなをしていても、あまり実現化まで漕ぎ着けられませんでした。

3 創業期〜英会話サークルスタート〜

 ここまでの5年間、たかとはめちゃくちゃ会ってる時期と、ちょっと会わなくなる時期をいったりきたり。ふと気づくとたかがカフェで英会話サークルを立ち上げてました。「こも(僕のこと)、運営手伝ってよ。」という一言から、僕も運営メンバーにジョイン。これが今のスパルタ英会話の一番最初になります。
 そこには、スパルタ英会話筆頭講師のカルメン(インスタで有名、フォロワー4万人)も毎週参加してくれて。
 ハリーポッターの映画をスクリプト化して英語を学んだり、毎週手作りで教材を作っていました。数ヶ月で20人ぐらい集まるサークルになり、夏のバーベキューも40〜50人ぐらい集まった気がします。

パーティ事業!?

 英会話サークルで半年ぐらい動いたものの、売上も1回あたりは微々たるもので、生活をしていくのはしんどかったです。なので、パーティ事業だったら、友達が友達を呼んできてくれるから、常に大規模化していくし、最高じゃないかってなり、パーティ事業をはじめました。
 最初は、どのくらいの分量の食べ物を用意すればいいかもわからないし、お寿司は買ったのにお醤油がなくて途中で買い出しにいったり、パーティなのに、友達からお金を取るのがいやで、ぎりぎりの値段設定で一人3000円とかだから利益がほとんど出なかったり。
 1ヶ月目に、毎週パーティを開いて、それだけで疲れすぎて、死にそうになりましたwただ、最初の1ヶ月、4回のパーティで運営が3人で8万円儲けたとき、僕らめちゃくちゃポジティブなので、「やった!8万円も利益出た!100倍にすれば遊んで暮らせるぞ!」って言っていましたw
 とはいえ、パーティ事業は疲れすぎるし、性格に合わないと断念。人には向き不向きがありますからね。

わらしべ英会話教室からスパルタへ

 半分パーティ事業、半分カフェ英会話事業というイメージで、BBQをやりました。そのとき、コスト削減のために実家の車に大量の荷物を乗っけて、椅子や机まで運んで、多摩川でBBQをやりました。川沿いでBBQはもちろん、スイカ割りを楽しんだりとか最高だったのですが、その日はとても暑く2人ぐらい熱射病になってしまいました。運営であった僕たちもほぼ熱射病の中、気持ちを張って、なんとかやり切ったのが、パーティ事業の最後です。バーベキューには起業スクールCash Engine現代表の田井譲も来てくれてました。

そのとき、きてくれた数人から「もっと本格的に英語を習いたい」と言ってくれたところから、英会話事業が本格化します。

ぎりぎり英会話
 

 最初は、営利事業なのか、非営利事業なのか。お金もほとんどもらっていなかったので、区民会館とか友達のマンションのセミナールームとか、そんなお金のかからないところで、ひとまず英語を学びたい人に集まってもらいながら、カリキュラム作成と同時にリリースするような日々を2ヶ月ぐらい送っていました。
 だんだんとコンテンツも揃ってきたころに、とあるベンチャーキャピタルの方から、起業家たちにレッスンをしてくれるなら、部屋を自由に使っていいと言ってくださり、起業家向け英会話&一般向け英会話が始まりました。
 さらに2ヶ月したころ、「もう部屋を借りてしまおう」となり、新宿御苑へとオフィスを構えます。同時に会社を立ち上げますが、キャッシュは150万円程度で、オフィスの初期費用を払ったら残り80万円。家賃が30万円なので、売上が上がらなければ、3ヶ月で倒産という計算でした。

 本当に運のいいことに、「スパルタ 英会話」で検索してくださる方が大勢おり、(名前をスパルタ英会話にしてよかった)、1ヶ月目から数百万円の売上があがり、順調な滑り出しとなります。

ロボット英会話

 半年後、ソフトバンクから、ロボットのペッパー君が出た時、「プログラミングすれば、絶対ペッパー君で英会話事業ができる!」と、第1回目のペッパー君の抽選に応募しました。結果、1台買うことができました!とっても高かったです。。。そして残念なことに、とっても使えなかったです。。。いえ、いろんなアプリがあるので、素晴らしいのですが、英会話事業をやる上で、使いこなすことができませんでした。
 でも、その当時と、今の想いは変わっていません。英語学習において、もっともっと効率化と楽しさを向上することはできると思っています。
 ロボットから楽しく学習する世界を作りたいものです。

お客様からの応援 with Carmen 

 少し話は遡りますが、筆頭講師であり、現在フォロワー4万人のカルメン講師は、創業当時からのメンバーです。(学生時代からの友人でもあります。)
 創業当時は、週3日は会社に泊まるのが当たり前。2年間は1月1日以外、ずっと働き続けてました。とある祝日、祝日なので教室としては休みにしていたつもりで、ソファに寝っ転がりながら、資料を散乱させて創業メンバーでカリキュラムを作っていたら、50代ぐらいの男性の生徒さんが入ってきてしまい、とっても気まずい想いをしました。でも、そのお客様は本当にいろいろと応援してくださり、カリキュラムのミスや改善点など、いつも優しく指摘してくれました。
 よく、「クレームはお客様からの愛の言葉だ」的な話がありますが、本当にクレームとかではなく、「小茂鳥くんたちが頑張ってカリキュラムを作ってくれるから、僕は英語の勉強ができる。だから、応援してるよ。がんばってね。」という言葉と共に、「言いにくいんだけど、カリキュラムでミスを見つけてしまったから、共有しておくね。」という形でサポートしてくださいました。本当に、今思い出しても頭が上がりません。
 それ以外にも、毎月ご飯をご馳走してくださる方や、お客様との交流パーティを開くたびにお酒の差し入れをしてくださるお客様もいました。
 至らぬ点が本当に多かった創業時だと思いますが、文字通り、お客様の支えがあって少しずつ改善を行うことができました。

 数年後、生徒さんの交流パーティで、学生コンビで仲良くなった二人が、先生の物真似や英語あるあるでの漫才などを披露したり、アットホームな雰囲気で、少しずつ生徒さんも増えていきました。

 もちろん、リアルなクレームもありましたし、乗り越えなければいけない壁はたくさんありました。それも全てチーム一丸となって乗り越えることができたのは、かけがえのない思い出です。

最初のお客様!

 創業は新宿御苑前駅2番出口からすぐのプロントを曲がった角にある、ガーデンビルの2Fでした。
 最初の装飾は、30畳ぐらいのでかい部屋をDIYでフローリング敷き詰めて、そこにソファーを5個くらい窓際に並べて、照明をちょっと暗くした、学園祭の出し物みたいな部屋でした。
 そこに友達を誘ってクリスマスパーティをしたりと楽しい思い出ばかりです。
 
 教室を開いたときにはすでに30人ぐらいは前からやっていた移動式英会話のお客さんがいたので、ちょこちょこ授業は行っていましたが、新規のお客様もゲットしないといけないので、ビラとポケットティッシュを作って、毎朝7時から御苑の前で僕やたかで大声で「おはようございます!スパルタ英会話です!よろしくお願いします!」と言いながら配っていました。
 12月の寒い中だったけど、どうやったらポケットティッシュをもらってくれる確率が上がるかをネットで調べたり、試行錯誤しながら話し合ったりしていました。「相手の目を見ながら声を出すと、もらってくれるっぽいぞ」「相手の手に向かって、通常より1.5倍ぐらいのスピードでポケットティッシュを出すと、びっくりして手を出しちゃうから取ってくれるぞw」「とりあえず、もらってくれない相手でも、耳にスパルタ英会話って言葉を何回も叩き込もう」などなどw
 もう、ポケットティッシュ一つとっても本気でしたね。ビラも、どうやったら同じ時間数の中で最大枚数を配れるかを考え、走ってポストインしてましたね。全員で。

 そんなこんなでがんばっていたので、わずか3日で最初のお客様が遊びにきてくれました。
 今から考えると、30畳の広さに、ソファが5つ置いてあるだけ。よくそんな英会話教室に入ってくれましたよw
 女性の60歳弱ぐらいのマダムだったのですが、完全に僕らのことを助けるってノリでしたね。よくご飯も奢ってもらってましたしw本当に感謝です。

 さすがに内装を変えようってことで、最初の半年間で多分30回くらいは内装変えました!かなり大きくw簡単に言うと毎週全然違う内装になってましたね。
 どんな風に変わっていったかでいうと、最初はまず受付を作ろうってなり、受付を作るならドアを入ってすぐのところに作りたいよねと。イメージは自由が丘の店舗と同じです。
 そうするために、本棚を5個イケアで買ってきて、コの字型に並べて、手前に椅子と机を置いて、受付にしました。コの字の中部分は布団が敷いてありいつでも仮眠が取れるし、当時は週3日くらい会社に泊まっていたのでその布団やソファで寝ていましたw
 あれがまだ6年前って思うと、月日が経つのは早いなぁ。
 
 本棚もソファもがんがん動かせるから、時にはドアを入って正面が受付だと思ったら、次の週にはドアを入ってすぐ左に受付があったり。授業するスペースも、本棚でしか区切ってないから、真ん中で空間が区切られて右側授業スペースがあったり、本棚は全部壁際に寄せて部屋の全部が授業スペースになったり。面白かったのは、部屋を一周しないとグループレッスンゾーンにたどり着けないように、本棚とソファで迷路みたいにしたり。あとは部屋のど真ん中に天井までつくぐらいの観葉植物買ってきて、それを中心とした「植物園英会話」みたいな状態になったり。
 他にも、エレベーターホールの電球に色付きのラップを何重にも巻いて、薄暗くして、そこに偽物の植物を置きまくって、壁もツタだらけにして、小さいスピーカーでジャングルの音を鳴らし続けるっていうジャングル英会話になっていたこともありました。

 いやぁ、あれはめんどくさかったなぁ。スピーカーの電池が1時間しかもたないから、ドアの横の受付に座って、エレベーターの音が「カコンっ」って鳴るたびにスピーカーの電源をオンにしにいくっていう、ありえないオペレーションをしていましたwでも、それがお客さんが喜ぶだろうし、起業を成功させようって思っていたので本気でしたねw

 ちなみに今の新宿御苑校7階も、オープン当初は入ったところに観葉植物が3つぐらいと、上からツタが垂れ下がって、サルのぬいぐるみがそのツタにくっついていましたw

 起業して初月の売上が100万円、2〜3ヶ月目は200万円、それ以降から300万円ぐらいの売上が上がるようになってきました。この段階でもテキストは4〜5回は作り直してるし、内装も十回以上も変わってるし、値段設定も最初の半年で3回ぐらい変わってるし、マンツーマンだったりグループだったりも値段設定と同じぐらい変わりましたね。
 そのあとの半年も変更しまくりましたが!
 そうやってPDCAを回しまくって、だんだんとスタイルが確立されていきました。

 ガーデンビル2Fで創業してから1年後、お客様が多くなり、部屋が狭くなってしまったので、ガーデンビル3Fを借りることにしました。ここが、最初の写真の場所です。
 ここを借りるときは、ちゃんとデザイナーや建築士に入ってもらって数百万円かけて作りましたよ〜!たった一年でしたけど、濃密な一年でした!

 2Fと3Fの2部屋を借りて、2Fは受付&勉強部屋。3Fはレッスンルームという形で運営していました。ペッパーを買ったっていう話をしたかと思うのですが、当然2Fでは受付をやってもらおうとペッパーを用意。

 初めてきたお客さんは喜んでくれるのですが、ペッパーと2人きり、いや2体きり?1人と1体になると、これがまた地獄の空間でした。ペッパーは、こっちがちょっとでも身動きを取るとセンサー、いや、目でみて反応して、「ウン!?ピピ!?Hello !」ってこっちをみてくるのです。これがうるさいのなんの。一生懸命ペッパーに存在がばれないように、受付で身を縮めながら仕事していましたよ。。。w

 3Fでもいろんなチャレンジしました!
 まず受付には、小さいカップを入れると出てくるコーヒーマシンを用意してお客様は飲み放題にしたり!コーヒーはもちろん抹茶とかイチゴミルクとかも作れるすぐれもので、その飲み物の箱でタワー作って飾ったりしてたなぁ〜。
 
 3Fの冬がこれまた静電気の嵐で大変だった!
 一番角っこの柱が全部レンガになっていて、全部本物のレンガなんですよ。だから吸水性が抜群で湿気を吸うんです。あとは入って右の部屋の壁も本物の木で作られていました。同じ素材でパーテーションが5個くらいあって、5個くらいのマンツーマンルームに区切られていたんです。この木も吸水性抜群!
 冬とかは毎日レンガとか木に水かけてもだめなくらい湿気がなくなって、ドアノブに触る前には必ず静電気を放出してからじゃないと痛すぎてドアを開けられませんでした。あれ、ずっとやり続けたら絶対に心臓に悪いw

 でも3Fのデザインは一番は一番お気に入りだったなぁ〜!あの海の感じはきれいで落ち着くし、最高の空間でした!
 今の新宿御苑校もこだわりの空間ですよ!あそこは建築士の賞とかも受賞している人がデザインしました!
 コンセプトは「会話を《学習》し《楽しむ》場所」ということで、学習空間と楽しむ空間を半分にわけ、その接点を丸みで緩やかにつなげるっていうイメージです。
 学習空間っていうのは、一番奥のマンツーマンゾーンと入って右奥のコンサルゾーンですね。楽しむ空間ってのは入って左奥のグループゾーンから受付を通って入り口すぐの空間までの斜めのゾーンのことをイメージしています。
 つまり、学習空間と楽しむ空間が斜めに交差してる感じですね!
 これは、英会話っていうのは学習するものでもあるし楽しむものでもあるよっていうことを表現しています。
 だから、御苑校のオープン当時は受付の前の空間にポーカー台が置いてあって、英語でポーカーを楽しめたり、入り口すぐのところは観葉植物だらけで自然を楽しめるような空間になっていたりしました!
 いまでもスタッフがお客様からの言葉を銀座に貼ったりと、いろいろ工夫してくれてます。いろんな工夫をどんどんと個人でしてくれていいと思っています!

 今の御苑校に移ったのは2016年の6月なので、起業して1年半後ですね!当時はグループレッスンがなかったので、グループレッスンゾーンはお客様同士が勝手に話していいよって空間だったんです。でもそれだと機能しなかったので、8月くらいから料金の値上げとともにグループレッスン通い放題をはじめました。

 グループレッスンも最初はまったくカリキュラムなんてなくて、楽しんでいただくことが目的だったのですが、お客様からの要望もあり、どんどんとカリキュラムが出来上がりました。

 話は変わりますが、昔は、株式会社スパルタ英会話ではなく、株式会社StoryLandっていう名前だったんです。「みんなそれぞれのストーリーが最高のものになって、それが集まっている場所になるように」って願いを込めて作った名前です!今ともそんなに考え方は変わってないですねw

 株式会社スパルタ英会話の親会社を作ってホールディングス化をしたのですが、その会社の名前は株式会社We &です。株式会社We &も、「私たちといろんなことをやっていきましょうよ」って名前なので、とても似たような考え方です!

創業の想い

 支離滅裂と、スパルタ英会話の創業前の話から、創業後の話をしてきましたが、最後にもう少し、創業の想いのところをお話します。

 スパルタ英会話ができたのは、お客様からの要望があったり、とにかくチャレンジ精神でどんどんとチャレンジしてPDCAを回してきたからなのは事実ですが、そこには「社会課題を解決したい」とか「日本をよくしたい」っていう強い想いがあります。

 スパルタ英会話の本当の一番最初は、大学時代にたかと「留学生交流会」を開いていたときに遡ります。

 なぜ戦争が起こるのか?もちろん経済・宗教・民族などの理由はあるかもしれないけど、「相手のことをよく知らないから簡単に憎める」ってことじゃないかと、大学生のとき考えました。そこで、「相手のことを知れるよう、英語とコミュニケーションを鍛え、それで世界平和を目指そう!」と考えたのが、留学生交流会です。その想いはずっと変わらず、スパルタ英会話を立ち上げたとき、そして今にも続いています。

 生徒のみなさんが、英語を学習し、自分の夢を叶え、そして世界中に信頼できる友達を作っていき、世界が少しでも平和になったらいいなと思っています!!

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