傷ついてもいいからわたしでいたかった
夜中の0時を過ぎた瞬間にKindleを開き予約していた本がダウンロード出来ているか確認した。事前に「Kindle 予約日の何時から読めるのか」と調べていたので、久しぶりの友達と飲んで帰宅した金曜日の23時すぎ、本来ならもうお風呂に入るかすら悩ましい疲れでグッタリしている時だけれども、わたしはダッシュでシャワーを浴びて0時を待った。
彼女の本は全て読んでいる。
孤独が美しい事も、あらゆる出来事に対して美しさを見出して決して立ちどまらない強さを、寂しさすらも思いっきり吸い込んで病むことなく進んでいく力を、思考を、思考のディテールの精密さに、いつも感嘆とした。
わたしはある決断をしようと思っていた時だったから彼女の新書を頼りに、道標に、そして契機にしようと企んでいた。
なにかをきっかけにしなければ、もう思い切って決断をすることが不可能であることだけは頭の中で唯一ハッキリと理解していることであり、水の中を泳ぐ金魚のようにいつまでも迷ってはいられない、と。
スケジュールは全てスマホの中で管理している。
土日のスケジュールは、1ヶ月先くらいまでほぼ確定している。ふんわりと過ごすことがどうしても苦手で、なにかをしていないと自分の価値がどんどん急降下するような気がして昔から詰め込んでしまう人間で、それが正しさなのかどうか時々、自問自答してしまう。
「はじめまして、どんなお仕事をされていますか?」
「はじめまして、土日はどのように過ごされていますか?」
「趣味はなんですか?」
「お酒を飲むのは好きですか?」
32歳目前だったあの頃のわたしは、自分の人生がどうなっていくのか、このままだと人生が「静」のまま終わっていくのではないかとそう思い、動いてみた。自分にとって人生で一番心底大好きだなあ、一緒に人生を歩んでみたいなあと思う人がいたけれど、その人にはきっとわたしの本当の本心は伝わっていなかったし、色んな条件を加味しなくても絶対的に結ばれることはないことを知っていた。
その人からそっと離れようと思うと同時にみんなと同じようにパートナーを見つけて一緒に生きていける人を探す努力をしてみようと、右へ倣えをすることが正常で幸せだと判断されるこの社会で自分なりの本当に正しいと思える答えを選んでみたかったのだ。
もう年齢的にも社会的にも(コロナ禍)合コンはない、婚活パーティーやアプリはもう懲りたし、既婚者かどうかを見分ける術など持ち合わせているような恋愛マスターではないし、効率を考えて相談所の門を叩いた。
このやりとりを、この2年でわたしは50人以上と行った。
平日同様に営業スマイルを作り、気を使い、切りたくない前髪を切って若く見えるために前髪を作り、髪の毛を鎖骨あたりまで伸ばしてワンカールし、良い匂いの香水を軽くつけて、土日は毎週のようにホテルのラウンジにいた。
わたし自身が難ありであることはとても自覚しているので、相手に求めるものも、好きだと感じる気持ちも、そんなものは捨てていた。条件だけを見てすり合わせて、生理的に無理ではなければもう一刻も早く結婚をしてしまいたかった。
土日合わせて最大で6人とお見合いをした日には、家に帰ってからグッタリで、このしんどさと仕事での営業を比較するなら後者の方がマシだと感じながら夜ご飯も食べずに眠りについた。
1時間過ごすという決まりがある以上、コミュニケーションが苦手な人が来たとしても、いつもの営業を生かして話を続けた。時に面接みたいになったり、もうお互い無いなあと思っているのに適当にやり過ごしたり、それは様々だった。
仲人さんからは、白いワンピースやふわふわした服を着ていく方が印象がいいですよと散々言われていたのに、そんな服が嫌いなわたしは自分の思うままに、でも絶対にスカートで、メイクも薄めで、と心がけた。
中にはお酒を楽しく飲みに出かけたり、デートスポットにデートに行ったり、それなり進んだこともあったけれど、色んな事情で何度か訪れたそんなチャンスは全て壊れた。
お見合いをすればするほど、自分が嫌いになりそうだった。誰かに好かれるために作る自分はどこか本来の自分を置いてけぼりにしていて、笑っていても笑えているのかよく分からなかった。
それでも、やっぱり笑っていないと、心ごと壊れてしまう気がしていた。
その日はその人と2回目のご飯に行く日だった。
わたしは結婚後の住む場所問題でやはりお断りをしようかどうか、今日再度色々とお話をして決めようと思っていた。
ボーナスが出た時期で、ずっと欲しかったバックを購入してからお店に向かった。
ある程度時間がたってから、結婚に向けての話の中で、お互いにやはりわたしたちは無理そうだね、という結論に達した。
そして最後に「ずっと言いたかったけど、写真と違うよね。もっと目が大きいと思ってたし、もっと可愛いと思ってた。」と容姿についての言葉を投げつけられたところでご飯は終わりを告げた。
その日は日曜日の夜で、明日からまた仕事に行かなきゃいけないのに、なんでわたしは日曜日の夜にこんな目に遭っているのだろうか、わたしは一体、前世で村でも焼いたり人を殺したりしたのだろうか、どうして、どうして。
気づけばその帰りの電車でも涙がこぼれ、自分のお見合い用の写真のスクショに大きく✖️印をつけて画像自体全てスマホから削除した。
そのあともなんだかんだ容姿について言われることがあり、指摘を受けるたびにもともとマイナスだった自信がもう底の底をついてしまった。
気づいた時には美容整形クリニックのカウセリングを予約していて、目と鼻を整形したいとカウンセリングに行ったあの日、先生に向かって、「もうわたしのこの顔を切り刻んでください。わたしもうこれ以上自分のことを嫌いになりたくないです…」とどんなふうに整形したいか確認するために渡されたはずの鏡を見ながら静かに涙を流した。
すごく困った客だったと思う。
それでも先生はとても冷静に、「整形はあなたが本当に自分のためにするもので、切り刻むものではないです。あなたが自分のことを嫌いにならないですむようにお手伝いはできます。」と言われてティッシュを箱ごと渡され止まらない涙を拭った。
あの人みたいな二重の幅にして、あの人みたいな鼻にして、100万円で収まりますか?とかそういう本格的な話をしに行ったはずが、わたしの涙が止まらず、「一度帰ってしっかり考えてきてくださいね。」と見積書を渡されて帰宅を促された。
容姿についてずっと悩みながら生きてきた人生だった。
小学校時代はキツネと言われ悪口や陰口を叩かれ、いじめられた。
大学生になると「あなたではなくて一緒にいた可愛い友達は今日はいないの?」とあなたを求めてないよと遠まわしに告げられ、せめて痩せようとお昼ご飯を食べないというダイエットをして大学生の最後には上半身は本当に細かった。
社会人になりたての時も自分は可愛くもないし当時は肌荒れでニキビも凄かったから、人に顔が見られることが嫌で同期の男の子と仲良くすることも自分からは出来なかった。どこにいてもなにをしていても、自信がなくて、でもそう思われたくなくてずっとずっと強くなりたいと思いながら強いフリをしてきた。
わたしの人生の中で安全にそして安心して暮らせたのは中高時代だけで、あのあたたかい光の中にずっとずっといたかった。何度だって、あの日に、あの時に戻りたい、もう戻れないのならわたしには影しかないような気がして、光でいれる瞬間は刹那的だったなあとどこかいつも懐かしむような気持ちを抱えていた。
「写真と違う」「もっと目が大きいと思った」「ヤらせてよ」と言葉を投げつけられ、わたしは一体どうすれば正解だったのだろうか。
会社の飲み会で下ネタ三昧の会話に付き合うことや、男性陣の飲み会にわたしだけ誘われて行くことなんかは全くもって苦痛ではなかった。でもそれはきっと毎日過ごす時間のなかで信頼関係ができていたからなんだろうと、こんな時になってそんな当たり前のことに気づく。
写真から大きくズレがないように、髪の毛を極端に切ったり伸ばしたりすることすら諦めて、前髪すら自由に伸ばすこともできず、美容院に行くたびに「整える程度で。本当はショートカットにしたいんですけどね。」とオーダーしていた。
体でも差し出せと、そう言われた時には正式な場所で婚活をしているのかどうかすら、自分の居場所や立場が思い出せず混乱し、もうこのままどこか海にでも行ってそのまま身を投げて消えてしまいたいとそっと願った。海ならどこがいいのかな、東尋坊に行ってお酒と安定剤を流し込んだら飛べるだろうか、そしたらわたしは一ミリも残らず確実に消えるかな、もう海の底でわたしの骨ごとバラバラになって光ってくれたらいいな、そしたらわたしは最後、光になれるとあまりにも本気で考えた。
お願いだからどうか、これ以上わたしの自己肯定感をドリルでゴリゴリ削ることはやめてくれよ、と伝えないから伝わるはずもない、どす黒い感情だけが心に広がり、こんなに辛いことをして、何回会っても好きの感情にたどり着けそうにない人とわたしは結婚するのだろうかと改めて鈍くなった脳みそで考えると吐き気が襲ってきて帰りのまどろむ電車で気持ち悪くなり途中下車をして、なんとか自販機で水を買ってホームの椅子に座り込んだ。
今年に入って、同じ部署の上席が異動になり新しい人がやってきた。
その際に繰り返される会話はいつでも、「何歳?結婚してる?独身?」のこのフレーズが最優先される。どこの部署にいて、どんな仕事ぶりなのかどうかは二の次だ。いつのまにか知らない間に、「独身です」ということがあだ名になっていた。そのたびにわたしは心で誓う。その人の仕事ぶりや人柄を目を凝らして見よう、と。そして次の異動の際には自分にもそのような周りの目を向けられる覚悟と痛みを忘れずにいよう、と。
普通に出逢って恋をして、ときに紆余曲折を経て自然な流れで結婚をして、子供を産む、そうだなあ仕事も続けていたいななんて。そんな当たり前に見えて難解な人生をどうして、みんながみんな送れると思うんだろう。出来そうにないことを悟っていたからか、なぜか昔から結婚願望がほとんどなく、なんとなくわたしは一人で生きていくという感覚が大学生の頃からあった。それが育ちすぎたせいかもしれない。
わたし、あなたみたいにもっと素直に恋をして誰かのことを好きだと惜しげもなく言って、わたしのことを可愛いねと言ってくれるそんな経験がしたかった。自分じゃない女の子はみんなそれが出来ているように見えて眩しい。わたしが体を差し出さなくても、「あなたの心の質が素敵だね」とそう言われたかった。
「あなたのことが本当に大好きで愛してるよ。」とそう渋谷のスクランブル交差点で拡声器で叫ばれるような人間になりたかった。
誰かにびっくりするくらい必要とされる、そんな人間になりたかった。
数年前に、久しぶりにアルバイト仲間の彼女と飲んだ。彼女はとても綺麗な顔をしていて、いつもわたしはその横顔に見惚れていた。端麗な顔とは打って変わって彼女はとても面白くて、気取らない性格で大好きだった。
久しぶりに飲んで近況報告をしたその帰り道、バイバイを告げた梅田の改札口でわたしに向かって、「Kちゃん大好き!愛してる!楽しかった!またね!」とみんなが振り向くくらい大きな声で叫ばれたことが一度だけあって、あの日の帰り道の電車ですごくあったかい気持ちになったことを記憶の奥底から思い出した。
誰かに大好き、だとあんなにハッキリ言われたことはなくて、ドキッとした。
結婚の有無で女性の価値を推しはかろうとしたり、出産して子供を育ててないと一人前ではないと罵られたり、そもそも全員が全員異性を好きになることが前提であること、そんなことが正しくないこと、そしてあってはいけないことなんだとわたしの本心では理解しているから、わたしはもうわたしに求められる叶えられそうにもない願いに対して自分を卑下したり自分を見下したりすることを、そのために自分自分を殺すことはやめようと誓った。
彼女の本を読んだ一週間後、わたしは電話をした。
「しばらく休会させてください。」
それなりに励まされたが、もうこれ以上、わたしは自分自身を殺してまで何かを得たいと思う気持ちも、もうあのラウンジにお見合いに行くことも出来そうになく、ラウンジに対して嫌悪感すら感じるようになった。あの1杯1000円するコーヒーのおいしさなんて、一生分からなくていい。
あなたは弱いね、とそう言われたらそれまでかもしれないが、この詳細は本当にリアルの友達にも話したことはなく、本当にたくさんのことがあって、でもわたしの口から発せられる話や言葉は全て言い訳に聞こえるような気がして、会社や友達あらゆる日常の場面で結婚しないの?という質問を幾度となく擦り交わしてきた。
婚活の中で起こった様々な出来事やどこにも行き場のない気持ちは全部ノートに書き出して自分の気持ちを整理していた。泣きながら書いたこともあるそのノートにはわたしの痛みと傷がたくさん残っている。
婚活をしているという宣言すら恥ずかしいし、相談所でガチでしているなんてやっぱりはわたしは出来損ないで誰にも拾われなかった捨て猫のようで、勝手な思い込みだろうが既婚の友達に話すと大変なんだね、という言葉にまとめられる気がしていたからこの2年、誰にも詳細を全部話したことは本当に一度もなかった。
自分自身をそれなりに粗末に扱うことにはすでに慣れきっているのに、自分の人生なんてどうなってもいい、長年続けてきた仕事もいつ辞めてもいいし、好きな人と結婚できなくても結婚という事実が欲しいとあれほど望んだくせに、もうどうでもいいとそう自分自身を心底諦める力が弱かった。
自分自身をもっともっと底辺に落とし込めたのならわたしは惜しげなくなんの感情もなく、ほんの数回ご飯に行った人に体を差し出してそのまま結婚もできただろう。
とことんまでに自分自身をゴミのように扱い、どうなってもいい信念がもっとわたしにあればよかったのに、とそう思わずにいられない。
気づけば泣きたいことだらけでも、自分の足元に後悔の水溜りがあったとしても、生きるのはいつでも今日しかない。今日を飛び越して明日にはいつだって、どんなときだっていくことができない。
誰かの傷つく音が聞こえる、
誰かを癒す音が聞こえる、
あらゆることを疑うことなく見つめてみたいし、
どんな時もまっすぐに怒り悲しんでみたい。
全てを守る優しさなんてないと知ってこれほどまでに律儀に傷ついたけれど、やっぱりまだどこかに忘れない美しい思い出がわたしの心で鳴る。
その中では、誰かの優しさが、誰かが大好きだと言ってくれたあの場面を思い出す。
わたしの心が痛んだ理由はきっと人に容姿を貶されることでも、結婚できないことでもなくて、自分のことをどんどん嫌いになることだったと思う。
昔から痛みを好んだ。痛みとともに生まれるなにかでないと、安心できなかった。ふわふわまろやか、ふんわり、そういった抽象的なものが全て信じられなかった。痛みを感じたら、それをやたら細かく分析してその理由をその都度、点検する必要があると思って生きてきた。
わたしにはわたしにしかできない、たった一つの役を与えられていて、それを全力で全うするために生きている。
誰かひとりでも同じ苦しみを背負っているけれど、うまく言葉にできないせいで逃げ出すことさえできない状況下にいるあなたに、ここにわたしもいるよ、とそして逃げ出しても大丈夫だよ、と伝えたくて、そしてこの2年間の自分の心の中にあったものを吐き出して整理したくてここにこんなに長文として書き残した。
結婚できないわけでも、結婚したくないわけでも、ない、きっと。表現方法が他に見当たらないから、「できない」か「したくない」にしかカテゴライズされないだけで本当は違う。
わたしは悲しいと寂しいをちゃんとやり切って、ちゃんと傷ついたから大丈夫、まだ生きていける。独りでも、すこやかに、そしてたおやかに。
どうか、自分固有のまばゆさをこれから先わたしが見失わずに生きていけるよう、そっと目を閉じた。