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眠剤が効かないので
命日に書いた手紙を電子の海に放流する事にした。
私の謎理論だと手紙にするより電子の海に放った方があの世(があると仮定して)届きやすい気がする。
拝啓、父上様
この季節になり、浮かれぽんち共のハロウィーンを見ると空へ旅立ったパパの事を思い出します。
世間がハロウィンに浮かれ騒いでいたその深夜にパパは田舎の山奥の真っ暗な車の中で何を思ったのでしょうか。
最期の刹那くらいは幸せだったでしょうか、楽になれたとそう心から安堵できていたでしょうか。
私たち娘の事が、ママの事が本当に大好きでしたね。そしてとってもとっても寂しがり屋でしたね。
年月を重ねた今だからこそ、パパのなんとも言えないあのぶすくれた表情が嬉しい時の照れ隠しだったんだと分かります。
ママの姿が見えなくなるとよく探していましたね。
ママが家を空けると体調を崩してしまうくらいにママの事が大好きでたまらなかったあなたが最後数年どんなに寂しかっただろうかと考えるとあなたに似て寂しがり屋な私は喉が引き裂けそうなくらい悲しくなります。
帰省する時にバス停まで迎えに来てくれていましたね。
バスから降りて、「おぅ」と無愛想に挨拶をして私のキャリーを持って行く姿はいつもとってもぶっきらぼうだったのに
「バスが着くの何時だったっけ?」とソワソワしながらママに何回も確認していたと聞きました。
そんなに待ち遠しく思っていてくれてたのなら何度だって帰ればよかった。
遺品を整理していた時に数年前の帰省の際に買って帰ったお土産のご当地カップ麺が未開封で取ってあって
姉のあげたお酒を「勿体なくて飲めん」と言っていたところから察するに私のカップ麺もそうだったのでしょうね
どうりで感想が送られてこないはずです。
あの年、パパが亡くなった年、何か誕生日プレゼントでも贈ろうかなと思ったあと「まぁ来年贈れば良いや」と先延ばしにしたことを後悔しています。
その来年が来ない未来なんて想像してなかった。
最後に電話した時「地元に帰る気は無い」と断言してしまったことも後悔してます。
寂しいから帰ってきてくれと、辛いのだと、なぜ一言いってくれなかったんでしょうか。
家族になってくれてありがとうと、手紙に書いてくれましたね。
辛い時に辛いと言い合えるのが家族では無いのでしょうか。
地元は嫌いです。私の自己肯定感を削いでくる辛い思い出の詰まった実家も、狭い人間関係も、古い価値観も全部嫌いです。
でもそんなこと全部無視して帰れるくらいパパの事は大好きでした。
最後に触れた遺品はあなたがこの世を去るために使った練炭と七輪でした。
母に処理させる訳にはいかないから、近所の人にも見られると気まずいからと
朝早くに袋に詰め込んだそれは、酷く冷たくて重たかったです。
どんな思いであれを買ったのですか
一度は躊躇った形跡がありました。
なんでそこで連絡をくれなかったのですか。
毎年この季節が来るとその悔いを思い出します。
初めて会った時に今の私より少し若かったあの日のパパへ、まだまだ若かったのに
家族になってくれてありがとう。
惜しみない愛情を注いでくれてありがとう。
あなたが私の父親でいてくれて私は本当に幸せでした。
どうしたってすれ違うこともあったけれど、どんな時も味方でいてくれてありがとう。
犬と戯れながら待っててね、お土産たくさん持って会いに行くから。
あの世があって、もし話せたらたくさんのありがとうとごめんねを伝えたいです。
パパへ、大好きだよ。
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