「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」原作とドラマの違いについて

こんにちは。こんばんは。おはようございます。霧海さと(きりゅ)です。

いつもは原作ネタはほとんど出さないのですが、ドラマの最終回で賛否両論あることを受け、この辺を書いておこうかと思います。私の主観で原作とドラマの違いについて挙げており、第12話の展開についても言及してますので、そういった話がお嫌な方は読まないことを推奨します。

まず前提として、私は原作もドラマも大好きです。原作を作られた豊田先生や関係者の皆さん、ドラマ制作陣の皆さん(キャスト、スタッフ、関係者の皆さん)には頭が上がりません。ドラマを見たおかげで原作の安達がなぜか可愛らしく見えるようになりましたし(きっと演者様のおかげ)原作の心境の変化をドラマで補われた部分もあったので、より原作が楽しめるようになりました。また、原作の部分をドラマの中で見つけたとき、原作の部分をコロナで大変な状況な中、こんなにも取り入れてくださったんだな、と、ドラマを楽しく見ることができました。サブキャラにスポットが当たることで、サブキャラの魅力がとても良くわかるストーリーになっていたのも嬉しかったです。Blu-rayもグッズも予約済みで、原作は6巻まで揃えていますし、5巻に至っては紙とpixivコミックを特典目当てで買ったくらいには好きです。ほぼ毎日配信でチェリまほを見ています。

私はドラマ最終回を見て、あまり違和感は感じなかったです。なぜかというと、第2話の途中辺りから、違和感を感じ始めていたからです。それはなぜかというと、原作にはない、人間ドラマ的なオリジナルの要素が入ってきたからです(浦部さんに対して黒沢が安達の仕事を信頼しているというところ。そもそも浦部さんがオリジナルキャラなのですが、第1話の時点では、都市伝説の説明をしていたので、補完キャラなのかなぁと違和感を感じませんでした)。その時点で「これは原作をオマージュした別作品なんだな、ラブコメ要素もあるけれど、人間ドラマもあるのかな?」と思いました。人間ドラマが入ってくることについては、オリジナル要素なのだなぁと感じた程度で、この時点では特に気にしていませんでした。

次は第3話の王様ゲームです。この話は元々原作の社内旅行がベースとなっていますが、この辺はコロナもあるし予算の関係から難しいと思うのでオリジナルになる(六角のお祝いの飲み会に変わる)のはわかります。そこは特に気にならなかったです。違和感があったのは、六角が「王様ゲームを時代錯誤過ぎて引く」というのと、藤崎さんが「見直した」と言うところです。原作を読んでいる立場としては、まるで原作を否定されたように感じてしまい、ショックを受けました。もうここからは「このドラマは、シナリオを作った人が主張したいことを盛り込んだ作品」と思うようになりました。そう考えるとスッと納得できました。「これは原作からキャラクターの設定を借りた、原作をオマージュしたシナリオなのだな」と。

なので第4話で藤崎さんの腐女子という設定が出て来ずに、恋愛に興味のない普通を装った女性として登場したのは、比較的軽いショックで済みました。第4話前は藤崎さんが原作通りに描かれることで、腐女子について想定外の誤解が生じる懸念があったので心配でしたが、そういう誤解を生じさせるよりは良い改変だなと肯定的に捉えることができました。そして安達と六角(第3話)や藤崎さん(第4話)と仲良くなるエピソードを入れたのは、第12話の伏線だったのだなと今になって思います。

他にも湊がゲイ設定に変わるとか、柘植が安達より先に脱魔法使いするとか、圭太と湊をキスさせるとか、いろいろと、「あれ?あれ?こんなに変えちゃうの?」と思うシーンはありましたが、そこは柘植に先に脱魔法使いを経験させることで脱魔法使いできることを安達が知ったり、第11話への伏線にしたかったのだなと納得はしました。圭太が湊にキスしたのは尺的にその方が短い時間で視聴者が把握できるからかなとかおもったりしました。

そんな感じで、人間ドラマの要素が徐々に盛り込まれていった結果、第11話で大きく人間ドラマというか安達の成長物語に舵を取られる予感がしました。あの話の持って行き方をされてしまうと、黒沢は動きたくても動けません。安達に嫌われる事はしたくない、が根底にあって、わがままも言えなくなっています。第10話の終わりで言っていた、安達に「甘えてよ」と言われたことは、安達が取り乱していてキャパオーバー状態で余裕がない状態だから、黒沢はわがままも甘えることもできなくなった、と捉えています。だから、2人が元に戻るには安達が動くしかありません。安達が動くには?そこで第12話のYouTubeの30秒予告を見てみます。「ああ、人間ドラマだな。安達の成長物語で終わるんだな。魔法は使えなくならないのかな」と予想できました。なので私は最終話を見た時、「第12話は予想通りに人間ドラマが主軸で展開したな。ずっと一緒にいるというプロポーズのようなことも入れてくれたな。さらにはすっ飛んでクリスマスの朝2人で同じベッドで起床したから脱魔法使いできたんだな。お、ラストにキスシーンまで!ああ黒沢は可愛い安達とのキスシーンも見せてくれないのか!黒沢にマウント取られた!さすが黒沢!」と言った感想で終わりました。実況では比較的楽しんで見ていたと思います。

ちなみに第12話の展開予想はこちらにまとめています。

https://note.com/mkiryu/n/na7c7d086e8e8

元々展開をある程度予想していましたし、人間ドラマの面が強いと捉えていたので、私は第12話は、比較的すんなり受け入れられました。

もし原作5巻、6巻を読んだ読者が、これまでの展開を無理矢理ラブコメと捉えた状態で第12話を見たらどうでしょう。先生が「5巻、6巻のプロットはドラマ制作陣に渡した」と仰っていたので、当然その部分が盛り込まれるに違いないと思ってしまうでしょう。プロットというのは概要で、話に矛盾が生まれないようなストーリーとは異なる物だそうですが、そんな事は私たちのような一般人は知る由もないので、5巻や6巻の内容が盛り込まれることを期待してしまうでしょう。せめて5巻くらいの内容は入るのかなと思うでしょう。確かに6巻までの進展は盛り込まれましたが、恋愛描写はほぼなしで、その気配を残したのみでした。これまで人間ドラマを入れつつもラブコメの部分を入れていたのが、最終話で、ほぼなくなっていました。違和感を覚えてしまうのは仕方ないかなと思います。なので、恋愛描写をもう少し丁寧にできるような尺があれば良かったのになと思いました。本当にラブコメの部分が消化不良となってしまったのは勿体なく思います。

これは私の主観でドラマを完全にラブコメと捉えた場合の感想です。人間ドラマとしては申し分ないと思ってますし、2人が幸せになれてよかったと思います。ただ、2人の丁寧なラブコメを見たかった方々は「純愛ラブコメ」という風にジャンル分けされているので、多くいらっしゃるのでは、と思います。

すみません。何度もタイムラインで第12話の考察や批判を見かけるたびに、モヤモヤしてTwitterに書き続けてしまうため、第12話の感想を書く前に、これだけは吐き出しておきたくて書いてしまいました。第12話の感想は感想で別に書く予定です。

最後に、これだけいろいろなことを書いていますが、原作もドラマも大好きです。本当に関係者の皆様、素敵な作品をありがとうございました。また、ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました。

補足:
プロットの意味について。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%88_(%E7%89%A9%E8%AA%9E)
プロットとは、かなり要約されたもので、ストーリーとは異なるようです。この辺りも誤解が生じた原因かもしれません。

また、ドラマとしても第12話は不十分だというご意見も見られました。万年筆はいつ買ったんだとか、黒沢側の描写が少なくなぜ心の声が聞こえたために安達が黒沢を好きになったのかという部分の描写が不足しているとか。私は黒沢側の描写を脳内補完したからか、あまり違和感なく感じてしまいました。黒沢1人でそこまでの考えに至ったのか、すごいなと。万年筆は、黒沢ならそのくらい用意しててもおかしくはないなと思っていました。何せ着させる予定のないパジャマを買って妄想するくらいなので。

後はなぜディナーの相談を黒沢が藤崎さんにしているのかについてです。その辺は安達本人に相談するのが自然な気がしますね。サプライズ重視しすぎな気がします。でも4話で黒沢と藤崎さんが仲良く話している部分を見ていますし、大きな違和感はありませんでした。

他にもいろいろありますが、多分第12話の感想で見解を書いていくつもりなので省略します。(忘れそうですが)

2020/12/28 18:58
ラブコメ要素も序盤〜中盤はありましたので、全体的に訂正しました。

2020/12/28 21:54
全体的に誤解が生まれそうな部分を修正しました。


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