『遺書』



「決して何者にもなれないお前たちに告ぐ」

理性で固定していたイクニチャウダーの台詞はついに前頭葉を貫いた。
2日前までは考えることを辞めていた。


さようなら、初めまして。

台詞柄の棒を突き立てたまま血糊塗れの「認識」はまた脈を打ち始める。


男「俺にお前程の情熱はない。夢もない。かといって職に就く気力もない。」

暗転



「好き」とは何だ。
24時間認識と闘い続けることが「好き」か?
圧倒的見識、知見を持つことが「好き」か?
モノを所有することが「好き」か? 
認識の前に行動が起こることが「好き」ということか?

情熱は河を渡り切った先にある。
そして僕はまだ向こうに渡れずにいる。

渡り切ってしまうことに覚悟と勇気がない。
向こう側に行くことに躊躇するどころが、渡り切った人間を揶揄する。
これは大衆の心理であり、平凡の真理である。


僕は平凡だ。

西暦2021年 某月


「好き」と「宿命」
 宿命の場合

僕は自身の感性、思考、所作、その軌跡全てが「宿命」の元にあると考える。
日本人として、偉大なペテン師の元に生まれ、この土地で育ち、親愛なる女性に出逢った。これら全ては否定しようのない宿命に基づいた事実である。

何かの大義を成し遂げる時にはやはり努力ではどうにもならない運命的事象に遭遇する事が不可欠である。
それも宿命と言い換え可能であり、僕にはその自覚がある。

その中でも女性は僕にとって急激に認識を変化させた。

誰もが向こう側に渡らない
何かを演じて生きている
嘘で塗り固め、生きている
「好き」が何者なのかわからなくなり
何が一体正しくて、大義とは何処にあるのだと、問答を続ける日々。

そこに唯一、彼女だけが道標を持っていた。
その目の中に、その華奢な身体の末端まで捲る血の匂いだけが、正しみを持っていた。

ゴッドファーザーでいうコルレオーネファミリー、荒木飛呂彦の描くジョースター家。

血の螺旋、血の運命のみが「宿命」として顕在する感覚。その他全てが木っ端微塵に消え去ってもただ一つ、小宇宙が紡いでゆく真実。

僕はそれを確かめたい。身をもってそれが宿命であるのか答え合わせをしたい。

僕は既に片足を突っ立てている。
もう引き返せない。

西暦2021年 11月 宿命代表 岩﨑裕也



僕を縛り付けてひとりぼっちにさせようとした全ての大人に感謝します

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?