新型肺炎雑感(20211111)

新型肺炎雑感(20211111)少し久しぶりに「またか・・・」。
最初は実母だった。以降、何人から同じ言葉を聞いただろうか。

福島の義父が311の年末に前立腺がんになり、翌年に肺がんで亡くなったことについて話すと、なぜか「それはきっと偶然だから」「ストレスが原因では」と放射能の影響を否定しにかかる人が多い。たばこを吸っていたと話せば「それだ、それ。きっとそれだよ」てな具合で。
「恨んでも詮無きこと、人生を暗くするだけだよ」という善意かもしれない。でもね、こちらは原因を断定してはいないのよ。
なぜなら、たとえ311の翌年に福島で癌患者が何十万人増えたとしても、個々人の癌が放射能由来であることは証明することは原理的にムリってことくらいは理解しているから。

コロナも同じで、自分が罹患したり苦しんでなければ軽視することはできる。最近だとCo2のように「危険!」という声が増えれば正常性バイアスが働き「騒いでんじゃねーよ、情弱が」と逆張りすれば気も楽になる。
そーなると、罹患して遺書まで書いた人や後遺症に苦しむ人との断絶が生まれる。
で、内部の摩擦が人を疲弊させて社会を機能不全にする。

「ブッシュマン」という映画を思い出す。
コーラの瓶を見つけたブッシュマン達は珍しがって便利な使い方をいろいろ考え出すのだけれど、最後には「ケンカの種になるから」と長老が投げ捨ててしまう、てな話。
コロナにせよ、原発にせよ、長老が居ない以上、皆で一掃するっきゃないと思うんだけどな。


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