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腐った酒の色。4

さん。のつづき

彼と話さなくなって何日も経っても、
彼とのことを終えることが出来ないでいた。


いや始まってもいない関係なのだから、
そんなものなかったと 言い張る彼の言葉の通りに
事実無い関係だったと 既成してしまえばよかった。

わたしが彼に そうしたように。

だけどあの日々と 彼のスポンジは 甘過ぎた。
もう なにを好きなのかも わからないくらい
じぶんのすべてに 彼がいてどうしようもなかった。


あんなに甘い味を知ったら
もう恋なんてできない。生きていけない。
だれも好きになれない。

自暴自棄に 手当たり次第に はけ口を探した。
相談相手から、そんな風に愛されてみたいと言われ
その気になって試してみたけど、無理だった。

代わりなどいない。いるわけがない。 
終わらせないともうダメだ。

たった1つ思い浮かんだ方法は、彼の既成事実と わたしの既成事実を戦わせることだった。


わたしは新恋人の報告の電話をかけ、彼は、ふーん、と言った。

「あなた、つまんない奴だな。しょーもないよ。
おめでとうー。」


そんな風に言ったあと彼は、続けた。


「昨日 妹が死んだわ。おれ、なにも知らなかった。
   親父ないとったけど、俺泣けへんかったわ」


息を飲んだ。ああ、本当に終わった。
初めて、踏ん切りがついた。

わたしではなかった。


そんなことにも気がつかないような2人だと
通行人から、横っ面を叩かれたおもいだった。

あなたの側にいるひとは わたしではない。

もっと、もっとひだまりのような
ひまわりのような人だったら わたし よかった。



戦って終えなくては、終わらせられもしないような
そんなバカな自分本位な小娘なのに

最後にそんなセリフを
わたしに言わないでいられないあなたを

いますぐにでも 抱きしめたかった。


だけどそれはわたしの役割ではない。
わたしたちは別れて歩かなくてはいけない。


友達にもなれた。わたしたちは、何にでもなれた。
恋人以外のなにかに。



10年もの間、この寝かせた酒瓶を開けられなかった。


あの時を想うと、
どんなに幸せであっても、真実はまったく真逆の
ように感じて反転してしまう。

わたしは今なお、誰のことも好きになることが
出来ないままではないかと
今も地続きで そこと繋がってるような
気がしてしまうのだ。 そんな恐ろしい答えを知ってしまう気がした。

でも、この体中が、彼のすべてが愛しかったことを
いまも、忘れてはいない。


いくつも仕事を掛け持ちせざるを得ないほど
未来と居場所を探していた、年上の迷子の彼。

いくつもの呼び名を持つくらい、本当の顔を
さらけ出して人と繋がることを恐れた彼。

剣山のような女を自分の限界まで愛でてしまう彼。

愛したのに望んだ愛され方をされず、
それを求める前に簡単に諦めてしまう彼。

もしあなたが男でも、あなたを好きになったと
告げた、仄暗さを押し隠した彼。

過去のどの恋人も自分の部屋に入れられない彼。

わたしの料理に理路整然とダメ出しをする彼。


そのどれもを わたしは心から大事におもった。

どれが欠けても彼ではなかった。
それがないと、あのわたしは一緒には居られなかった。そうでなければわたしは本心からは笑えなかった。たのしかった。他の誰でも埋まらなかった。


30手前の人生の分岐に立ち、過去にも前にも進めないときにわたしのような生意気な小娘が、知った口で突いてくるのを苛めることで

彼が、彼の何かを慰めていることなど知っていた。

見下ろした彼には そんなエゴが見えていた。
でもそれは完全なタブーだ。
だれかがそれを指摘したらわたしは徹底的に戦っていた。


わたしの中に 別の何かを見ては
苛立ちを向けられ 苛められることさえも
彼から与えられるすべてが、うれしかった。



あんなにも愛された。
痛いほど。苦しいほど。思い出したくないほど。
あのときの あの2人には
この恋も この終わり方も、避けられなかったのだ。


どうにもならない自分に対し、
あまるほどの酒種を 抱えていた2人は
その長年温めてきたどぶろくに
お互い 捨てることのできない 酒粕を突っ込んだ。

あまりに色々と混ぜ込みすぎて、
なんの味なのか もうわからない白濁の液体を
恋と公言するのは憚れた。


こんなにも長い間、わたしは
あのとき愛されたと 信じられなかった。
でも、そんな愛でも愛だと
もう、大きな声を張り上げてもいいだろうか。


あなたと居られたあのときが
わたしの人生の中で そこだけ おかしいくらい
時間が止まって見える。

その後のわたしの苦しむ醜さに沢山の人が離れたし
わたしもまた離れざるを得なくなった。

制止したあの友人たちも戻ることはなかった。


だけどたのしかった。息を楽にできた。
一緒にいたとき、空気はいろんな味がした。
空があんなにいろんな顔を持つとは知らなかった。

今だって小沢健二や忌野清志郎やレッチリや
あのミニクーパーの芳香剤や鴨川を
どこかで見聞きするたびに、
胸がざわめき 酸っぱくなる。


あのとき愛されたと、もう言ってもいいだろうか。
こんなことを いちいち確認を取らなきゃならない
もうこれは、葬らせてほしい。


サイコパスだとか プレイだとか 恋愛依存だとか
性依存だとか 共依存だとか
それらの言葉は、愛とは かけ離れ
そしてあのときを 観客然として 世間様然として
言い当てているように見える。


輝いてない 青くもない 綺麗でもない
敬遠されがちで、薄暗いあの時間を
愛の中には入れるなと、
バリケードを張られるかもしれない。


だけど、あの どぶろくの中に あったのは
ただただ喜びだった。

あんなにも 命を燃やした出来事が
愛でなければ 何だというの。


あの最悪は別れのときですら
走り寄っていますぐに抱きしめて温めてやりたい
この体温を使って一度でもあなたがあたたまれば
それで報われると、本当におもったのだ。


あなたが出せない あなたの嫌いなあなたを
わたしはすきだった。
わたしの醜さを包んでくれたあなたがいたから
わたしは生き延びたとおもう。
だから今、ここにいる。

好きだった。
すきだった。

どうしようもないくらいすきで、
あの人の出来る最大限に 愛されたのだ。

あの恋が出来たことは、とても幸運だった

白濁だと思っていたどぶろくは
綺麗な 琥珀色をしていた。

本当は、10年前から、そうだったのだ。
ずっとそういうところに いたことがあったのだ。

いちさん