かいてどうにかするしかない__2_

5.物語の力

その日は、高熱を出して動けなくなった。

ふだん、38℃の熱があっても平気なのに
その日だけは ベッドから降りることも
水を飲むのも難しかった。


テレビを久しぶりに観た。お昼の有名司会者が
仕切る この番組がわたしは嫌いだった。
あそこに座っている人たちは、いつも後頭部しか見えない。後ろを向いて笑っているのを、しあわせでいいね、と興ざめして見た。


もうつかれた。
もう逃げたい。
手のひらからこぼれていく砂を
すくえない手のひらなど もういらない。

もし今夜、電話があっても
今日は寝ていてもいいかなぁ…

携帯が鳴って起きたのか、起きたら携帯が鳴ったのか。同じ中学の幼馴染の名前が出る画面を、ちょっと眺めた。

この電話がどこに繋がるか、もう知っている
アサミと、同じ地区に、家がある。

「アサミのこと覚えてる!? 死んじゃったって!きょうのあさ!! どうして!?」


『どうして』という言葉を、狂ったように号泣するのを、ただ聞いた。


どうしてだとおもう?


貝の眺める空は2重のガラス。
海面の上で叫ぶ海猫たち。
どうしたの。どうしたの、みんな。
ここはこんなにも静か。

ことばがたったひとつ ういてきた。


『終わった』
 

ぜんぶおわった。
わたしの人としての時間が、今終わった。
ああそうか、ずっと終わっていたからだ
この子のように、泣けもしないのは。
なにもわかない。
熱があるからだ。体が重い。
疲れた体を、やすませたい。


大量の睡眠薬を飲んだアサミは、明け方フラフラと
道を出歩いた。そこで、ぱたりと倒れた。
ひもの切れた きれいな きれいな 操り人形。

ただの人形になった娘を見つけたのは
おばさんだったそうだ。

あのとき一緒に遊んだともだちは、誰一人、アサミの葬式に参列しなかった。その代わりアサミの小学校の同級の子がひとりだけ、わたしと一緒に葬式に出た。わたしと同じ高校の同級生でもあった。

アサミが棺桶に入っている姿を見ても そこにアサミはいなかった。いや、わたしの知らない17歳の女の子がいた。あの日の日差しの中とは違う 陶器のような顔。


その日のわたしは、おばさんのために生きた。


制服を着た同級生が、若い娘の葬式に参列した事実を、残さないといけない。遺してくれと、言われているとさえおもった。あそこにアサミはいない。わたしは涙が流れない。傍観する参列者に見えては、いけない。

すでに受験色に濃く染まった学校を休んで
葬式に出るわたしたちに、母は言った。


「アサミちゃんは、あなたたちが葬式にでるよりも、学校に行ってほしいと思っているとおもうよ」


ああ遠い。
母の言葉はどこまでも遠い。

違うよ。そんなこといわない。

故人の声が聞こえることを、幻聴というの。おかあさん。今日のこの現実は、生き続けなくてはならない、アサミのおかあさんのために、あるのよ。


わたしは、アサミの出せない声を叶えないといけないの。

いまのこの世界でいちばんかわいそうな、罪のないおばさんに、愛された娘を演出してあげないと、生きていられない。生きていけない人が、生きていけるように作ってあげられるもののためなら、流せない涙を流さなくては、いけないの。


だれのための、今日なのだと、おもっているの。

棺桶が火にくべられる瞬間まで、ずっと黙っていたおばさん。最後におばさんがアサミを呼ぶ声を、わたしは聞きに行ったのだ、きっと。耳から脳にちょくせつ塗られてしまった。もう一生はがれない、と直感した。


その日は、そこにいる だれものためにも あった。