2.物語の力
高2の春、花見をしないかとアサミを誘った。
地元には竜が眠るという池があって、そこでわたしの作った不細工な団子をツマミにビールを飲んだ。
小さな子どもがわたしに近づいて話しかけた。心地よく回った酔いも手伝って、わたしは優しいお姉さんのようにその子に接していた。
予想だにしないことが起きた。
突然アサミはわたしの腕を引っ張り、狂ったように叫んだのだ。
「わたしのるんばに触らないで!
あっちにいってよぉ!」
子どもは怯えて離れ、その母親がサッとその子を確保し後ずさった。
龍の眠るという緑色の池よりも、アサミの混沌の方が深いとおもった。
その声に驚く以上に、もうこの胸には、甘すぎる矢が刺さってしまった。
健全な家族は、早くどこかに行ってくれないか。
腕をつかむ手が あたたかく感じるのは、わたしの混沌が 彼女の混沌を もとめるからだった。
◆
それから突然、アサミからの音信が途絶えた。
家にも帰っていないし、携帯もつながらない。だれに聞いても、その消息をしらない。あの彼氏の家にまだいるのか。居ても立っても居られず、何度かあの家を覗くも、人がいる形跡はなかったし、家の中になにがあるのかも見えなかった。カーテンが変な形でかけられていて、それはいつ見ても同じ形だった。
そこで、なにが起きたのか、誰も知らなかった。
◆
夏の匂いが立ち込める夜、またアサミから電話がかかってきた。
「るんばー?なにしてるー?」
その電話をうけたとき、わたしは「センパイ」と一緒にいた。年上の農家の二代目であるセンパイとは、この夏に知り合った。お互いに付き合っていないと言い張り、今日告白されたと言えばセンパイは喜んだ。元カノと会ったと聞くと、わたしはその話をしてとせがんだ。
そんな話のあとでも、夜中の海から山から連れまわされて、2人抱き合って朝を迎えるのだ。
センパイとは夜しか会うことがなかったが、たまに、昼間に時間が出来たと連絡をもらった。
黒のクラウンがウーハーをきかせて、高校近くのTSUTAYAの前にいる。
わたしは理由をつけては、走って校舎を駆け出た。
この悪夢のような世界から わたしを連れ出してくれるセンパイこそ、わたしの本当の先輩。
全てを脱ぎ捨てるように助手席に乗り込むと、ようやく息がすえる。
ああ、昨日ぶりのわたしの空気。窒息するかとおもった。朝からずっと。
車内にはウルトラマリンの酸素が満ちている。
ヘンプ型の芳香剤の色が白くなると、わたしは新しい同じものを買ってきて付け替えた。次はもっと早く
もっと長く、この空気がすえるよう、願をかけて。
わたしのほしいものをすべて持っているセンパイ。
自由につかえるお金を持っていて
いつだって好きにお金を作れて
たのしいお店を沢山知っていて
見たことのない景色を見せてくれる。
家族を支える側に立つと、親がお酒の準備をしてくれるのだ。
それを当たり前のように飲みながら、わたしの知らない未来の話をしてくれるセンパイは、わたしの自慢だった。わたしは舎弟のようだったし、妹のようだった。
そのセンパイには多くの友達を引き合わせたし
その中には彼女のような人もいたけど
わたしがセンパイと会う頻度は一向に変わらなかった。
でも、そのセンパイと、アサミを会わせることには少し躊躇した。
それは気のせいだろうとおもい、わたしはアサミを呼び、その日は3人で遊んだ。それからもわたしはセンパイと変わらぬ頻度で遊んでいた。
◆
ある日、センパイの部屋にアサミが持っていたマスカラが落ちていた。それをテーブルに乗せ直したあと、いつ2人は会ってるんだろうと思った。
センパイには底なしの欲がある。だけど、彼はどこか抜けている。その大らかさをわたしはとても好きだったし、それがセンパイのいいところなのだけど、殊アサミに関してその大らかさを向けられることを、わたしはどこか嫌だった。
アサミのシグナルをすくいきれないくせに。
センパイ。勘違いは、しないでください。
◆
センパイからの連絡が少なくなってきたと感じたころ、アサミがとつぜん家にきた。青白い顔をしている。外で見たときより部屋の中での方が、顔色がわるい。それから、少し見ない間にものすごく痩せていた。体中震えていて、何が起きたのかとおもった。
「るんば、わたし謝らないといけない」
「なにを?」
わたしはそこにどれだけのことが含まれるのか、アサミから出る言葉が怖くなった。アサミが謝るなんて。わたしに、なにをしたとおもったのか。どこが悪いというのか。どうしてそんなに痩せて、震えているのか。寒くもないのに、なぜそんな長そでを着ているの。
「わたし、センパイと寝ちゃった」
わたしは、無言になった。もう知っていたことだったし、ショックでもあった。でもそれは、恋愛相手を
取られた衝撃ではないことが、わたしを混乱させた。
すうっと何かが自分の下の方に落ちてしまって、
じぶんが遠くなる想いだった。
「アサミ。わたし、センパイ以上に
アサミのことの方が大切だから」
言いながら、言ってしまっている、とおもった。
本当にそうなのだ。本当に。
これはまた、信じてもらえない言葉になってしまう。
アサミはわたしに抱きついて泣いた。
わたしはその異常に震える身体を抱きしめながら
今度こそは、とおもっていた。
今度こそ、遂げたい。
この恋心を。