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腐った酒の色。3

いち。のつづき

彼は1日に2つ以上の仕事をこなし
深夜になると、木屋町へ わたしを連れ歩いた。

安いテキーラと焼酎ロック。
太陽ラーメンと小沢健二エンドレスリピートのバー。

三条から五条に下るまでの ビル 上から下の
どこに美味しいものがあるか なぜ美味しいのか
仕入れだとか 前歴だとか お通しのコストとか
ヒソヒソ声で 肩を抱き寄せ 教えた。


ものすごく沢山の人に あの時 毎日会ったのだけど
今は もう ほとんど覚えていない。


飲み仲間、仕事仲間、昔のバンドメンバー、
過去のカレカノを知る友人、宵越しの友など
彼のシャボン玉の中に わたしは押し込まれた。

彼はいくつもの 色の違う シャボン玉を持ち、
たまに シャボン玉同士を くっつけたりもしたが
自分で中の空気を 混ぜることはしなかった。


そう、人と人を繋げることが 抜群に上手かった。
彼の周りにはいつも人がいる。あんなに変なのに。

わたしは感嘆した。
わたしのシャボン玉は 爆ぜてしまうし
これまで渡り歩くことしか 知らなかった。


彼の人付き合いが 巧みであるほど
わたしはその夜を 満足に過ごした。

その器用で狡くて
力仕事を知らない 女の人みたいに 美しい手が
自分の体を触る喜びに 震えた。


これで虜にならない方がどうかしてる。


昼間の友人たちは、わたしの生活の退廃ぶりと
そこで付き合う人たちとの酔い方に 面食らい
こぞって 彼と会うことを止めた


当然、制止する声と 明るい居場所の 一切を捨て
わたしは彼のもとに 雪崩れ落ちていった。
彼の勧めるものは どんなものも 喜んで受け入れた。


出口のないトンネルを進む トロッコのレールは
3センチ先も見えない。
トロッコの振動は、より敏感に 闇を感じさせた。

目隠しをされて喜ぶような 薄暗いところが
わたしにはあったけど
それをあんなに実感したのは、あのときだった。
ずっと目隠しをされ、彼といられたらと願った。


あのときわたしが見なかったものは
本当にたくさんある。

その最たるは他の誰でもない あの、時折揺らぐ目

わたしは、彼はとても強いと思っていた。じぶんよりも力のある人だから出来る芸当なのだとすべてをそう勘違いした。だから受け入れられるのだ、このわたしの闇をと。


もちろん彼は忍耐強い人だった。
だけどわたしの中にある 強さの概念は 歪みきって
いた
し、愛に至っては、もう壊滅状態だった。


わたしは、見えなかったのだ。
彼のエゴしか見ないようにしていた。
見たいものしか見なかった


愛など 愛なんて 知ろうともしなかった。


その代わり、彼にとって唯一になろうとした。
対等にならなくてはならない。
渡り合わなくてはいけない。

ふさわしくならねばとの思いで、
彼の実家である置屋周辺の ネオン街で働きだした。

あの時のわたしが、愛だと思っていたものは
彼にとってはただの刃だった。


その頃からわたしたちの関係は おかしくなった。


正確には、彼がおかしくなってきた


少しずつ目が醒めていくような感じだった。
目の前のわたしが 悪い夢だったことに
気がついてしまったように。


唯一ゆっくり会える夜を 仕事にしたせいで
時間と心のすれちがいは どんどん大きくなった。
送り出す姿も見れない。たわいない電話すら。

わたしは何かを見落としてる気がしていた。
でも気がつかなかった。



ちょうどその時、忌まわしい事件が起きた。

彼の後輩で、わたしの友人の彼氏が
明け方に突然 わたしの部屋に押し入った。
寝たばかりのところを飛び起きた わたしは
即座に 逃げ道を確保した。

未遂だったのは、揉み合いの末 奴は逃げたからだ。


真っ先に連絡したのは警察でもなく だった。
わたしは、彼から疑われることを1番に恐れた

その電話で慰められることを期待したわたしは
どこまでも バカだったのだ。


「なんであいつ あなたの家にいった?」

「しらない!わたしが呼んだんじゃない!」

「なにゆうてんの、そんなこと言ってない…」


あわよくば 寄りが戻るだとか、
利用できるものは 同情ですら 利用しようとした
バカな 自分へのだったのかもしれない。

言葉の端々から 裏にある彼からの不信感
もう じゅうぶんに 嗅ぎ分けてしまった。

彼もまた、わたしの不信感をよく理解してしまった。もう我に返っても、取り戻せなかった。


もうお互いへの不信感は どうにもならなかった。

電話にも出てもらえなくなり
すべて辞めるからやり直したい という言葉は
届けられもしなかった。

アイツほんとやってくれたな。
やらかしてくれたよ。
そんな風に あの後輩を ギリギリと恨んだ。


あの事件に虫酸が走ったのは 確かだ。

とっさに バカな その男の彼女である
友達の顔が 浮かんだ。

自分の彼氏が 友達の部屋に 押しかけた。
なにをしようとしたのか。
いつからそう思っていたのか。
彼女がわたしを恨んでも 仕方ない。
もし学部に知れ渡っても、もう仕方ないとおもった。
ズタズタにしてくれた、あの男。


女を舐めて いいように出来るとおもったのか。
過去のトラウマのせいで、もしそうなっていたら
殺してしまったかもしれない。憎さで。


だけど それらよりも
友達を失い居場所を奪われることよりも
彼に疑われる怖さの方が 大きかった。

怖いと泣きつきたい。憎いと言いたい。

だけどもう、あんなに信じられていないなんて
おもいもしなかった。


初めはただ、好きなだけだったのに。
どうして、おかしい、と。泣いた。


どうしようもなくおかしいのは わたしだ。

きっとそう彼はおもっていたけど
それは伝わらないものとして 飲み込まれた。
だから、離れることにしたのだとおもう。
賢明な判断だ。


あの時、彼は26歳。
そんな年齢だったのだろうか。
26歳のわたしには、そんな風に自分を取ることなど
できなかった気がする。


わたしは、彼が黙り込むことを責めた。
なぜ立ち向かってくれない。
責めて怒ればいいのに。
憎いなら罵詈雑言でも吐いてくれた方がいい。

困り果てていた。
こんなにのめり込んでしまったのに。
もう胸元までズブズブに埋まっているのに。
葦が繁りすぎて前が見えないのに。


友人のツテからわたしの近況を聞いたのか
ようやく繋がった電話で、わたしはなじった。

いつも、くるぶし丈しか沈まない この浅さが
わたしたちを健全に保ってきたのではないかと。

本当に彼が、浅瀬で繋がりたいと言ったのか。


彼は、なに言ってるの、本当は、と言った。

「本当は、あのとき
付き合ってほしいって言うつもりだった」



怖かった。
繋がりすぎてしまったら死んでしまうのはわたし


見てなかった。見ようとしてなかった。
都合のいいものだけ、選り好んだ。
あの、彼女と別れた、の一言のあと
わたしは話を打ち切った
言わせなかったと言われれば たしかにそうだ。


ちゃんと付き合おうと言われ
素直に応じたか本当にわからない。自信がない。

本当はどれだけ傷つけていたのか、
ようやくわかった。
ただ平気なフリをしていたのだ、この人は。

それを感じようとしなかった。
どうしても感じられなかった。

なぜ、こんなに大きく間違えてしまったのか
まだ、わからなかった。


わたしは 彼のすべてを愛するために
彼の線路を踏襲すべく 夜の仕事を 選ぶことに
間違いはないと 思っていたのだ。


彼と同じことを自分にもできると証明できれば、
きっと唯一になれるとおもっていた。

彼の理解者でいたい、という その愛し方は
彼が諦めた通りに、まったく、方向違いだった。



だけど その道しか歩めなかった。
あのクソ生意気で
愛され方も愛し方も知らない生き方をしてきた
21歳の、わたしには その歩き方しかできなかった。

いち。よん。


#小説 #恋愛 #トラウマ #木屋町