恋と積み木。1
初恋の最も罪深いところは
あの強烈な刷り込み力にあるとおもう。
11歳からの6年間はキャンバスの下地を塗った。
完成したその上に なんの色を重ねるも
下地の凸凹は埋めきれなかった。
恋のたびキャンバスの下地を触っては、
産まれ直せないものかと 塗りたくった。
11歳の子どもと言えば
少し小さく見えるランドセルを背負い
子ども用品では丈の合わない服を着ているが
話してみれば警戒心の薄い素直さが滲む。
3時のオヤツを楽しみにしたり
スクール水着でも夏の水遊びをたのしめる。
わたしの11歳は とても薄暗かったとおもう。
いや、薄暗さは全ての11歳に存在するのかもしれない。
初めて自分のことを話したのは
21歳の時の彼だった。
女の子を好きになったことが2回あるんだ。
聖域を誤解されることを恐れている反面、
誰かに理解と共感を得たくて人を試した。
その挑戦は、いい結果が出た。
彼は男でもおれもいいとおもう時があると言った。
そして、わたしを同性でも好きだった、と笑った。
やはりそうなのだと息を飲んだ。
じつは皆んな言わないだけなのかもしれない。
言わないだけで、
同じ気持ちがあるのかもしれないと。
◆◆
7歳のときに万引きをした。
家族ぐるみで付き合いのあった雑貨屋で
親たちが飲んでいた夜、
無人の店内で文具をひとつポケットに忍ばせた。
家に帰り皆が部屋に入っていくのを見て、
わたしはそれを排水溝に捨てた。
真っ黒の排水がキチンと流してくれたか
覗きこみながら、
ああ丸い積み木を積んでしまったと 愕然とした。
先の暗さはもう取り戻せなかった。
あのとき、積むということを知ったのだ。
自分の人生を示唆していた。
わたしの生きるとは積み木を重ねることなのだ。
わたしはそこに、丸い罪を置いてしまった。
これから、この上に、積み木を積まねばならない。
そんな覚悟もなく置いてしまったことを悔いた。
丸い烙印の理由を恨み始める方へ、走った。
◆◆
11歳のときにはもう遺書を書いては
行き先もなく諦めて家に戻ることを
何度か繰り返していた。
家の中に、その理由も、遺書の存在も
話せる人はいなかった。
学年が上がるたびに
担任教師の難癖を見つけられないかと、賭けた。
嫌いになれればわたしはこの罪を話せるのだが、
いつも 1か月も経たない内に その人の中に
罪を引き渡せない理由を 見つけてしまい
落胆しては安心し、未来への恐怖は増殖した。
いつになれば話せる日がくるのか。
助けを乞うことができないか。
この地獄から救ってくれないかという期待は
必ず シャボン玉のように弾けた。
◆◆
そのとき初めて恋をしたのは、
親友である女の子だった。
明るく話し上手で男女問わず友達が多く
グループの中で中心的な存在だった。
その彼女の中に暗い寂しさがあることを
わたしは見抜いていた。
彼女もわたしだけに見せられたのかもしれない。
アンテナが似ていた。
毎晩電話で話し、話した後は
交換ノートに想いを綴って、毎朝手渡す。
ノートの中にあの寂しさを感じとり
胸がたまらなくなった。
居ても立っても居られなくなる。
あの電話では足りないと言われているようだった。
世の中で彼女だけが愛すべき存在だった。
その激しい嵐のような感情を友情であると
信じていたが、徐々に違和感がでてきた。