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中小企業診断士 森健太郎シリーズ⑤会社法の迷宮(前編)

はじめに

この記事は中小企業診断士一次試験合格のため、試験範囲の論点を記憶する目的で執筆した記事です。私は受験前ですので中小企業診断士の資格は取得しておりませんし、登場する人物および会社はすべてフィクションです。
中小企業診断士の有資格者の方や専門分野の知見をお持ちの方がご覧になられていたら、内容の齟齬や間違った理解をしている場合に教えて頂けると幸いです。
試験後に時間があれば記事にしたいと思いますが、私は認知特性タイプが言語優位(言語映像型)で文章の読み書きによる記憶や理解が得意です。ストーリー法とプロテジェ効果を利用した学習の一環として記事を執筆しております。



迷える子狼


午前7時20分。仙台市青葉区のビルで中小企業診断士の森健太郎が朝の報道番組を見ながらコーヒーを淹れていた。ビルは平成の初期に建てられたもので夏は暑く冬は寒いという、高い環境適応力を持つ者のみが居城とすることができる。

本当はもっと新しく綺麗なオフィスか自宅の一部を事務所にしたかったのだが、仙台駅にも飲み屋街にも徒歩15分程度で移動できるアドバンテージの魅力に抗えず、この雑居ビルにオフィスを構えることになったのだ。

株式会社シックスマンコンサルティング。それが森の会社の商号だ。シックスマンは「6番目の選手」という意味のバスケットボールの用語だ。1チーム5人で行うバスケットボールにおいて6番目の選手とは、試合の流れを変えるゲームチェンジャーを意味する。ベンチに座って檄を飛ばすだけの監督ではなく、自分がプレーヤーとなってクライアントの経営に変化を与えるコンサルタントになることを願ってこの社名がつけられた。

※ちなみに愛知県にシックスマンコンサルティング株式会社が実際にございます。この記事のシックスマンコンサルティングは架空の会社です。

特製ブレンドの豆を挽いて、一杯ずつコーヒーを淹れる。それが森の日課だ。コーヒーの味の違いなどほとんど分からないのだが、なんとなくカッコいいのと、コーヒー淹れるという一見、無駄な時間に考え事をしてから仕事を始めるとリズムを作ることが出来る。

テレビを消し、デスクに移動すると森は今日のスケジュールを確認した。午前中に1件の問い合わせ対応が入っている。

「土田謙信 30歳 研究職か…」

森は相談者のプロフィールに改めて目を通した。冷やかしや要件が分からない依頼をシャットアウトするため、事前に相談内容の確認や然るべき相談先に関する助言をメールで綿密に行うようにしている。

相談内容は把握しているが会って話を聞くとお門違いの相談だということも多々ある。簡易的な業務改善の助言ならいいが、会社の設立や解散処理の仕事となると関わる期間も長くなる。意思疎通が出来る相手でなければ仕事は出来ない。コンサルタントとの意思疎通に難がある時点で、顧客や株主との関係構築にも難があると考えられる。プレイヤーである以上、クライアントと運命を共にする覚悟が必要となる。

メールの返信などのルーティンワークを済ませると、打合せ時間の10時になろうとしていた。9時55分になると事務所のドアが開き、「失礼します。」という自信なさげな声が聞こえた。森は打合せ用の応接スペースへ土田謙信を案内した。

土田は細身で半そでのコットンリネンのシャツにブルーのチノパンツ、HOKAのランニングシューズという出で立ちで、パッと見は真面目な大学生という風貌だ。

名刺交換を済ませ、森は土田に着席を勧めた。土田はとても緊張しているように見える。

「T大の化学バイオ工学で研究をされているとのことですが、化学工学専攻では何を研究なさっているんですか?」

森は手元の名刺に目を落として土田に質問した。相談内容や仕事に関わらない話は一切しないのが森の流儀である。

「はい。有機高分子という分野の研究をしておりまして、ざっくりいうとプラスチックなどの新素材を開発している研究室にポスドクとして勤務しております。」

土田は自信なさげではあったが、はっきりとした口調で端的に答えた。必要な情報を取捨選択して伝えられることに森は好感を覚えた。

「お問合せでは、文具や雑貨を製造販売するメーカーを設立したいとのことでしたが、間違いないですか?有機高分子の分野からいささか異なる事業だと思うのですが。」

「それについては、長い話になるのですが…」と前置きして土田は事の顛末を話し始めた。

土田はT大でプラスチックやゲル素材などの工業製品の材料を研究している。耐久性や柔軟性に優れた高機能な素材をいくつも生み出したが、それらが実用化されることはなかった。企業へ素材を使ってもらおうと実物とデータを持ち込んで説明しても「素晴らしい素材なのは分かるが、何に使えるのかが分からない。」という答えしか返ってこなかった。そんな折、学内の若手研究者の交流会があり、工学部や経済学部に所属する研究者たち食事をした際に、土田の素材を使って教育の現場を変革するようなステーショナリーを開発してはどうかという話になった。それが約1年ほど前だという。

「そんなこんなで、私の持っている素材を活用したペンやノートや付箋などをここ1年研究開発してプロトタイプの制作とT大の学部生にモニターで使ってもらい設計変更を繰り返すという段階まで来ています。」

最初は自信がなさそうだった土田の目に少しづつ光が差してきた。

「そういうことでしたか。異分野の研究者同士が集まって技術を結集するという取り組みは大変面白いですね。土田さんの素材に引き付けられるものがあったんでしょうね。」

「そうなんです!大学と言っても学部や学科を跨いでの連携や共同研究というのは一般的ではないので、そういう意味でも事業化することで大学の風土を変えていきたいんです。」

土田は興奮気味に語った。どうやら起業をすることだけが目的ではなさそうだ。

「ところで土田さん。メールではお伺いしませんでしたが、なぜ弊社へご相談を?大学にお勤めでしたら、産学連携の部署で助言やメンタリングをしていただけるのではないですか?他にも県の創業支援事業などには相談できる場所があると思うのですが。」

「大学にも創業支援窓口にも相談してみたのですが、こちらも知識不足で何から聞いていいのか分からなくて…そんな時に高校時代の友人から森先生のことを聞きまして。仙台にブラックジャックのような凄腕のコンサルタントがいると…」

土田は恐る恐る森を覗き見た。森は小さく溜息をついた。

「そこまでお聞き及びでしたら、私の他の噂もご存知でしょう。私のコンサルティング費用は高額です。無茶な事業のコンサルティングはしません。死んでしまう人間を手術しても意味がないですから。その代わり、成功する見込みがある企業や事業については結果が出るまで徹底的にやります。」

「本当にブラックジャックのようなスタイルなんですね…ちなみにホームページにあった「初回の相談は無料」というのは本当なんでしょうか?」

土田の声はトーンダウンした。

「もちろん本当です。ただし、無料ですが無償ではありません。相談にお応えするために必要な時間や情報は提供して頂きます。私はカウンセラーではありませんので。では早速相談に移らせていただきます。今回は創業に関するご相談とのことでしたが、もう一度内容をお聞かせいただけますか。」

土田は顔に不安の色を浮かべながらも、かみしめるように話し始めた。

「ご相談したいのは事業計画と創業の手続きについてです。会社の設立の仕組みはなんとなく分かるのですが、どの形態を選ぶべきか、どのような事業計画を立てるべきかが全く見えないのです。厳しいご指導も受け入れます。忌憚なきご意見をいただきたいです。」

森は音が聞こえない程度の長い溜息をつくと、土田にコーヒーを勧めた。2人分のコーヒーを淹れてデスクに戻ると首回りをストレッチした。森の経験では歴史上の人物の名前がついている奴は大概、虚勢ばかりでいけ好かないが、土田の謙虚さと真摯な姿勢は好感が持てた。「調べてから出直してこい」と追い返すこともできたが、少しだけ土田に時間を使っても悪くない気がした。

「よろしい。では、これから会社の設立や運営について、簡単に講義をしていきます。気になるところがあれば、すぐに質問するように。それと…」

森は軽く咳払いをすると顔の前に人差し指を立てた。

「私の事を先生と呼ばないように。ベンチで檄を飛ばすだけの監督は嫌いなのでね。ここからは私と土田さんが会社を設立するためのシミュレーションだと思って聞いてほしい。」

「わ、わかりました。」

土田は内心「いくら請求されるんだろう」と不安になったが、他に相談できるところもなかったので、意を決して森の講義を聞くことにした。


ブラックジャック

「土田さんは大学に務めて何年目かな?勝手な想像だけれども民間企業で働いた経験はないんじゃない?」

「はい。仰る通りです。博士号を取ってそのまま研究者になったもので。」

「では、イメージしづらい部分もあるだろうから例え話を交えながら説明していくが、最初に質問したい。会社とはなんだと思う?」

土田は唾を飲み込んで思いつく言葉を頭の中に並べた。

「会社とは職場です。そう!働く場所です。」

森は一瞬、眉間に皺を寄せて鼻で溜息をした。

「間違いではない。でも人が働いている実態がない会社も存在するから必ずしも会社が働く場所とは限らない。この問いの正解はこうだ。会社とは商行為を行う法人。」

「商行為を行う法人…」

土田はカバンからノートとボールペンを取り出し森の言葉を書き留める。

「そうだ。商行為とは利益を追求する活動のことをいう。つまり、法人でも利益を追求しない法人を会社とは言わない。例えば、土田さんが所属している大学は国立大学法人だが、教育機関なので利益を追求していない。だから法人でも会社とは言わないよね。ちなみに法人とは法の上で人とみなすという意味だ。会社を設立することは法人格を得るということになる。人間が存在することを証明するために必要なことは何だと思う?これは哲学的な質問ではないよ。」

「それは…住民票や戸籍でしょうか?」

「その通り。会社も同じように名前や住所を定める必要がある。会社の名義で銀行口座を開設したり、車をリース契約できるのは会社が法の上では人格を持っているからなんだ。人間が秩序を持って生きるためには規則や法律が必要だ。法の上で人である会社にも秩序をもたらす法律がある。これが会社法だ。」

シャキーン!と効果音が聞こえそうなほど、シンプルなことをかっこつけて言い切った。森のドヤ顔を見て土田は取ってつけたように小さく感嘆の声をあげた。

「法人は大きく公法人私法人に分類される。公法人は公共機関や国が運営する法人のことだ。私法人にはさっき話した会社を含む営利法人と慈善や学術などの公益を目的とた公益法人がある。公益法人には公益財団法人、公益社団法人がある。聞いたことがあると思うが、特定非営利活動法人のことをNPO法人と言ったりする。法人と言ってもこれだけの種類があるんだ。ここで質問だが、土田さんは何をする法人を作ろうとしている?」

黙って聞いていた土田は突然の質問に少しうろたえた。

「先ほどのお話を聞く限りでは、営利法人に当たると思います…」

「ほう。それは何故かな?教育の現場を変えたいのなら、一般社団法人やNPO法人でも問題ないのでは?」

「そういう側面もありますが、利益を上げてより良い製品を開発していきたいですし、海外にも我々の製品を届けたいんです。ですので営利法人、会社が良いと思っています。」

土田の答えを聞いて森は安堵した。土田が自分たちのビジョンがちゃんと見えていたからだ。

「素晴らしい。そこまでやりたいことが見えていることが法人設立や事業計画立案のスタートラインだ。土田さんのビジョンに合わせて法人の種類について解説していくよ。」

森はペンのキャップを空け、ホワイトボードに図を描いた。

「土田さんは自分たちが作った文房具を国内外に届けたい。ということは多くの商品を作って流通させる必要がある。ペンを100人に買ってもらえばそれでいいというわけではないんだろう?」

「もちろんです!コクヨさんのような大手のような販売数は見込めませんが、多くの方にうちの文具を使ってほしいです。」

「だよね。ということは商品を大量に生産しなければならない。手作りで作ることも出来ると思うが、工場を作って自社で生産するか、生産を外部に発注するかが大量の生産をする方法だ。その分、材料費や設備投資が必要だよね。つまり、多くのお金が必要になるというわけだが。土田さんは貯金はたくさんあるんだろうね?」

「え、ちょ貯金ですか?自分の生活のための蓄えは多少ありますけど、工場を建てるほどの額では…」

土田は狼狽した。

「冗談だよ。自己資金も少しは必要になるが、多くの場合は銀行からお金を借りるか株式を発行してお金を調達する。株式を発行している会社を株式会社という。聞いたことはあるね?」

「ええ。大抵の会社が株式会社だと思っていたのですが、違いがよく分かりません。」

「よろしい。ではまず、株式会社以外の会社について説明しよう。」


「図解わかる 会社法」より引用

「株式会社以外の会社を持分会社と言う。持分会社を簡単に説明すると、出資者(社員)自らが経営をする会社だ。」

「ちょっと待ってください!持分会社が自ら経営をするなら、株式会社は自ら経営しない会社ということなんですか?株式会社の社長は一体何なんですか?」

土田は混乱した様子でコーヒーをグイっと飲んだ。

「まぁ落ち着きたまえ。先ほど、会社の資金調達には銀行からお金を借りるか株式を発行してお金を調達する2つの方法があると言ったね?持分会社は株式を発行していないから株主がいない。つまり、お金を出すのは銀行か自分たちになる。後ほど詳しく説明するが、株式会社の持ち主は社長ではない。もっと言えば会社法上は社長という役職は存在しない。その反対に、持分会社は経営をしている社長や役員が出資者となるので、会社は社長や役員のものということになる。」

「まだちょっとよく分からないのですが、持分会社は株式を発行しないということは、資金を調達する必要がないということなんですか?それじゃ何も作れないじゃないですか。」

森はコーヒーを一口含んでから答えた。

「全く資金調達が必要ないわけではない。が、株式会社に比べると重要度は
低いと言えるかも知れない。だけど、資金調達以外にも持分会社にするメリットはある。一つには設立費用の安さがある。株式会社が約25万円ほどかかるのに対して、持分会社は半分以下だ。二つ目は買収されるリスクが低いということだ。株式会社は株を発行しているから株を取得すれば他人が経営権を奪うことができる。三つ目は意思決定の速さ。後ほど説明するが、持分会社は株主総会や取締役会などの機関設計がないので、社員の協議で経営の方針を決定することができるんだ。」

土田は腕を組んで少し考える素振りをした。

「持分会社のメリットはとても有効な気がしますね。でも、株式を発行していないからお金は集められない。そうなると持分会社は大規模な事業ができないということになりませんか?」

「その通りだ。だから、持分会社の中の合同会社と呼ばれる法人は小規模の事業や家族経営に向いていると言える。資本金も1円でいいし、発起人も1人いればいい。十数万の費用さえ用意出来れば、土田さんだって簡単に会社の代表になれるというわけさ。小規模事業に向いているのは間違いないが、持分会社の大企業も存在する。」

「え?そうなんですか?」

土田はあっけにとられた顔をした。

「有名な合同会社を紹介しよう。①西友②DMM③アマゾンジャパン④アップルジャパンなどはすべて合同会社だ。西友はウォルマートの完全子会社になったので株式会社としての機関が必要なくなった。アップルやアマゾンは資金調達の必要がないからコスト削減のために合同会社にしたというわけ。会社が大きくなるまでは資金調達が必要だから株式会社だったが、大きくなればコスト削減のために持ち分会社に変更したということだな。日本では新たに設立される会社の約20%が合同会社と言われている。」

「そんなにメリットがあるのに20%なのは意外でした。ホワイトボードにある合同会社、合資会社、合名会社はどんな違いがあるんでしょうか?いろいろ合わさっているみたいですけど。」

森は満足げな顔をして話し始めた。

「大きな違いは出資者の責任の範囲だ。先ほどの図にあるが、有限責任、無限責任という2つの項目があるだろう?有限責任とは会社が倒産した際の負債の範囲をそれぞれの出資額を上限とする。無限責任は負債の全額を出資者もしくは経営者が支払う責任を負う。合資会社と合名会社は無限責任社員がいる持分会社だ。合資会社は有限社員がいなくなった時点で合名会社になる。


「ひぃえ~!恐ろしい世界ですね。でも、それなら無限責任のある合名会社や合資会社を選ぶメリットはどこにあるんですか?」

森は一瞬にやっとしてから真顔になった。

「ない。」

「はい?メリットがないんですか?」

「ない。」

「メリットがないなら合資会社のような形態があるのはどうしてですか?」

「合同会社という形態は2006年の法改正で生まれた。それまであったのは有限会社だ。聞いたことはあるね?有限会社は資本金300万円以上1000万円以下というハードルがあった。株式会社、有限会社よりもハードルが低かったのが合資会社だ。しかし合同会社の形態が一般化した現在では合資会社の形態を選ぶメリットはない。だから合資会社での設立も近年ではほぼないんだ。」

土田は少しうつむき考えた。

「そういうことでしたか。メリットはないけれど残っている盲腸みたいな形態なんですね。」

「そういうことだ。うまい表現だね。もっと言えば、有限責任は実質無限責任だ。」

「ごっふぇっええ!?どういうことですか?」

コーヒーカップに口をつけていた土田は大きくむせた。

「返済の責任が発生する負債というのは銀行や金融機関からの借金だ。借金や融資は会社の名義だが、保証人や連帯保証人は代表や社員になる。だから会社法上は有限責任でも、だいたいの場合は経営者に借金返済の責任が来るというわけ。連帯保証人を経営者の家族にすることも出来なくないとは思うけど現実的じゃないよね。」

「会社経営って本当に難しいことなんですね…。でも株式による資金調達ができない分、リスクが小さいのは持分会社ですよね?借金をしても自分たちで返せば問題ないわけですから。」

森は人差し指を上に向けて諭すように話し始めた。

「土田さん、経営者の目線になってきたじゃない。持分会社には確かにリスクが低いというメリットはある。しかし、日本の大半の営利法人は株式会社だ。その理由は社会的信用だ。」

「社会的信用…」

選択

「土田さんも最初は、会社のほとんどが株式会社だという印象を持っていたよね?みんな同じで合同会社よりは株式会社の方が見覚えがあるし、なんとなく株式会社からモノやサービスを購入したいと思う。」

「でも西友やDMMも合同会社なわけですから、法人の形態と会社の信用度はあまり関係ないんじゃないですか?合同会社だとしても西友で買い物はしますし…」

土田は懐疑的な表情を浮かべながらも積極的に森に質問をぶつけた。研究者なだけあって問に対して素直に向き合うことができる。

「社会的信用というのは、顧客だけとは限らない。例えば銀行から融資を受ける場合、融資の目的や返済計画、事業計画を提出しなければならない。持分会社は株式発行による資金調達ができない。資金調達をしないということは、ヒト・モノ・カネが集まりづらいから利益を上げることができない。利益を上げづらい会社には銀行も融資したくない。これが持分会社のデメリットだ。」

「なるほど。家族経営や小規模の事業であれば売上は拡大しないかわりに資金調達も少なくて済むということですか。」

「まぁそんなところだ。だから、会社の設立や事業計画を進める際に一番必要なのはビジョンだ。説明した通り、株式会社なら間違いないとか合同会社なら失敗が少ないというような正攻法は存在しない。ビジョンと事業計画があって初めてスタートラインの色や場所が分かるんだ。法律やノウハウであれば中小企業診断士や行政書士が教えることは出来る。でも、ビジョンややりたいことは発起人本人しか分からない。本人さえも分かっていないこともある。だから内科診療みたいに細かくいろんな視点から発起人の意思を分析していく。」

この人はブラックジャックだ。と土田は思った。応援するとかサポートするとか伴走するとか抽象的な表現を使わない。何かあれば自分が経営に関わる覚悟があるから我がことのように必要な情報を聞き出そうとする。相手の感情を読み取ろうとするが、自分の感情は混ぜ込まない。

「ここまで会社の形態について学んできたわけだが、土田さんがこれからやろうとしている事業に合った法人の形態は何だと思う?」

「正直、よく分からないんです。どれくらいお金がかかるのか、どれくらい利益が出せるのかも分からないので合同会社にしておく方がリスクが少ないいと思っているのですが…」

森は鼻から小さい溜息をついた。

「リスクを恐れるのであれば最初から起業などやめてしまえ。失敗してもリスクのない会社なんぞ作っても社会に何のインパクトもない。存在意義がない。私はそんな会社の支援をしてもつまらない。小遣い稼ぎがしたけりゃ副業でもすればいい。」

「そ、そうですよね…最初から考えが甘かったんですよね。なんか時間を取らせてしまってすみません…」

土田は俯いた。森の鋭い言葉に土田の心は折れかかった。一方の森は講義に熱が入ってしまったことを反省し、少し口調をやわらげた。

「冗談ですよ。半分くらいはね笑。それにまだ、肝心の株式会社の説明をしていないじゃないですか。諦めるのはそれを聞いてからでも遅くはないですよ。」

「はぁ。そういうものでしょうか。そうだといいのですが…」

「そうだ。気分転換にキンキンに冷えたビールでも…と言いたいところなんですが、お昼を兼ねて場所を変えてみませんか?もし土田さんのこの後のご予定が詰まっていなければですが。」

「私は問題ないです。実験などはラボのメンバーに任せてあります。森さんは大丈夫なのですか?無料相談なのにこんなに突き合わせてしまって。」

森はテーブルのコーヒーカップを回収し給湯室の流しにカップを置いた。

「大丈夫ですとも。土田さんからは微かに香しいビジネスの匂いがしますからね。でもお昼は奢りますよ。私がお誘いしているので。」

2人はシックスマンコンサルティングのオフィスを後にした。


経営


「着きました。」と言って森が立ち止まったのは、メインストリートの裏通りにある昔ながらの喫茶店だった。

やや暗い店内はステンドグラスのようなレトロな照明とベロア張りの椅子など風情のある内装だった。席数は30席ほどだろうか。カウンター、2人掛け、4人掛けの席があり、サラリーマンの男女で半分くらいの席が埋まっている。

「こんちは~。奥の席いい?」と、森がこなれた様子で席へつく。大学生と思しき若い女性がお冷とおしぼりを銀のトレーで運んでくる。

「お昼に来るなんて珍しいですね。プロポーズとかですか?」

「もし俺がこの店でプロポーズしてたら、人生の末期だろうなぁ。」

森はおしぼりで顔を拭きながら、くだらない冗談の応酬を繰り広げる。2人はカレーライスとナポリタンのコーヒーセットをそれぞれ注文した。

「このお店はよく来られるんですか?」

土田がやや恐縮した様子で質問した。

「週に1~2回ですかね。私、とても太りやすいので昼食はオフィスでカロリーメイトを齧ってることがほとんどなんです。それに、この店の食事は可もなく不可もなくという感じですし…特段安いわけでもないですし…おまけに禁煙ですし…。オフィスから近いという理由でたまに本を読みにくるくらいです。」

こんな理由で来店しているのに、よく店員にあんなに馴れ馴れしい態度ができるなと土田は不思議だった。

「では、ナポリタンが来る前に株式会社の予習をしたいと思います。」

森は水を一口飲んでカバンの中からA4サイズくらいのホワイトボードを取り出した。

「オフィスで有限責任と無限責任の話をしたね?責任の形態はこの他に直接責任間接責任というものがある。直接責任は出資者が債務者に対して直接返済をする。間接責任は出資者が会社に出資する形で債権者に支払う。有限責任と無限責任とこれらを組み合わせると①直接有限責任②直接無限責任③間接有限責任という3つのパターンに分類される。間接無限責任というケースは存在しない。」

森の口調が講義モードに戻っている。心なしか眼光もさっきより鋭い。

「株式会社の場合は③間接有限責任が該当する。株式会社における主な出資者は株主だ。会社の借金を株主が払うことはないということだね。」

「でも、担保や保証人がある場合は誰がその責任を負うんです?」

「取締役だ。」

またもや、森がドヤ顔を見せる。大したことは言っていない。

「会社、つまり法人は法律上は人と見なすが、実際の経営や仕事は生身の人間がやっている。当たり前の話だけど。人が仕事を実行するためには会社という箱の中に仕組みを作らなければならない。」

「仕組み…」

「会社法において絶対に必要な機関がある。それが株主総会と取締役だ。会社役員って聞いたことがあるだろ?役員というのは取締役、監査役、会計参与の総称なんだ。それぞれの役員の兼務は認められていない。」

「社長のことを代表取締役って言いますよね。お金を出すのは株主、経営をするのが取締役という認識ですかね?」

土田は株主と取締役をそれぞれを両手で表現した。

「その通り。土田さんの右手と左手が分かれているように、株主と経営者は分かれている。これを所有と経営の分離という。取締役が筆頭株主である場合は所有と経営が一緒だ。日本の社長は「私の会社では」なんて普通に話す場合が多いが、正確には会社は株主のものであって経営者のものではない。だから、会社における最高意思決定機関は株主総会だ。」

「株式会社にとって株主総会は大事なものなんですね。だからホテルの広間を貸切って開催しているのか。株主総会ではどんなことをしているんですか?」

「株主は出資者だ。自分たちが出資したお金で会社がどんなことをしているのかを発表したり、経営陣に対しての要望を伝えたりしている。簡単に言うとそんな感じだが、実際にはハッピーな総会ばかりではない。昨今、話題になっている小林製薬の事件後に開催された総会では株主からの怒号が飛び交っていたらしいからね。」

「小林製薬と言えば…紅麹製品の回収?」

「そうだ。あれだけのリコールを出し、製薬会社としての信用も落ちた。今後の経営がうまくいくとは誰も想像できない。株主たちはなぜそんな事態に陥ったのか知りたがっているし、どのようにそれらをリカバリーするのか激しく聞きたがっているというわけさ。モノ言う株主とかアクティビストなんて呼ばれている。株主総会の招集は取締役が行う。株主全員の合意が得られれば招集や通知は必要ないがね。」

土田は会社経営の難しさを感じて水を一口飲んだ。株式会社を作ると簡単に言ってた自分が少し恥ずかしくなった。

「取引先や従業員だけでなく株主にも気を使わなきゃいけないなんて…会社を経営するというは本当に大変なことなんですね…。森さんが「起業なんてやめてしまえ」と言っていた意味がよく分かりました。」

「今のは極端な例だよ。すべての会社が難しい状態になっているわけじゃない。一人で株式会社を立てることだってできるんだ。」

「そ、そうなんですか?」

「会社法では取締役の任命は必須だが、取締役会の設置は義務づけられてはいない。取締役は最低1人いればいい。取締役会は最低3人任命が必要だ。小規模な株式会社は筆頭株主と代表取締役が同じ人ということも多々ある。」

「取締役会を設置するのとしないのではどちらが良いんでしょうか?」

「どちらにもメリットとデメリットはあるが、一番重要なのは株主総会における権限の違いだ。取締役非設置会社は重要事項の一切を株主総会で決定するが、取締役会設置会社は決定権限が取締役会に移譲されている。つまり、取締役会がない会社は株主がすべてを決める権限を持っている。」

「ということは、取締役会がない会社は株主の言う通りにしなきゃいけないということなんですね。じゃ取締役会を設置した方がいいってことですよね?」

「それがそうとも限らない。決定権限が取締役会に移譲されているとは言え、株主から提議された事案については協議する必要があるから、組織間のコミュニケーションが煩雑になり時間がかかる。加えて、役員報酬を取締役の分だけ用意する必要があるから当然お金もかかってくる。ルールや相場は存在しないが、最低でも取締役一人当たり500万~2000万くらいは役員報酬がかかってくる。合同会社に形態を変更する会社があるのはそう言う事情を鑑みてのことなんだ。」

「なるほど…まだ先の事とは言え、なんか会社を作るのが億劫になってきました…」

土田が意気消沈していると、「お待たせしましたぁ~」と注文したメニューが運ばれてきた。

「株主総会ではどんな話し合いがされるんですか?」

土田がカレーのらっきょうをポリポリかじりながら聞いてきた。

「どんなって言っても、議題はたくさんあるからね。株主総会は定時株主総会と臨時株主総会がある。定時株主総会はいわゆる決算総会ってやつで、通常は事業年度終了の3か月以内に開催される。会社経営の1年の成果を発表して次年度の取組や人事体制について承認をもらうんだ。こんな感じでね。」



森はインターネットで公開されている株主総会の資料をタブレットで土田に見せた。

「これじゃまるで会社のプレゼン資料ですね。」

土田はカレーライスを食べる手を止めてまじまじとタブレットを見た。

「会社の取組を出資者にプレゼンして出資を継続してもらうんだ。株主は利益を生み出さない会社に出資したくないからね。」

「もしも会社の取り組みに株主が納得しなかったらどうなるんですか?」

「納得するように作るのさ。そのためには会社法では株主総会の決議についても定められている。株主総会における決議は普通決議、特別決議、特殊決議の3種類がある。普通決議はさっき見せた資料のような決算、計算書類の承認や取締役、監査役、会計監査人の選任および解任だ。特別決議は監査役の解任、定款の変更、組織再編、解散。特殊決議は株式の譲渡制限を定める定款の変更などがある。議決は1株が1議決権で決める。それぞれ必要な得票数は、普通決議は全議決権の過半数、特別決議は全体の3分の2、特殊決議は議決権を行使できる株主の半数以上であって当該株主の議 決権の3分の2以上。このように議題の種類によって決議の方法が異なる。」

「解散や組織再編まで株主総会で決まるなんて…会社は株主のものなんですね…。多くの株式を持っている人が会社をどうこうできるということですか?」

「君の言う通りだ。土田さんは知らないかも知れないが、20年ほど前にライブドアという会社がニッポン放送を買収しようとした事件があった。ライブドアは700億円以上を投じてニッポン放送の35%以上の株式を取得した。」

土田はハッとした。

「ライブドアってあのホリエモンの?」

「そうだ。詳しくは企業経営理論の範囲になるが、敵対的M&Aで会社を乗っ取ろうとしたんだ。」

「私はまだ株式を購入したことないので分からないのですが、株主はなぜ株式を取得しようとするんですか?」

「いい質問だね。株主になりたがる理由は人それぞれだが、株主には自益権と共益権という2つの権利がある。自益権は配当金や株主優待などを受けられる権利、共益権は運営や経営に関わることができる権利だ。つまり、儲かる会社に投資してバックを得たいという目的と、経営に関わって利益を得たいという目的があるってことだ。株主には議題提案権議案提案権という権利もある。議題提案件は100分の1以上の議決権(株式)または300個以上の議決権を有する株主にその権利が与えられる。議案については保有株式の決まりはない。「こいつを役員にしてくれ」とかそういう提案を取締役に出せるんだ。」

「世の中はすべてお金なんですね…。文房具を真面目に作ろうとしているのが馬鹿らしく思えてきました…。」

森は鼻で小さく溜息をついた。

「世の中はほぼすべてお金だ。でも、すべてではない。それに株式も文房具も買い手に利益をもたらし、その対価をもらうという点では変わりない。アプローチが違うだけでね。」

「株式と文房具が同じ…ですか?」

「私も実は文房具が好きでね。仕事はほとんどパソコンで行っているし便利なアプリケーションもたくさんあるんだが、手帳やノートやペンはついつい
買ってしまうんだ。文房具を買う時は、たいてい新しい挑戦をする時だ。新しい顧客、身につけなければいけない知識がある時に文房具を買うんだよ。新しいペンやノートは新しい知識や発見を連れてきてくれるんじゃないかと思える。それって注目する企業の株を買う事に似ているんじゃないかな。」

「たしかに…商品を買う人だってその商品によってもたらさる何かを欲しがっているわけですかね。」

土田は自分の作りたい商品や会社について考えた。

機関設計

その時、店の扉が勢いよく開き、慌ただしく店に入ってくる男性がいた。ベージュのジャケットを着た初老の男性はお客さんに挨拶をしながらカウンターの中で店員と何やら話をしている。この店のオーナーのように見える。しばらくすると男性は森と土田のテーブルに近づいてきた。

「珍しいじゃないですか森先生。ナポリタン召し上がりました?おいしくなったでしょ?!」

「今日も忙しそうですね斉藤さん。ナポリタンは特段おいしいとは思わなかったですね。私はシャツが汚れない透明なナポリタンとか開発してほしいんでけどね。」

男性は大笑いしながら「相変わらず口が悪いですね!」と返した。

「お店の方は繁盛してるみたいですね。最近はお困りごとはないんですか?」

「自分の店はうまいこと行ってるんですが。別の件でご相談したいことがありまして…。後ほどメールします。ではごゆっくり!」

そういうと男性は慌ただしく店を出ていった。

「今の方はこのお店のオーナーですか?」

「そうだね。この喫茶店を運営している株式会社SFCの代表取締役の斉藤ささんだ。」

「株式会社?この喫茶店、株式会社なんですか?」

土田が驚いているところに、女性の店員さんが食後のコーヒーを運んできた。

「森先生、社長になんとか言ってくださいよ。毎日店舗を回って、どこかで打合せしてて、朝の6時にはもう家を出てるんですよ?もっと森先生みたいにのんべんだらりと油を売って歩くような働き方をしてほしいんですけど。」

「油はいろんなシステムを潤滑にして、エネルギーを生み出すからね。油を売るのは崇高な仕事だよ。」

土田は咄嗟に森を制した。

「違いますよ森さん。褒められてないですよ。朝6時に家を出るって…この店員さんは斉藤社長の…?」

「そう。株式会社SFCの取締役で開発部兼エリアマネージャー兼悟り世代の斉藤マドカ部長だ。」

「この方が…」

土田はマドカをまじまじと見た。どう見ても20代前半だ。取締役のイメージがつかない。

「悟り世代とかは関係ないですけど。会社のためになんでもやってるって感じです。」

「エリアマネージャーと仰ってましたが、ここ以外にも店舗があるんですか?」

マドカはポストカードサイズの店舗案内を手渡した。

「仙台市で4店舗のカフェを経営しています。来月には5、6店舗目がオープンします。」

土田は店舗案内のカードに目を凝らした。

「純喫茶ジュン…CAFEさふらん…こちらのお店もそうですが、年季が入ったお店ばかりですね。これはどういうことなんでしょうか?」

「私が説明しよう。悟り世代よりも油売りの方が話がうまいからな。」

森はカップをソーサーに置いて話始めた。

「2年ほど前、斉藤社長の奥さんが藤崎デパートの北海道フェアでしろくまラーメンを買った帰りにたまたま時間つぶしに入った店がここだった。店内には数名しか客はおらず、閑散としていたが奥さんはこの店の雰囲気が気に入り足を運ぶようになった。何度か通ううちにオーナーの西山さん夫妻から「後継者がいないから店を閉める」という事実を聞いた奥さんがM&Aでこの店ごと買い取ったというわけだ。」

「少し無駄な情報もありましたが…。でも何故それが4店舗に?しかも旦那さんや娘さんまで巻き込んで法人化するなんて…」

「奥さんは店を引き継ぐまでの3カ月間で店のメニューや運営について必死に学んだ。満を持して店を引き継いだがお客さんは来なかった。店主が変わったことで昔馴染みの客が少しづつ離れていった。」

森はコーヒーを一口飲み、目を見開いた。

「そこでこの私が登場するわけだ。私がここで競馬の予想をしていた時、たまたまクライアントから仕事の電話を受けた。奥さんはその話が耳に入ったらしく、私がコンサルタントだと知った。「店の経営が手詰まっていて助けてほしい」と懇願されたので、私は快くコンサルティングの依頼を受けてこの店を再建するに至った。」

「うそ。「そんなに手詰まっているなら辞めてしまえ」って言われたってお母さんが言ってました。しかもかなり省略してるし。」

土田は僕もさっき同じことを言われましたという言葉が出かかった。

「まぁ、いろんな捉え方があるからな。しかし、当時の状況を考えると店を畳んでしまう方が遥かにメリットがあったのは間違いない。回転率が低い割に原材料にもこだわっているから原価は高い。足腰のおぼつかない年寄りしか来ないような店を延命させてお金を取るのは私にとっては詐欺と同じだ。ヒントになったのは元オーナーの西山夫妻の話だ。これまでの店の経営状況などをヒアリングしていた時、西山さんがこんなことを言った。「古い店はどんどん無くなっていく。後継者がいないのはうちだけじゃない」と。」

「ちょっと待ってください。1店舗でも経営が難しいのにその数が増えたら増々赤字が膨らむ一方ではないのですか?」

森は薄ら笑いをうかべて話を続けた。

「普通はそう思うよな。だが、3本の矢の例えではないが、複数の事業が合わさる事で状況を打開できることもある。簡単に説明すると、複数店舗の仕入や設備を一本化することでコストダウンを図った。次に作業工数を短縮し営業時間を延ばした。SNSのアカウント開設や朝限定でテイクアウト販売をすることで新たな顧客を獲得した。」

「でも、人はどうするんですか?それだけの仕事を一人ではできませんよね?」

「そこで登場したのが、斉藤社長と娘のマドカ部長だ。斉藤社長は元々、精密機械メーカーの工場長で開発部門も経験している。作業の効率化や歩留まりを考えるのはお手の物だ。加えて、大学を卒業してプラプラしていたマドカちゃんが新メニューの開発や新しい売り方を考案した。」

マドカは力強く森の方をたたく。

「プラプラしてたんじゃなくてWEBデザイナーをしてたんです!」

「斉藤社長はどうされたんですか?まさか会社を辞めて起業を?」

森はマドカに叩かれた型をさすりながら言った。

「当たり前だ。片手間で出来るほど飲食店の経営はイージーじゃない。だが、斉藤社長はSFCに参画する際に中小企業診断士になった。」

「それじゃ、森先生と同じ知識があるということじゃないですか。それなら心配ないですね。」

「ところがだ。外部の視点からしか見えないものもある。斉藤社長はSFCの成功体験を活かして後継者がいない飲食店や宿泊施設のアドバイザリーも行っている。手が足りない時は私に相談が来る。」

土田は思い出したように森に質問した。

「先ほど、マドカさんが取締役と仰いましたが、取締役会があるんですか?」

「株式会社SFCは取締役会設置会社だ。取締役は社長、奥さん、マドカさんの3名。代表取締役は斉藤社長だ。」

「森先生のお話だと、取締役がいる場合は役員報酬が発生するから費用がかかるんのでは?」

森は軽く咳払いをして説明を続けた。

「取締役が家族であれば役員報酬はいくらでも構わないし、家族であれば所得税や相続税を節税できたり、社会保険に加入することが出来るというメリットもあるんだ。」

「そうなんですね。でも、取締役の選出は株主総会の普通決議ではなかったですか?株主が斉藤さんの家族を取締役に選任したということなんですか?」

「覚えるのが早いね。株式会社SFCの大株主は斉藤社長だから株主総会と言っても家族会議みたいなもんだね。とは言え、会社として役員や社員の生活が懸かっているわけだから真剣にやらなければならない。」

「森さん、もう一つよろしいですか?先ほど特別決議で監査役の解任という議案の例があったと思うんですが、株式会社SFCは監査役はいないのですか?」

監査役の設置は任意だ。任意ではあるが監査役にも会社法に定められた業務が存在する。監査役の業務は1)善管注意義務 2)監査報告の作成義務 3 )取締役が不正行為をした場合等における取締役(取締役会設置会社では取締 役会)への報告義務 4)取締役会への出席義務、意見陳述義務(必要があると認めるとき) 5 )株主総会への提出議案・書類を調査し、法令・定款違反(おそれ含む)等が あった場合における株主総会への報告義。要するに経営陣の監視だ。監査役は取締役のように株式会社に絶対必要な機関ではないが、取締役が不正をし放題の会社なんて信用がないだろ?だから監査役をつける。それ故に取締役と監査役の兼任は認められていない。身内同士で監査しても意味がないからね。取締役会のように監査役会というものがあるが、監査役会は最低人数が3名以上で半数以上が社外監査役でなければならないというルールがある。」

土田は監査役について想像を巡らせた。

「企業のHPを見ても監査役というと年配の方がやっているイメージがありますね。ご意見番みたいな立場なんでしょうか…。」

「簡単に言うとそういう事なんだが、監査報告書の作成義務や株主総会への提出書類の調査など大変な仕事が多い。どこの馬の骨とも分からない人が出来る役職ではないんだよ。似たような役職で会計監査人というものがある。名前の通り、会計に特化した監査機関だ。設置は任意だが、会計監査人設置会社は監査役を置かなければならない。つまり、会計監査人がいる会社は監査役が必ずいることになる。大規模な株式会社では計算書類が膨大になるため、会計のプロが数字を見るんだ。会計監査人には資格が必要で、公認会計士か監査法人でなければならない。会計監査人は役員ではないが、報酬の決め方や選任、解任は取締役と同様の手順で行う。」

「株式会社SFCには会計監査人はいないんですか?監査役も設置しなければいけないとなると相当な人件費がかかりそうですが…。」

「株式会社SFCには会計監査人も監査役もいない。土田さんが言う通り、中小企業では役員を抱えるのは大変だからね。その代わり、会計参与という機関が存在する。設置は任意だ。公認会計士、監査法人の他に税理士と税理士法人が会計参与になることが出来るんだ。」

土田は少し安心したようだが、またすぐに疑問が湧いてきた。

「取締役や会計監査人はずっと同じ人がやっても良いのですか?付き合いが長くなればなるほど関係がズブズブになって不正が起こりやすくなるのではないかと思いまして。」

「取締役にも会計監査人にも任期がある。例えば①取締役の任期選任後2年以内に終了する事業年度のうち最終のも のに関する定時株主総会の終結の時まで。②監査役の任期は、原則として選任後4年以内に終了する事業年度のうち最終のも のに関する定時株主総会の終結の時まで。③会計監査人の任期は、選任後1年以内に終了する事業年度のうち最終のものに関 する定時株主総会の終結の時まで。④会計参与の任期は原則として選任後2年以内に 終了する事業年度のうち最終のものに関する定時株主総会の終結の時まで。というようにそれぞれ任期が定められている。しかし、行政の首長や議員は任期が定められていても選挙で再選すれば続投できるよね?同じように、任期満了後の株主総会で選任されれば続投できるというわけだ。」

「ただし、M&Aされたりアクティビストが何も言わなければ…ということですか…。」

「店長、コーヒーおかわり~」と森がコーヒーを注文し、難しい顔をしている土田に話をつづけた。

「もう少し説明が必要なようだね。すべての株主はすべての株式会社の株を買えるわけではないんだ。株式会社の中には株式譲渡制限会社(非公開会社)というものがあり、全部または一部の株式に自由に売り買いできないような制限が定款で定められている会社がある。」

「ちょっと待ってください。資金調達をするために株式を発行しているのに自由に売り買いできないような制限をかけてしまうんですか?何のために?」

話を聞いていたマドカがカップにコーヒーを注ぎながら口を挟む。

「買収されないためですよ。うちみたいな小さい会社が株式を公開してしまえば、簡単にM&Aされて経営権を奪われます。そんなことがあちこちで起こったら資本を持った人がいろんな会社を買って自分好みに変えてしまえるようになってしまうんです。」

土田はハッとした。

「それならなぜ株式会社にするんです?取締役や会計参与を設置して、高い登記費用を払うのは株式による資金調達をするためではないのですか?」

「信用だよ。社会的信用だ。株式会社にするメリットは資金調達だけではない。SFCのように多額の資金を必要としない会社は株式発行による資金調達は必要ないからね。」

ズズーと音を立てて森がコーヒーをすすり話を続ける。

「株式譲渡制限会社という名称は会社法では登場しない。公開会社以外と表記されているんだ。公開会社は自由に株式を売買することができるが、取締役会と監査役の設置が必須となる。また、公開会社は取締役の任期が2年なのに対し、非公開会社は最大10年までの任期になる。というようなメリットがある。同族企業なんていう言葉を聞いたことがあるだろ?同族企業は家族親戚が株主、取締役となって経営している。非公開会社だから外部から買収されることがないんだ。」

「なるほど…。会社を守るための制度ではあるけれど、拡大がしづらくなるという反面もあるんですね…。」

「制限と言っても、まったく株式を譲渡出来ないというわけではない。会社が承認すれば譲渡することは可能だ。それを承認する機関は取締役会。例えば会社ごと事業売却する際や筆頭株主兼代表取締役が高齢で世代交代が必要な場合は株式を譲渡しなければならないからね。」

「株式の譲渡を決めたり、株主総会を招集したり、取締役会というのは多くの権限を持っているんですね。」

「そうだ。会社における業務執行の最高決議機関が取締役会だ。おっさんになったら自動でなれるものではない。それなりの責任が伴う。」

「取締役会というからには株主総会のような定期的な会議のようなものがあるんですよね?」

森は首を一回して説明を続けた。

取締役を招集する権限は、原則として各取締役にある。しかし、定款や法令違反または違反の恐れがある場合は株主が取締役会を招集することができる。また、必要な場合は監査役が取締役会を招集することができる。さらに代表取締役は自身の職務執行状況を3か月に1回取締役会で報告する義務がある。さらにさらに、取締役会は取締役の過半数の出席が条件で、議決には出席取締役の過半数の得票が必要だ。取締役会の議事録は10年間本店に保管しなければならない。」

土田は煮え切らない表情だった。

「取締役も代表取締役も大変な仕事なんですね…。簡単になれるような気でいたのが間違いでした…。ただ、気になったのは取締役というのは社員の中から選任されるんですよね?いくら権限があると言っても過半数の決議で決められるならば上下関係のパワーバランスが働いて不正みたいなことは起こらないんですかね?」

「土田さんいい質問だね。というか、公明正大な良い経営陣になれそうだ。君の言う通り、同じ会社から昇進した取締役や監査役では監視機能はきたいできない。それを是正するために指名委員会等設置会社という機関設計の制度がある。正直にいうと、この指名委員会も取締役の中から選任されるから監視機能という点では内部監査に近いんだが…。指名委員会等設置会社は監視機関なので会計監査人を置かなければならないが、監査役は置いてはならない取締役会は置かなくてはならないが代表取締役は選出できないという、ちょっと変わった決まりがあるんだ。」

「代表取締役を選出できないということは業務執行のトップはいないんですか?」

「代表取締役はいないが、取締役会の中から代表執行役を選出しなければならない。例えば…これを見てみて。」

森はノートPCでとある会社の役員一覧を提示した。


「これは…日立製作所って…あの日立?」

「そう。取締役会の他に執行役というのが別に存在しているだろ?取締役会の中に代表取締役はいない。その代わり、代表執行役という業務執行をするう役職があるんだ。」

「取締役会のメンバーは社外の人がほとんどだ。これならいろんな目線で経営を監視することが出来ますね。でも、僕のような一研究者がここまでの組織設計を出来るのでしょうか?」

森は鼻で小さく溜息をついて、笑いながら答えた。

「一人で出来ないからこそ、外部の取締役や監査役が必要なんだ。ちなみに、指名委員会等設置会社の中には三委員というのがあって、指名委員会、監査委員会、報酬委員会というのがあって、監査委員会だけを別個で設置することもできる。ちなみに、委員を設置していると監査役は設置できない。その逆に監査役を設置している会社は委員を設置出来ない。大会社かつ公開会社は監査役会という機関の設置が義務づけられている。監査役会は3人以上の監査役で構成され、半数以上は社外監査役を選任しなければならない。というように、会社経営を監視するために様々な機関設計のパターンが存在するんだよ。つまり、会社は社長一人だけで回っているものではないということだ。」

「くどいようで恐縮なのですが、社外取締役や社外監査役に兄弟や、会社を退職した人を登用してしまったら監視機能は働かなくなるんじゃないかと思うのですが…。」

「素晴らしい指摘だ。会社法ではそのあたりもしっかりとカバーした法律になっている。社外取締役および社外監査役配偶者または2親等内の親族過去10年間に当該会社の取締役や使用人になったことがないこと、親会社、兄弟会社の取締役や執行役でないことなどが定められているんだ。少し安心した笑?」

「会社法というのは、組織の仕組みをよく考えて作られているんですね。なんか感動しました。でも…肝心の僕の会社をどのようにしたら良いのかは全く分かりません…。」

窓の外はすでに薄暗くなり、2人のコーヒーはすっかりなくなっていた。

「そうだったね笑…。そもそも今日の相談は土田さんの事業計画と会社設立についてだった。これは失礼した。土田さんが鋭い質問をしてくるものだから私もつい熱くなって話してしまった。よろしい。明日の7時にこの店で落ち合おう。可もなく不可もないモーニングを食べながら、会社設立について話をしよう。なるべくクールにね。」

すると、カウンターの方からカンカンと何かが鳴る音が聞こえた。
年配の女性がカウンター席で小鍋をおたまで激しく叩いている。

「何が可もなく不可もないだ、この死神コンサルタントめが!お前また若い子に夢も希望もない事をウダウダと喋ってんのかい!」

森が「げっ!」と言って顔をしかめる。

「地獄耳はご健在なようで何よりでーす!」

年配の女性がつかつかとテーブルに歩いてきて土田の方に手を置く。

「あんたもこんな男の口車に乗せられちゃだめだよ~。まだ若いんだからいろんな挑戦をしなきゃね~。」

土田は訳も分からず、はぁと返事をすると、森が大きく短い溜息をついた。

「おいババア、俺を何と呼んでも構わん。だが、生と死は背中合わせだし、つながっていくものだ。天地万物を創造する者は同時に死神でもあるんだよ。つまり、引っ込んでろってことだ。」

年配の女性はふん!と憤慨した様子を見せた。

「何を言ってんだか分からないけどね、幸次さんとマドカが作ったモーニングを可もなく不可もないなんて言われたくないね!あたしはあんたみたいな守銭奴は嫌いだよ!」

「気が合うじゃないかババア。俺も義理と人情だけの貧乏人は嫌いだ。それに俺のコンサル料は適正価格だ。」

本当にこの人に相談して良かったのだろうか…と土田の頭は混乱した。
だが、森が偽物のコンサルタントではないことだけは分かった。もう少しだけ、この男にいろんな話をぶつけてみようと思った。


後編へ続く。


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