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「無駄」の中にこそ存在する愛

しれっとカムバック、ねこやまです。

効率や機能面だけを考えた時に
「無駄」となりえるものに愛を感じます。

これは最近の自分に対する気付きです。

例えば、幼稚園バス。
バスに動物の耳やしっぽが付いていて
フロント部分は顔になっているあれです。


こども達を乗せて安全に送迎する事だけを考えたら
耳やしっぽなどいらんのです。
なんの変哲もないバスでいいはずなのに
敢えて可愛いバスがこの世に存在する事に愛を感じます。
少しでも楽しい気持ちで園に通ってほしいという気持ちから、誕生した動物バスなのかな〜と思うと
くぅ〜〜!!となります。


共感してくれる方いるでしょうか?
ついてきてますか??笑


お子様ランチの旗然り。
あれも(効率だけを考えたら)絶対いらないはずの存在。
だからこそ憧れるしワクワクするのだと思う。


ちなみに私は今だにお子様ランチを食べたい。
「小学生までのご注文」と書いてあるから頼まないのだ。大人様ランチでは解釈違いなのだ。


お子様ランチのみならず食事全般、
効率だけを考えたら完全食ってやつを食べればいいはずです。その名の通り完全なのですから。
時間も自分の好きな時間にササッと食べれば
タイムパフォーマンスめっちゃいいはずです。


でもやっぱりじっくりコトコト時間をかけて作った、
家のご飯が美味しい。
外食でもお惣菜でもいい。
とにかく人が作ったご飯が食べたい。



愛とはまた違うけど、寄り道も好き。

いつもの道を通れば最速で帰れるけど
わざと違う道を通ってみたり、遠回りする事で
知らなかったお店を見つけたり気持ちがリフレッシュされるのが好きで、たまにやってしまう。


旅行した際の「初めて歩く道」など
最高以外何者でもない。


世の中、効率を良くすればいいってもんじゃない。
効率を良くする事は、便利さや快適さに繋がるかもしれないけれど、そこばかりを追求するとつまらない事ばかりになる気がする。

不便利さの中にある遊びだってあるのだ。

自分はどんな事が楽しくて、何に不快感を感じるのか
それを見つける為には無駄や寄り道が必要だと感じている。


親しくない人との世間話が苦手と言う友人もいるが
親しくなくても話をしたら興味が出るかもしれない。
私がまだ知らない楽しい事を見つけるヒントが隠れているかもしれない。


もしつまらなかったなら
何がつまらなかったのかという気持ちのサンプルが取れるので、それもまた良し。


と思えば、世の中の大概の事は楽しめるものである。


文字に起こすと、随分偉そうな事を言っているが
もちろん実践できない時もある。
私にだってメンタルが豆腐の時だってあるのだ。


できる事なら起きる物事全てを
「あれは、ウケたなw」と思える人でいたいな。


もしも、このブログを読んでくれた方が居たら
無駄な時間を過ごさせてしまったかもしれないが
どうかこの無駄が楽しい「無駄」でありますように。



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