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「場違い」なのかもしれないという感覚

辞書にある「場違い」の意味は「場にふさわしくないこと」なので、よくないことなのは明らかだ。
ただ、日常で感じる自分には場違いという感覚は、知らない場所への不安であり、自分に合うのか合わないのかわからないときに感じてしまう感覚なのではないだろうか。つまり、自己判断の場違い感は客観的にみると、何の問題もない場合も多いのではと思う。

このことを思った理由などを書いてみる。

私が、SUSONOへ参加すると決めるまでに、かなり迷った。その大きな理由が「私には場違いかも」ということだった。

こういうコミュニティに参加する人のイメージ像は、「◯◯ができます!」とハッキリ言える人。リーダーのポジションが合う人。今思えば偏見なのだけど、そういうタイプではない私が参加して大丈夫?ということをすごく考えた。

参加して3ヶ月。今思うのは、本当に参加してよかったということ。いろんな人が集まって、ゆるくつながれる関係性がある。

その関係性のよさをつぶやいたツイートがこちら↓
https://twitter.com/buku_r/status/954502117569343489?s=19

場違いと思うくらいの場所に飛び込んでみたからこそ、知らない世界が見えてくるんだということがわかった。見たことのない世界を見たいなら、少しの不安は越えなくてはならない。

そこに気づけたことは、これから何かを選ぶとき、大きな意味を持つだろう。

私みたいに慎重派を自覚している人は、ひとつひとつ「大丈夫」を経験していかないと、安心して進めない。それは、とても手間のかかることだけど、何もしないで立ち止まっているのはもったいない。遅くても、立ち止まってしまうことがあっても、進んでいくことを諦めないでいたい。

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