グレート・アメリカは「許されざる者」である: 『運び屋』再考

『運び屋』を観てから一週間経過し、Facebook上で友人(というか元勤務先の上司)と映画の感想をやりとりしていたら、また別な感想が書きたくなったので記しておく。

一言で言うならば「グレート・アメリカは『許されざる者』である」ということ。後先のことを考えず、ポリティカル・コレクトネスの概念も存在せず、相手にいきなり説教をかまし、一方で仲間思いで、異文化と上手く付き合うこともできる。そして第一に自由である。そういう主人公の姿はまさに「古き良きグレート・アメリカ」の姿なのであって、主人公の乗るフォードの高級ピックアップ・トラック「リーンカーン・マークLT」もそのシンボル性を持つものとして画面上にあらわれる。

グレート・アメリカは劇中でさまざまな現実と出会う。インターネット、日本車、スマートフォン、ハイブリッド・カーにのる黒人家族。最もその現実が牙をむくのはメキシコの麻薬組織の方針転換によるものだろう。主人公の奔放さを当初は認めていた麻薬組織が、強制的なトップ交代によって「遅刻絶対ダメ」、「命令には絶対服従」といったブラック企業に変貌してしまう。まるでAmazon倉庫の厳しい勤務ルールだ。

昨今、アメリカも人手不足が深刻化し、労働市場が売り手優位になった結果、ブラックな職場から好き勝手にバックレる労働者が「ゴースト」と呼ばれ社会問題になっている現実は、劇中には反映されていない。結果として、現実に順応可能に思われたグレート・アメリカも、最終的には逮捕、刑務所で暮らすことになってしまう。刑務所のなかで楽しそうに暮らしている……みたいなラストになっているのは、良かったのか悪かったのか。

2002年に発売されたが高級すぎてまったく市場に受け入れられなかった「リンカーン・ブラックウッド」の後継車として市場に登場し、最初はちょっと売れたけど、2005年〜2008年でアメリカ・カナダでの販売が終了した「リンカーン・マークLT」。結局は市場に受け要られなかったところも「許されざる者」にぴったりだったのかもしれない。

ちなみにこの車、燃費性能はリッターあたり5kmぐらいとのこと。ガソリンタンクの容量が100L以上あるようなので、主人公は出発時に一度給油すればギリギリ行って帰ってこれたんじゃないか、と推測する。豪快な大食漢的な車であることには変わりない。

車について、もうひとつ。前回の感想でも印象的な場面で日産車が登場することに触れたが、メキシコでは日産がトップシェアをもっている、というのもなにかを象徴しているような気がする。Amazon倉庫のようなシビアなルールを押し付けてくるメキシコ人がアメリカ人を抑圧する悪夢的ななにかなのか。

結局、この映画を『グラン・トリノ』の変奏として考える気持ちが強くなっている、ということなのだが、『グラン・トリノ』が現実と退治した結果、聖人のように殉死したアメリカが結果として賛美されるような終幕を迎えるのに対して、「シャバ = 現実」から拒絶された男の末路として受け取ることもできる『運び屋』では、明らかに現実のほうが強さをもっている。

この「変化」を『アメリカン・スナイパー』における「現実の強さ」が『グラン・トリノ』に混入した結果として理解してみたい。つまり、社会派映画の顔をしながら実際のところ、イラク戦争を舞台にした西部劇になっていた『アメリカン・スナイパー』(主演のブラッドリー・クーパーは『運び屋』でも、フィクション性の強い麻薬捜査官を演じている)の主人公が射殺される前触れのなさは、現実界における「意味がない無意味」への接触なのである。

一方で、フィクションがリアルに触れることでいきなり断絶されてしまうその唐突さは『運び屋』にはない。これもまた夢から醒めても、夢が途端に死んでしまうわけではない現実の姿のひとつなのか。

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