インシデンツ(3)

ある日の午後、ぼくが冷凍パスタをレンジで温めながら、ブルックナーの交響曲第八番を聴いていると電話がかかってきた。ちょうど四楽章のオーケストラ全体が強烈な推進力をもって前進するような楽想の箇所だ。野蛮さと荘厳さが共存した音楽に、電子レンジの低い唸り声とiPhoneの着信音が入り混じり、音響的な混沌がキッチンに訪れる。ブルックナーを一時停止して電話に出る。
画面には神田さんの名前が表示されていた。
「こないだは、おつかれさま。無事リリースできて良かったよ」と神田さんは言った。
「ありがとうございます。神田さんこそ大丈夫ですか? まだなにも社内で通知出てないですけど、会社やめるんですよね」
「そう。ま、正確にはやめさせられるって感じだけどね。良いよ、それは。もう社長のやり方では難しいなって思ってたしさ。野原ちゃんはどうするの? いまカラダは空いてるって聞いたけど」
「ぼくもちょっとこの会社はまずいかな、と思って転職活動進めてます」「じゃあ、ちょうど良かった。その件で飲みながら話をしようよ」「それが良い話なら聞きますよ」
場所と時間を決めると、電話は切れた。もうバスタは解凍し終わっていて、キッチンが静寂で包まれる。良い話が向こうからやってくるパターンと、こちらから探しにいくパターンがある。こないだの転職は自分から探しにいって失敗した。次は来たものを迎えてあげるのも良いかもしれない。

三日後の夕方、渋谷の東急本店の前で待ち合わせた神田さんは以前よりもずっと顔が丸くなっていた。サン・セバスチャンを満喫してきたらしい。

「飯がとにかく美味くてさ。九日間いたらおかげで四キロも太っちゃったよ」と言って突き出た腹をさすった。「野原ちゃんも、なんか焼けてるじゃん。もう夏も終わったのに」
「こないだのプロジェクトで毎食コンビニ飯でしょ、さらに夜食も食ってたら太っちゃって。走って身体を鍛えなおそうとしてるんです」
「ストイックだねえ」

神田さんは茶色の生地に波の上を踊るカジキマグロが無数にプリントされた長袖のアロハシャツにブルーのジーンズを履いていた。カタギとはちょっと違う仕事をしているオジサンという雰囲気だ。若者があまり足を踏み入れない松濤の路地がしっくりとくる。神田さんは、店先に「おでん」と手書きの看板を出しているバーのドアをくぐっていく。馴染みの店らしい。カウンターが四席と小さなカウンターテーブルが三つ置かれた小さな店だ。早い時間だったせいか他の客はまだだれもいない。カウンターには店主が買い出しから戻ってきたあとのスーパーのビニール袋がまだそのまま置かれていた。冷蔵庫では日本酒の一升瓶が八本冷やされている。おでんと日本酒を目玉としたバーらしい。店の奥にはターンテーブルが二台とミキサーが大きく場所を取っていて、小さな音でディアンジェロが流れていた。

「神田さん、こんな洒落たところで飲んでるんですか。意外」
「失礼だねえ、わたしもいい年なんだからいろいろ店は知ってますよ」と言って神田さんは笑う。
「とりあえず、先に飲みましょうよ。大事な話はあとで」

ぼくらは生ビールを飲み、すぐに日本酒に移行した。頼んでいたおでんの盛り合わせがテーブルに置かれる。おでんの季節にはまだ早かったが、天然素材でとったダシを毎日継ぎたしているというそのつゆの香りは食欲をそそった。がんもどきを口にいれるとつゆが口に広がり、塩気が舌にやわらかく届く。日本酒は八海山が秋口にだしている生原酒を二年間酒屋で低温貯蔵したものらしい。度数の高さからくるトゲが熟成によっておだやかになり飲みやすくなっている。

「ところで仕事の話なんだけどさ」
神田さんが話しはじめた。
「実は、スペインから帰ってきてすぐに次の会社を探してたんだ。今の社長みたいなやりかたじゃ、みんな疲れちゃって続かないでしょ?」
「そうですね。実際ぼくも辞めるつもりだし。保険に強い人もほとんどいなければ、技術者も外部調達じゃ、会社としての強みがまったくないですよ」「おっしゃるとおり。だから、わたしも独立するか、別な会社に良い人たちを引き連れて移籍しちゃおうかと思って」
「だれか会社で他に声かけてるんですか?」
「いや、野原ちゃんぐらいしか声をかけられる相手がいないから困っちゃうんだよ」と神田さんは苦笑いをした。「まあ、でも独立は色々と面倒だし、仕事は好きだけど経営のことなんかやりたくないからさ。もっと自由に働けそうな移籍先をいま探してるんだよね」
「良い会社ありました?」
「うん。ふたつぐらいでてきた。そのひとつに一緒に連れてきたい人がいるって話をしたら、是非ってことで。どうかな? 野原ちゃんも会ってみない?」

その晩に紹介されたのが張本さんの会社だった。ちょうどぼくが地獄の大炎上に苦しんでいる頃に中堅どころのITコンサルティング・ファームから独立して作られた会社らしい。
「社長の張本さんは、まだ若いけど、しっかりとした考えをもっていて良い経営者だと思うよ。少なくとも変な仕事のとり方はしなさそうだ」と神田さんは言った。
ぼくのことは保険業界のことをよくわかっていて、タフで、仕事ができる優秀な人物だと紹介してくれているらしい。「良いことを吹き込んでおいたから、今よりもずっといい条件がでるはずだよ」と神田さんは付け加えた。


ぼくはその会社を受けてみることにした。

張本さんが創業したルバート・コンサルティングのオフィスは麻布十番のレンタル・オフィスにあった。受付の女性に名前と訪問する会社名を伝えると張本さん自ら出迎えてくれた。オフィスを借りている会社が自由に使えるラウンジ・スペースに案内される。フローリングには無垢材風のウォルナット色の床材が使われていて、天井にはシャンデリアがぶら下げてある。ラウンジには白い大理石の天板を使った大きなテーブルのほかに、ダークブラウン革のひとりがけソファがいくつか置かれていた。あちこちに和洋を混在してオブジェが飾られている。招き猫のとなりにインコの剥製やフランス人形、さらにとなりにはこけし。オシャレなんだろうか? アートっぽい雰囲気はあるが、なんとなく落ち着かない。
各会社のオフィス・スペースはくもりガラスで仕切られた部屋になっている。そのひとつから背の高いドレッドヘアの黒人男性が、ヘッドセットで通話をしながらでてきた。フランス語だ。彼はラウンジにあるコーヒー・ベンダーでコーヒーを淹れながらよく通る声で早口にまくし立てた。

張本さんはぼくよりも三つ上と聞いていた。ブラックのデニムに、グレーの無地のTシャツ、ブラックのジャケットを着ていた。ジャケットのラペルにはガイコツの顔をしたウサギと、バッテンの形をした骨のマークがはいっている。どれも少しタイトなサイズを選んでいてスマートに見える。へその下あたりでゴールドに光るバックルにはクリスチャン・ディオールの意匠が入っていた。ゴルフ焼けだろうか、適度に日焼けしていて締まった身体は健康的だ。腕時計はウブロのクロノグラフ。長めの髪を七三で分けて額を出している。端正な顔立ち。若くして成功した経営者、というよりは引退後も仕事に恵まれている幸せな元・サッカー選手みたいに見えた。日本代表でもプレーした宮本恒靖に少し似ている。二〇〇二年の日韓ワールドカップ。マスクマン。ぼくは高校二年生だった。
「お、良い時計してますね」と張本さんがぼくの左腕にはめられていたオメガに気づく(三ヶ月分の一五〇時間超の超過勤務手当で買ったものだ)。笑顔。整った歯並びが見える。定期的にホワイトニングをしていそうな白い歯だ。
「こないだまとまったお金が急に入ったものですから。あぶく銭みたいなものだと思って買っちゃいました」とぼくは答える。笑顔。
ぼくは少し汗をかいている。自分をよく見せるためにスリー・ピースのスーツを着ていたせいもある。濃いネイビーのスリー・ピースで、髪をオールバックで固めるのがぼくの勝負スタイルだった。少し暑い。しかし汗の理由はそれだけではなかった。張本さんを前にして緊張していたのだ。面接の前には多少は緊張するものだが、いつもよりもその度合いが大きい、というか、緊張の種類が違う。

「こないだのプロジェクト、大変だったそうですね」
張本さんはすでにこの夏に過酷な目にあっていたことを聞いているようだった。

「スーツを着ない主義ですか?」とぼくは訊ねた。
「お客さんのところにいくときはスーツですけど、社内では基本こんな感じですよ。これでも今日はかしこまってるほうかな。普段はもっとラフですね。なんかスーツを着ると怖いっていう社内の人間がいるんですよ」
「わかる気がします」と小さな声でぼくは言った。
なぜだろう? 成功者特有の自信が張本さんからは放たれているのかもしれない。自分の矮小さを自覚させられる存在感・圧迫感。相手に気付かれないように、自分のスーツが変に着崩れていないかチェックする。ジャケットのフラップが右側だけでていることに気づき直す。パンツの後ろ側にあるポケットからハンカチを出して、額の汗を拭く。

「大丈夫ですか? なんかめっちゃ汗かいてますけど」
張本さんの声が少し曇り、怪訝な顔でぼくの顔を覗いた。ラウンジの奥から女性がやってきてぼくの前に水の入ったペットボトルを置いた。

ぼくらはまず、お互いにこれまでの経歴について話をした。それから張本さんが会社を設立した思い、そしてぼくがいまの会社に対して思っていること、これからやりたいと思っていること。良い印象は残せたと思う。張本さんは膝の上にiPadを載せて、ぼくの職務経歴書を見ながら話していた。
前の会社ではかなりの給料をもらっていた、と張本さんは言う。
「ぼくね、前の会社にあのままいたら二年後に契約上は年俸二億になっていたはずなんですよ」
二億。引退したサッカー選手どころか現役のサッカー選手ですらなかなか手が届かない数字だ。Jリーガーなら日本代表選手レベルだろう。宮本恒靖の顔がふたたび脳裏をよぎる。
「もったいないとは思わなかったですか」
「お金に執着がないんですよね。それよりも自分で会社を興して、やりたいことにチャレンジしたかった、っていうかね。あと自分で経営をやったらもっと稼げる自信もあったしね」
金銭的な余裕ができまくった結果、お金から自由になった人間からしか出てこない言葉だ。

「やりたいことってなんだったんですか?」
「いろいろとありますけどね。ひとつはコンサルティング事業だけじゃない複数の事業を持つことですね。コンサルって結局はクライアントのビジネスをサポートするだけであって、自分たちでビジネスを回すわけじゃないじゃないですか。だから、いろいろと限界もあるな、って。もしかしたら前職でもビジネスを立ち上げられたかもしれないですけど、前職は上場したこともあって株主に色々言われるわけですよ。経営陣も株主を意識してる。ぼくは三年ぐらい役員の立場にいましたけど、なかなか意見も通らなくなって、ちょっと息苦しくなってしまって」
なるほど、と思う。仕事に関してやりたいことはぼくにはない。

学生の頃は本を作るか、書く仕事がしたかった。でも、そういう機会には恵まれなかった。今のぼくは、やりたくないが、できることをやって日銭を稼ぐサラリーマンに過ぎない。しかし「やりたいことはとくにないです」とは正直に言えない。消極的な印象を持たれてしまう。自分の欲求を正直に話せば「働かずに好きなことだけ暮らしたい」の一言で終わってしまう。その正直さも面接の場では不適切だ。相手が納得するロジックをもった働く理由(働きたい理由)を作り上げる必要がある。相手もその説明からその人のロジカルな説明力を評価している。

「今の会社はどうですか? きっと不満があるから転職活動をしているんだと思いますけど」
今度は張本さんが訊ねる。来た、と思う。《コネでろくでもない仕事をとってきて自分は高みの見物を決め込んでるだけのバカ社長に振り回されるクソ会社、一刻も早く潰れたら良いと思うし、辞めたいと思いますよね》とは言わない。ぼくは言葉を選びながら説明をはじめる。
「良い会社だとは言い難いですね。会社の規模や実力に対して見合う仕事ができていないと思います。自分たちの力不足ももちろんあるわけですけれど、経営の責任も大きいです。クライアントの要求に対して応えられない仕事が続くと社員も疲弊しますし続きません。外資でコンサルだから国内のシステム開発会社よりも良いサラリーを出すことはできます。しかしそれで人を集めても、定着しないんじゃ会社にはなにも蓄積されないですよね。成長につながらない。持続可能な成長が組織にも必要なんじゃないかな、と思います」

「そういう状況を変えるためになにができると思いますか?」
「まずは足元を固めながら、人を育てていくことが必要なのかなと思いますね。とくに若いメンバーにぼくがもっているナレッジを学んでもらうことで組織強化への貢献はできると思います。ちょっと今の会社ではそこまでする余裕はなかったですが」

張本さんはうなずきながら聞いている。「ぜひ、弊社でその気持ちを現実化して欲しいですね」とコメントした。話題は流れていく。履歴書に書いてあった趣味の欄の「読書」について聞かれる。

「最近どんな本を読んでるんですか」。
少し迷って正直に答える。
「ジャック・ラカンの本ですね。もっとも難しすぎてほとんど内容はわからないんですが」
「ラカン……」
「ジャック・ラカン、フランスの精神分析家です」
「精神分析?」
「フロイトはわかりますか? 無意識とか、リビドーとか。精神分析はフロイトが考案した精神疾患の治療です。精神分析家は、患者の話を聞いてそれを解釈し、そのやりとりのなかで無意識のなかにある不調の原因に気づき、治療にもっていく、みたいな役割の仕事です」
「カウンセリングみたいなものですか」
「イメージは合ってます。たぶん。ぼくも精神分析のセッションって受けたことないので正確なところはわからないんですが」

少しまずい、と思いはじめる。「メンタル・精神世界に関する本を読んでいる」=「メンタルに不調がある」あるいは「スピリチュアルに関心がある」と誤解される可能性がある。

「ラカンの有名な言葉があります」とぼくは言葉をつなぐ。自分の言葉によって相手の解釈を上書きするために。「人間の欲望は〈他者〉の欲望である」。『エクリ』の邦訳では三巻で出てくるラカンの遺した言葉のなかでは最も有名な言葉だ。Man's Desire is the Other's desire.

「よくわからないですね。他人が欲しがっているものが欲しくなるということですか?」
「それも関係します。しかし、もう少しラカンの真意に迫るならば、赤ん坊が自分の欲望を習得するプロセスから説明する必要があります」と言ってぼくは言葉を区切る。ペットボトルの水を飲む。

「赤ん坊は自分がなにを求めているのか、言葉で説明することができませんよね? おむつが濡れていて気持ち悪いのか、お腹が減っているのか、それともただ単に眠いのか。なにかをしてほしい欲求はあるのに赤ん坊自身にも自分がなにをしてほしいのかがわかっていない。赤ん坊がまだ言語を習得していないから、欲求を具体化して捉えることができないのです。だから泣いて自分のなかになにか欲求が生じていることを伝えることしかできない。
その泣き声を聞いて、大人は解釈をするわけです。おしっこをしたのかしら、ミルクが足りていないのかしら、横になって休みたいのかしら……と。大人の解釈、つまりは大人の、他者の言葉を経て、赤ん坊の欲求は満たされることになる。このプロセスを経ることで赤ん坊は自分が欲しているものを学ぶことができます。自らの欲求が〈他者〉の欲望へと転換されることによって。
あるいは子供は実に大人たちにさまざまな要求をされます。大人の都合にあわせて、あんなマナーやこんなふるまいを身に着けてほしいだとか、成長したらこんな大人になってほしいだとか。これもまた他者の欲望が、自分の欲望の動機となることです。多くの人は成長するに従って次第に大人の欲望から離れて自分自身の欲望を持てるようになっていく。正確には、自分の欲望の動機が他者の欲望であったとしても、それは問題にならない」

張本さんの顔をじっと見つめる。なんの話をされているのかわからないという顔をしている。

「これは実はコンサルの仕事にも繋がります」

張本さんの瞳を覗き込む。わずかに瞳孔が収縮するのが見える。もうぼくは緊張していない。

「ラカンは神経症の要因のひとつに患者の欲望が〈他者〉へと過度に固着してしまっていることをあげています。〈他者〉の欲望へと主体が縛り付けられている。わかりやすく表現すれば、他者が自分になにをしてほしいのかを気にするあまり、自分がなにをするべきなのか、自分がなにをしたいのかわからなくなっている状況です。なにかをしたい気持ちはあるのに、なにかをしなくてはならないのに、なにをするべきかわからない。それが心の不調を生むのだと。
こうした神経症患者の状況は、コンサルにすがろうとするクライアントの姿そのものだとぼくは考えています。クライアント、奇しくも精神分析でも患者をクライアントと呼びますが、彼らは〈他者〉……この場合はその顧客であったり、うるさい役員や上司かもしれません……が何をしてほしいのか、何が欲しいのかがわからなくて困っている。この縛り付けられた状態を外側から揺さぶりをかけることこそ、コンサルタントの仕事だとぼくは考えています」

ラウンジの奥からさっき水を運んできた女性がでてくる。ベージュ色のトレンチ・コートをキレイに畳んで腕に抱えている。もう帰宅するのだろう。去り際に「おつかれさまです」と張本さんに声をかけて帰っていく。張本さんの目が一瞬そっちに向き、そして咳払いをする。

「むずかしいですね。いや、むずかしいのかな? わからなくなってきた。ぼくもこの業界は長いけど、そんなことを考えながら仕事をしたことはないな。こっちの提案が刺さるか、刺さらないか、いつもそういうシンプルなことを考えてきた気がする」
《解釈は真か偽か、正しいか間違っているかよりもむしろ、生産的か否かが問題である》とフロイトは考えていました。コンサルによる提案は精神分析家による解釈と同義です。刺さらなかった、つまり、間違えた解釈をおこなったとしても、その間違えた解釈によってクライアント自らが何らかの気づきを得られるかもしれない。それが解釈の生産性です。重要なのは正誤ではありません」

「ふむ」

張本さんは両手を組み合わせ、手のひらのあいだにある空気を揉むようにしながら考えているようだった。張本さんの左腕のウブロで時間を見る。すでに約束の一時間を過ぎている。

「ねえ、野原さん。この後も時間って大丈夫ですか? もう少しお酒でも飲みながら話を伺いたいんですが、もし都合が良ければ」と張本さんは言った。


麻布十番で飲むことになるなんて何年ぶりだろう、というか、ほとんどはじめてかもしれない。縁が薄い場所だった。保険会社に勤めているときは丸の内か、あるいは郊外にあるシステムセンターで働いていた。港区は遠い。時間は一九時を過ぎている。フレンチ・ビストロやイタリアン・バルのガラス窓から電球色の光が漏れ、なかでは腕まくりをしたシャツから鍛えた二の腕を見せつけるようにしている男性が細長いビール・グラスを掴み、連れの女性を熱心に口説いているのが目に入る。ゴールドジムに通う外資金融エリート営業マン対港区女子(婚活中でトイプードルにココとかシャネルとかって名前をつけそうなタイプ)的な構図。

やれやれ、これが「東京カレンダー」的な世界か、と思う。

「すぐそこなんで」
オフィスが入っているビルを出て、すぐ近くの雑居ビルに入っていく。エレベーターに乗って三階に上がると金属製の重い防音ドアがある。店の看板はでていない。
「ここね、会員制なんで。静かに話したいときは、いつもここなんです」
また、バーだ、と思う。内装のセンスには、オフィスのラウンジに近しいものを感じる。薄暗い照明のなかでアメリカンブラックチェリーの無垢材を使ったL字のカウンターと革張りのチェアが見える。カウンターには秋の草原を模した生花が飾ってあった。店の奥には壁際に西洋の甲冑のオブジェが屹立し、広くはない店の空間を圧迫している。和モダン・ミーツ・ゴシック。そういう世界観が張本さんの趣味なのかもしれない。八つある席にはすでに二組の客が座っていた。いずれも男女の二人組だ。
片方のカップルの男の方はロレックスのサブマリーナをしたスポーツマン・タイプの中年。もう片方の組の男はジャガー・ルクルトのレベルソをつけた初老の男。二人は張本さんの姿を同じタイミングで認めると同じタイミングで会釈をする。三人の機械式時計をつけた男の動きがシンクロする。早い時間から飲んでいたらしい。サブマリーナの席にあった赤ワインのボトルはもう半分ぐらいまで減っていたし、レベルソのほうのシャンパンクーラーの結露がカウンターを濡らしている。いずれも自分よりかなり年下の女性を連れている。男がなにかを言うたびに、女は口元を隠して笑う。囁くようなファルセットの声が流れている。マックスウェルだ。髪を短く刈り揃えたマックスウェルが黒いスーツに身を包んでいるジャケットの写真を思い出す。張本さんはビールを二つ頼んだ。

スタッフは二人いた。白いシャツにジレ、蝶ネクタイみたいなクラシカルなバーテンダーのスタイルではない。バーテンダーというよりもワインの醸造家が着るようなデニムのエプロンをユニフォームにしている。和モダン・ミーツ・ゴシックのなかでカジュアルダウンされたスタッフの服装はやや統一感を欠いている。そもそも和モダンとゴシックがミーツするのか、という問題がある。統一感に欠ける世界観は不信を生む。いつだったか、妻と渋谷のスペイン料理の店に入ったときのことを思い出す。本場スペイン風を模した内装に、百円ショップで売っているようなカトラリー、という店だった。嫌な予感がしたし、実際にその店の料理は値段と内装の雰囲気に対してのバランスがすこぶる悪かった。
一人は短く切った金髪を整髪料で立ち上げている。二〇〇二年の日韓ワールドカップの稲本に似ている。ベルギー戦。稲本がハーフウェイラインで相手ボールを素早く奪う。そのこぼれ球を拾った味方からのパスが前にでる。それを稲本が受ける。中央にいる相手DFをかわす。実況のアナウンサーが叫ぶ。叫ぶ、というか、叫びながら祈っている。ネットにボールを突き刺す。走りながら人差し指で観客席を、そして自分自身を指す。ぼくは高校二年生だった。

もう一人はサッカー選手には似ていない。三代続く肉屋の若主人のような佇まいをしている。

「ここね、ちょっと変わった雰囲気あるでしょ。でも、ちゃんとした店ですから」と小声で張本さんが言う。
不安を見透かされている。《稲本》は冷蔵庫から取り出したごく薄い吹きガラスのタンブラーにビールを注いだ。三度に分けてきめ細かい泡を作る。ビール・メーカーの研修を受けた手付きだ。なるほど、と思う。
「お腹、減っていますか?」と張本さんが訊ねる。彼は《稲本》が運んできたビールに口をつけている。唇の先についたシルキーな泡を舌の先でなめとる。
「ええ、そうですね。普通に空いてます」

本当は、とても空いている。面談の最後に緊張を忘れるぐらい饒舌に話したせいだ。ビールの炭酸も胃を刺激していた。キリンのハートランド。キリン直営のビアホールか、厳しい基準をクリアしたキリンマイスター認定を受けた店舗にしか生ビールサーバー用のタンクを卸していないプレミアム・ビールだ。ホップの苦味と香りのバランスに優れている。

「チーズは大丈夫ですか?」と張本さんが再び質問する。
「好きですね。なんでも大丈夫です。ヤギの結構キツいやつでも大好きです」と答える。
「そっか、良かった」

「じゃあ、いつもの感じで」と張本さんは《稲本》に伝えて、ワイン・リストを眺めはじめる。「ここ、チーズのパスタがめちゃくちゃうまいんですよ」。《稲本》が丸いシルバーの皿に盛られたサラミやハモン・セラーノ、オリーブを運んできて、ぼくたちの席に置く。ハモン・セラーノは原木からごく薄くスライスされている。技術がわかる薄さだ。カウンターの奥には客席から見えないところに小さなキッチン・スペースがある。《肉屋》がそこに入っていく。
「野原さんは結構飲む方ですか?」
「飲みますね、酒はなんでも好きですよ」
「じゃあ、ワインも詳しかったり?」
「好きで飲んでるだけなので人並みには知ってるって感じですかね。ワイン・スクールに通ったりとか、そこまで情熱的に勉強したわけじゃないです」
「え、じゃあ、野原さんが選んでくださいよ。ぼく、こういう店、仕事ではよく使うんですけど、実は全然ワインとか詳しくないんですよ」

張本さんが笑いながらリストを手渡してくる。ビールを飲んでリラックスしはじめたのか、イントネーションのなかに関西の響きが混じっていることに気づく。語のアクセントが急にあがる瞬間がある。出身地の話は聞いていなかったが関西の生まれなのだろう。
「ボトルを頼むのは量的にもキツそうなのでグラスで良いですか?」とぼくは言う。
「グラスはリストの一番最初に手書きで入ってる紙です。今日は白と赤三種類ずつとシャンパーニュが一種類出てますね」と《稲本》が口を挟んだ。赤はカリフォルニアのジンファンデル、南アフリカのピノタージュ、南仏のシラーが並んでいる。

「赤だったらどういうのが好きですか?」
「……わかんないな、あんまりそういうの気にして飲んでないんですよ。でも、飲みやすいやつかな」
「このジンファンデルはどういう感じですか?」とぼくは《稲本》に訊く。「ソノマバレーの畑のブドウで、ライトなタイプのものですね。アルコール度数をかなり抑えて作ってます。フレッシュで飲みやすいと思いますよ」「じゃあ、それをグラスで二つ」

「なんとかバレーってなんですか?」と張本さんが訊く。ワインの講釈めいた話になる。カリフォルニアの有名なブドウの生産地で、もうひとつ有名な生産地にはナパバレーがある。ジンファンデルはカリフォルニアを代表する赤ワイン用のブドウ品種で……。ぼくが知っている話を答える。自分よりも詳しいであろう《稲本》の前で知識を語るのがやや恥ずかしい。
「ソノマもまた場所によっていろいろ区分けがあるみたいですが、そこまではわからないです」

《稲本》が注いだジンファンデルを口に含む。引き締まった酸が口内に広がり、少しスパイスのような風味が残る。いいワインだ、と思う。それに提供される温度が適切だ。ボトルに書かれたアルコール度数は一三.五%とある。白ワインと赤ワインの中間ぐらいの温度にしてある。
「これ、うまいですね。飲みやすい」と張本さんが感想を述べる。素直な人だ、と思う。若くしてコンサルタントとして成功し、会社を立ち上げた経歴だけ聞くと、強権的な男性らしいリーダーを想像してしまうが、張本さんにはそういういかついところがない。それとは真逆の人懐っこさがある。
「野原さんって、あれですよね、知識の範囲が広いと言うか、勉強家っていうか。普通の人は読まないような本も読んでるし」

しばらくしてキッチン・スペースから《肉屋》がパスタの皿を運んでくる。タリアテッレにペコリーノ・チーズを使ったクリームのソースがよく絡んでいる。「トリュフのカチョエペペです」と言って仕上げに《肉屋》が黒トリュフを削ってパスタの上に振りかけた。
「あ〜、これ、めちゃめちゃこのワインと合うわ」と張本さんが独り言のように言う。《肉屋》がその様子に目を細める。
職業的な面接の会話から離れて、プライベートの情報を交換するようなやりとりがあった。

お互いに共通点はほとんどなかった。唯一近しいところがあれば、子供の年齢が近いぐらいだった。張本さんは育児も家事も自分でほとんどやらない、洗濯機の使い方もわからないと言っていた。妻は自分の会社の事務役として働いてもらっている。共働きなのに今どきそういう父親もありえるのか、とぼくは感心した。趣味らしいものも特別ない。仕事仲間や部下とゴルフをするぐらいがせめてのレジャーで、休日も仕事が思いつけばできるだけ働く。映画にも音楽にも本にも興味がない。仕事の成功だけが自分の自己実現に結びついているタイプ。ぼくの自己実現はまったく仕事とは結びついていない。

「さっき、精神分析の話がありましたけど、ほかにはどんな本を読むんですか?」と張本さんは訊いた。張本さんはソノマのワインをゆっくりと二杯飲み、梨のフレッシュジュースを使ったカクテルを飲んでいた。
「歴史とか、哲学の本ですかね。小説はもうあまり読まなくなっちゃいました」
「歴史……たとえば?」
「ちょっと前に読んだ本だと、韓国の現代史に関しての本が良かったですよ。これだけ距離的に近くて、K-Popとかもめちゃくちゃ流行ってるじゃないですか。なのに韓国のことって知らないな、と思って読んだんです。めちゃくちゃ面白かったですね。韓国が民主化されたのってかなり最近のことだって改めて知ったし、朝鮮戦争前の左右の対立では済州島って島で虐殺事件みたいなのが起こっている」
「ああ、済州島ね。そこ、ぼくのおふくろのルーツなんですよ」と張本さんが言う。

あ、と思った。

完全に迂闊だった、と思う。「張本」って、そういう苗字じゃん、ってなんで今まで気が付かなかったのか、と焦りはじめた。国籍とか差別とか、そういう微妙なトピックが脳裏を高速で駆け抜けていく。急にプライベートの深すぎる部分に踏み込んでしまったのではないか、という不安。ギアの操作を間違えて、いきなり変なポジションに入れてしまった感じ。

そういうのっていきなり聞いちゃって良いんですっけ。

張本さんにはとくに気にする様子もなく「ぼくのおふくろってね……」と話を続けた。


太平洋戦争における日本の敗戦後、朝鮮半島は米ソによって分割され信託統治下におかれる。三八度線によって引かれた境界線は、政治的な勢力図が反映されていたわけではない。三八度線以南においてはむしろ農地改革を主張する左派が優勢であった……にも関わらず、権力を握っていたのは親米的な右派勢力というねじれが生じる。米軍政の後ろ盾をもった少数派の右派と、日本からの解放直後にアメリカによる支配がはじまったことに対して違和をもっていた左派との対立は、コレラの流行などによる市民生活の悪化に伴って激化し、一九四六年、十月抗争とよばれる事件に発展する。多数の死傷者を出したこの事件から左派への弾圧は熾烈を極める。

一方で済州島だ。済州島も左派が支配的だったが、かの地の人民委員会は進駐していた米軍とも有効的な関係を持っていた。島民たちの多くが日本への滞在経験をもち、教育水準が高かったらしい。島の自立を志向し、半島内での十月抗争にも与しなかった。この穏便かつ独立的な動きが、逆説的に、この島を「アカの島」として印象づけることとなる。次第に右派と米軍政の反共的な矛先は済州島へと向かう。一九四七年、三・一独立運動の記念集会において本土から派遣されていた警察隊が住民へ発泡し、一〇名以上の死者をだす。これが本土における左右対立の構図を済州島へと感染させる。米軍政と島民の関係性は一気に冷却化し、直後に全島規模でのストライキが起こる。軍政はこれを本土からのさらなる応援部隊をもって鎮圧する。

暴力の連鎖がはじまっていく。

本土の右派と米軍政は極右組織をも島へと呼び込む。彼らは島民を恐喝し、脅迫し、弱い存在を犯した。国際的な米ソ対立の高まりもこの波乱に影響している。
一九四八年、四月三日、虐げられていた島民たちが用意できる限りのか細い武具……旧式のライフルや敗走した日本兵が置いていった刀、それから自作の竹槍……をもって武装蜂起し、警察や右翼関係者の自宅を襲撃する。権力の横暴に対する自衛的な暴力。四・三事件と名付けられるこの事件は、その後、八月に成立したばかりの大韓民国政府にとっても大きな課題として認識される。済州島の左派勢力を全面的に討伐することが、三八度線以南の政府の正当性を担保するものとして目的化される。済州島の焦土化が目指される。
こうした混乱の中、済州島から日本へと逃れた島民たちが数多くいた。そのなかに張本さんの母親の両親、つまりは彼の祖父母もいたということらしい。張本さんの母親は、大阪の鶴橋で生まれている。関西屈指のコリアンタウンだ。張本さんもそこで生まれ育っている。


張本さんのルーツに関する話はなにごともなかったように終わり、また話題が移り変わっていく。張本さんは自分の会社をどうしていきたいかを再び熱を込めて話していた。「日本の経済がこの二〇年以上元気がないじゃないですか。ぼくはこの会社からITでそういう状況を変えられる人材を育てたいと思っているんですよ」。うなずきながらぼくは話を聞いている。しかし、心のなかで「さっきの話は聞いて良かったんだろうか?」という疑問が薄くひっかかりつづけている。揺らされた瓶のなかで古いワインの澱が浮遊するように、晴れない気持ちが滞留していた。

「なんでも好きなのを飲んでええですよ」と張本さんがすすめるのに甘えて、ぼくは話に相槌を打ちながらスパークリングワインを飲み続けていた。量的がキツいと言いながら、結局、ボトルをとってしまった。値段の張るシャンパーニュではなく、スペイン産のカヴァを選ぶ。せめてもの遠慮だ。ブリュット・ナチュレ。シャンパーニュと同じ瓶内で二次発酵をさせながら糖分の添加をおこなわないタイプ。アルコール度数は一一%とかなり低く、炭酸水のように喉を通っていく。「これも飲みやすいですね!」と張本さんは驚いていた。赤ワインからスパークリングへ移行するのはセオリーから外れるが、赤ワインで深みにはまるような良い方をするよりも、泡で軽やかになりたかった。《すべてはシャンパンの泡のせい!》。オペレッタのメロディが高らかに頭のなかで鳴り響く。


気がつくと二三時を過ぎていた。

「そろそろ帰りましょうか、いま車を呼びますから」


張本さんもかなり飲んでいたが、喋り方ははっきりしている。ポケットからiPhoneを取り出して、迷いのない手つきで画面上に指を滑らせた。アプリでタクシーを呼んだのだろう。iPhoneの背面には革製のカバーがついている。格子柄に編まれた牛の革は、イタリアのトマトみたいな色で染められていた。ジャケットの内ポケットからカード入れを取り出し、張本さんが素早く支払いを済ませた。こちらが財布をだす隙も与えなかった。
バットマンにでてくる乗り物のように光を吸い込むマットな黒色のクレジット・カードを《稲本》に手渡す。伝票をもって戻ってきた手元のボールペンには、キャップのところにモンブランのマークがあしらわれていた。麻布十番の会員制バーは、サイン用のボールペンさえも高級品なのだ。感熱紙のうえにひどく崩されたアルファベット(のような線)がなめからに書かれる。ペンの重さとレジンのぬるい触感を錯覚する。

《稲本》がカウンターの奥から新しく水の入ったグラスを出してくれる。張本さんはそれに口をつけながら、先週いったゴルフの話をはじめた。隙間を埋めるための会話だ。意味はない。ほどなくして、カウンターに置かれた張本さんのiPhoneが鳴った。画面側を反対にしてカウンターに置かれていたiPhoneをひっくり返して、表示された内容を一瞥する。iPhoneのバックライトが手首に残っているグローブ焼けのあとを照らす。
「車、もうすぐつくみたいだから、出ましょう」

外で車を待つ間、張本さんは通りを走る車を眺めていた。つられてぼくもその視線の先に目をあわせる。張本さんには呼んだ車がどちらから来るのかわかっているようだった。通りにはほとんどタクシーしか走っていない。その多くが個人タクシーで日本の高級セダンだった。《翌朝の疲れが違いますよ》。神田さんのアドバイスを思い出す。

そのとき、テスラのスポーツ・モデルがこちらに近づいてくるのが目に入った。色はライトボディのピノ・ノワールのような赤。継ぎ目がほとんどないデザインはコンセプト・カーがそのまま市販されているみたいだった。フロントグリルは車のデザインを決める重要な部分だが、テスラはそれを極小にすることでデザインのオリジナリティを印象づけ、他の車との差異を印象づける。

フロント・グリル=〈穴〉の不在、いや、〈穴〉を充填すること。〈穴〉の周囲で回転する四つの車輪。意味の回転。ラカン的に思える。スラヴォイ・ジジェクならなんと言うだろう。

大通りを走る車のロード・ノイズで、テスラのモーターの音はほとんどかき消されている。静かに、道路を滑るように走る。テスラはぼくらに近づくとハザード・ランプを点滅させながらスピードを落としていく。

テスラのタクシー? まさか。

いや、そういうタクシーもあるのかもしれない。なにしろ、差別化をしないと生き残れない時代だ。トランク・ルームに真空管アンプとレコード・プレイヤーを積んだタクシーをニュースで見たことがある。テスラの二ドア車で営業をするタクシー・ドライバーがいてもおかしくない。時速一〇〇キロメートルまで瞬時に加速するパワーと、モーター駆動によって担保された静粛性はひょっとするとタクシー営業に向いているのかもしれない。

ワインレッドのテスラは張本さんの前に止まった。

(続く)


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