アメリカに1年行くきっかけになった2週間のアメリカ旅行。(大学1~2年時代)

今、僕はハレにいる。猛烈に、アメリカのことを文章にまとめたくなった。
(2020.06.21に作成。下書きに残ったままだったので、投稿。)

僕は、とくにあれがしたい!これがしたい!という欲がそんなになく、ただバイトをしていた。スキューバダイビングやフットサル、バスケなどのサークルを覗くも、ワクワクせず数回行ったっきり。そんな2014年8月(当時大学2年生)のある日、幼なじみとアメリカの話題になった。急に行きたくなったのだ。当時、僕は今以上に1人では絶対に行けなかった。同じタイミングで、「W」と「R」もそれぞれの理由で、行きたいということになり、じゃあ行こう!となった。僕は従姉妹がいるからとバイトで稼いだお金があったから。「W」は、少年時代にいったアメリカにもう一度行ってみたい。「R」は、スケボーの師匠とセッションしたい。それぞれ理由があった。

そんな従姉妹の住んでいるアメリカ・サンディエゴに幼なじみと3人で2週間旅行をした。1人目は後にこの旅きっかけで世界一周をした男「W」と、現在スケーターとしてロサンゼルスに在住中の「R」だ。今は年に1度合うか合わないか。今考えると、すごい贅沢だなと感じるが、JALの高い便をHISで予約したことを覚えている。当時は、初めての経験なこともあって、怖かったんだと思う。

出発前は、夜な夜なガストに集まり何をしたいかなどプランを考えたり語り合った。とても楽しかった。

そして2014年8月、当時19歳の僕は、高校生のときにシドニー・オーストラリアに行ったぶりの海外旅行にいったのだ。Rはサーフィンもする奴で、サーフボードなど荷物が多かったので、そいつは車で伊丹まで。僕とWは上本町からバスで、空港まで向かった。車内では友達が持ってきた「地球の歩き方」を読んだりしていた。

そして伊丹空港へ到着。出発ゲートに入る前の椅子で、たしか宮崎に行く予定のおばちゃんに、ふざけた写真を撮ってもらったり、そのおばちゃんと盛り上がったり、トイレでふざけたりしていた。やることは今も変わらない。笑

そして出発。伊丹から直行便だったので、すっとサンディエゴに到着。あったかい!ちょうどいい気候だ!天気いいな〜!と到着して感じたことをよく覚えている。到着口から従姉妹が手を振っていた。久しぶりの再会だ。「まーくん、元気ーー?」と、いつものテンションだった。ハグをして、友達を紹介。駐車場まで向かった。従姉妹が車から紙を取り出してきた。娘たちがウェルカムボードを作ってくれていたのだ!そして写真を取り、従姉妹の家へ。猛烈に眠たかった。そのあとは、何をしたか記憶がない。たぶん、ご飯を食べに行ったのかな?

その期間は、従姉妹とメキシコボーダー付近のアウトレットに行ったり、近所のショッピングモールなど、ショッピングがメイン。あとは、メキシコ料理などご飯を食べた。

ちょっと慣れてきた頃、行ってみたかった「ロサンゼルス」に「W」と行くことになった。カリフォルニア・トーリーパインズの駅まで従姉妹が車で送迎してくれた。ぼくは駅に到着後、とても心臓がばくばくしていた。やばい、これで従姉妹とお別れだ、、、、英語喋れんし、異国の地だし、怖い、、、と感じていた。従姉妹に「チケットがほしいって英語でなんていうの?」ってきいて、その聞いた言葉をひたすらリピートさせたのを覚えている。駅員には「ん?」と言われたと思う。

無事、チケットを購入。駅のホームに向かう。「あれ、どっちがホームだ?」わからなくなったので、ぼくの友達Wがアジア人女性をみつけたので、話しかけた。(僕は当時、勇気がなくて話しかけることができなかった。)すると、現地在住の日本人女性だったのだ。僕はほっとした。今でもSNSでつながっている。僕は成長したとお伝えしたい。笑


・・・・・編集中・・・・

帰国後。。。明るい時間帯に実家のリビングで母に「大学を1年休んで、2015年4月からアメリカにいきたい!」と伝えた。初めはえっ・・。という反応だったが、いってらっしゃいと言ってくれた。そこからの半年間、僕は留学準備や資金稼ぎなどの日々がはじまる。。続きはまた次回書こう。

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