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錦湯さん閉業に思うこと

先月ジャグアタトゥーのレッスン終了後にお邪魔した京都の老舗銭湯のひとつ、錦湯さんが
2022年6月5日をもって閉業となった。

利用した時「遠くない未来そうなってしまうのだろう」と予測はできた。

限りがあるからこそなお、木材や柳行李の経年ぶりや、引き戸の音に至るまで「エモさ」を拾い上げようとアンテナを巡らせた。
とはいえ立地の良さや趣のある佇まいといい、
ポテンシャルの高さは感じられていたので
希望的観測もあったが
まさかひと月も経たないうちにそうなるとは思わなかった。

閉業の報を知ったのは5月の最終週あたりのツイッターだった。

常連はもちろん、遠方のファンも多かったようで
特に6月に入ってからは利用客の惜別の念や、賑わいっぷりを想像させるツイートが目立った

そして行ったことがない人たちの

「行っておけばよかった」

という声も同じく目立った。

これまで通りの供給がなされなくなると知ったとたん
「いつかは」と思っていた人々が駆け込み、
アクセスすることすら困難になり
相対的に価値が高くなる状況がある。

銭湯以外にももちろん。
ヤクルト1000の人気ぶりで購入申込すら受付不可だとか、
半導体不足により入荷の目処が立たない通信機器などとかが最近の例に挙げられる。


お店や施設・商品・サービス・職人・表現者は
「その気になればいつでも行ける。いつか行ける。入手できる。体験できる。見ることができる」
ものではないのだとあらためて思う。
なかでも銭湯・スーパー銭湯は燃料高騰や建物・設備の老朽化などで廃業する施設が年に何件もある。
それだけ新しい施設ができているかといえば全くそうではない。
残存する施設も利用客が流れてきて一時的に需要が高まったとしても、経営者側的に困難な状況が続くことは想像に難くない。
とりわけ一般公衆浴場は。

莫大な臨時収入を得られない限り、一般的な利用客にできることは
「行けるうちに行く」
わかりきったことではあるが、これに限る。

せめて身近にある銭湯は、いざその話が出てきたときに
「行っておけばよかった」と思うことがないように。

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