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The 1975『Notes On A Conditional Form』を聴きながら書いた「81分の日記」

この日記は、The 1975のニューアルバム『Notes On A Conditional Form』を聴きながら書いている。ちょうど今、M1「The 1975」でグレタ・トゥーンベリが自分を通して世界に向けメッセージを投げかけている。だが、ここではそのメッセージについて解説するはしない。そもそも、これは日記で、『Notes On A Conditional Form』のレビュー記事ではないことをわかっていてほしい。

あくまでアルバムを聴きながら、その時思いついたことを綴る。今日5月25日、日本政府は新型コロナウイルスによる緊急事態宣言を解除した。解除されたのは夜のことだが、前日24日からほぼ解除されることが濃厚とされていたのであまり驚きはない。むしろ、朝起きて真っ先に目に飛び込んでくるニュースの多くは、SNS・ネットにおける誹謗中傷の問題、それを受けてコメンテーターや芸能人が自身の考えを述べている。そんな光景を眺めていると、コロナなき世界だったとしても、人は自らの手で滅亡へ向かってるのだと確信した。

M3「The End (Music For Cars」からM4「Frail State Of Mind」へ。

自分は今、俗にいうテレワーク中だ。4月から環境が変わったが、ありがたいことに仕事はある。幸せなことだ、と周りはいう。自分もそう思う。

極力外へは出ない。とはいえ運動不足は気になるので、週末は電車には乗らず最寄り駅から沿線沿いにひたすら歩いている。2〜3時間ぐらい。週末なのでそれなりに人が出歩いている。だが、誰とも話さない。皆マスクをしているし、もちろん自分もしている。

緊急事態宣言が解除され、自分も多くの人と同じくまた普通通り外に出ていくのだろう。だが、きっと「これまで通り」の自分ではないことは確かだ。過去の自分をサンプリングしてアップデートできるだろうか。ちゃんと人の目を見て、社交性を持って、誰かと接することはできるだろうか。社会的距離を保ち、換気や消毒を徹底して、湿度の高い日本の梅雨と夏をマスクをしながら乗り切れるだろうか。やるしかない。けど、不安だ。音楽を聴きながら、当たり前のように都心へ行けるのか。とりあえずイメージトレーニングはしておこうと思う。

M7「Yeah I Know」を経てM8「Then Because She Goes」へ。

この自粛期間中もそれなりに音楽は聴いていた。ただ、これまでは新作にばかり時間を割いていたが、単純に音楽を流していてもいい時間が増えたので、昔よく聴いていた作品や1つのアーティストに絞って聴き込む、なんてことをしていた。トーキング・ヘッズやソニック・ユース、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル、TOTO、ケイト・ブッシュ、プリンス、アシャンティ、コクトー・ツインズ、井上陽水、佐野元春、浜田省吾、尾崎豊、坂本真綾、BAD HOP.......あと、オアシスも。

特に何か大きな発見があったわけじゃない。「この曲やっぱり好きだな」「何度聴いても好きになれないわ」「ようやくフィットしたな、このアルバム」ーー聴きたいから聴こうという純粋無垢な動機で、音質も気にせず部屋に音楽を流しまくっていた。改めて、これまでいかに己が「音楽を聴くこと」に無意識で自己満足していたか思い知らされた。世界と自分を繋いでくれると、どこか高貴なものとして音楽を過大評価していた。信仰にも近い感覚で。と、考えていたらちょうどM9「Jesus Christ 2005 God Bless America」が終わった。

ちょっと一息。アルバムも進んでM13「Nothing Revealed / Everything Denied」〜M14「Tonight (I Wish I Was Your Boy)」がスピーカーから流れてきた。

日記といっても、日々そんなに多くのことを考えてはいないし、一日中家にいると取り留めて筆を取りたいとも思わない。そんな退屈な24時間で強いて楽しみがあるとすれば、寝る前に本を読むことぐらいだ。今は今村夏子さんの作品を制覇しようと試みている。『こちらあみ子』『あひる』『星の子』『父と私の桜尾通り商店街』までは読んだ。『木になった亜沙』まであともう少し。

作品が発表された時から、すでにそのストーリーが話題になっていた『あひる』も、この自粛期間中に読んだ。なるほど、これはすごい。ありふれた描写もあるが、人物の視点の切り替えと、それらを読み手に伝える際、わずかに別の人の考えや想いが行間に散りばめられていて、一文一文読み終わるごとに“しこり”が残る。でも、その“しこり”は肥大することなく、その大きさのまま最後まで残り続けて、本を読み終わったのち、それが二度と消えることのないものだと知る。読み終わってしばらく「あの人のセリフにはどんな意味があった?」「あの描写はどこの部分に通じていたんだ?」と考えたが、そのうち、この思考の突っかかりすら満足感に変換されていき、あまり深く理解しようとすることをやめた。むしろ、今もまだ残る“しこり”を、死ぬまで大切に抱えていきたいと思っている。その“しこり”は、『星の子』でも『父と私の桜尾通り商店街』でも生まれた。嫌いじゃない、この違和感。

ここでまた一息。M16「If You’re Too Shy (Let Me Know)」で一人踊る。M18「Having No Head」で再びキーボードを叩き始める。

自粛期間を振り返ると、「規則正しい生活を送るようになった」とか「早寝早起きはやっぱり健康にいい」と周りが口を揃えて言ってくる。自分はといえば、これまでどおりの生活スタイルのまま。むしろ、やりたいことは今まで以上に”夜”になってから実行している。聴きたい音楽も、昼間一度聴いてしっくりこなくても、御天道様が沈んでから再生ボタンを押すと耳馴染みがいい。そういえば、自分が音楽を好きになる瞬間は、決まって日が暮れてからの方が多い。

大人になった今も深夜ラジオが好きだ。いや、深夜に限らずラジオが好きである。自粛期間中、NetflixやAmazon Primeも観ていたけど、昼間は本を読みながら、または仕事をしながらラジオをただただ流している。

中学時代、今はなき実家で勉強しながら聴いていたラジオ。ジャンル関係なく、好きか嫌いかの判断も後回しに、DJが選曲した音楽をひたすらRECしていた。誰かのリクエストも、そのリクエストしたエピソードと一緒にカセットやMDに録音していたと思う。シンプリー・レッドや杉山清貴、カーディガンズ、あとはチャットモンチーやRIP SLYME、BONNIE PINKなんかも”今月のパワープレイ”になっていて、そこから興味を持ったのを今も覚えている。

深夜ラジオでよく覚えているのは、『くりぃむしちゅーのANN』にどハマりしていたこと。いわゆるヘビーリスナーというやつだ。銀杏BOYZ「夢で逢えたら」が流れたら、真っ先に思い出すのはくりぃむしちゅーの2人。それぐらい陶酔していた気がする。ASIAN KUNG-FU GENERATIONや堺正章がゲストに来た回もあった。また逆に、くりぃむしちゅーが『ナインティナインのANN』にゲストとして出演した回も、今振り返ると豪華な共演だったなと思う。

あとは、今も放送されている『SCHOOL OF LOCK!』も、放送開始初期から3年ぐらいはよく聴いていた。ちなみに、それ以前にほぼ同時間帯で放送されていた『やまだひさしのラジアンリミテッド』もめちゃくちゃ聴いていた。確か番組内で嵐が5分ぐらいのコーナーを持っていた気がする。あと、ラジアンはFMとしてはかなり攻めていて、L'Arc〜en〜CielやMr.Childrenが出ると決まって下ネタを連発していた。良い思い出(?)である。

M21「Don’t Worry」からラストM22「Guys」へ。

父親との思い出は、実はあまり良いものがない。極度に厳格な人ではないが、子供の頃からいつも「女には手をあげるな」と言われてきた。「お母さんやお姉ちゃんはお前が守るんだ」とも。小学校時代は男女関係なく遊んでいて、それこそ女子と喧嘩して叩きあったりもした。先生を通じてそのことが父の耳に入ると、冬だろうが雨だろうが玄関の外に蹴り飛ばされ、鍵を閉められた。15分ぐらい泣き続けていると、知らぬ間に姉が横に座って頭を撫でてくれている。渋々家の中に入ると、父はタバコを吸いながらウイスキーを飲んでいた。自業自得ではあるが、今ならきっと問題になっていたはずだ。

友人は、あまり多くない。親友という言葉も、仲間という括りも、実はあまりしっくりこない。TVか何かで瀬戸内寂聴が「人はひとりで生まれ、ひとりで死んでゆく」と言っていた。死んでいくのは人ひとりの命なので、後半部分については確かにそうだなと思うが、前半部の方は同意しかねる。人は2人じゃないと生まれてこないじゃん。

この自粛期間、保育園、小学校、高校(中学だけ別)と一緒だった幼馴染みとFaceTimeで連絡をとった。特に連絡することもなかったが、別の友人を介してそれぞれ話題が出たことを機に話してみたくなった。もう10年ぐらい直接会っていない幼馴染みは、「友人」ではないし、ましてや「親友」でも「仲間」でもない。ただお互いを知っている、それだけだ。だけど、不思議と昔話ではなく近況報告になって、お互い社会人になった苦労なんかを話し合った。双方、山あり谷ありのようで、「俺(私)たち、頑張ってるね」と労をねぎらいあった。

「Guys」も終わりそうだ。日記も締め括りたい。だが、そんなに綺麗に起承転結を付けて終われません.....。だって、無計画で書いているんだから。

『Notes On A Conditional Form』を聴きながら日記を書いてみた。実は流れている曲に対して、話題も若干共通している部分もある。81分で書いた日記、1年後ぐらいに見返してみようかな。


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