ウクライナ情勢の背景には

「アメリカの約束違反」「ウクライナのNATO加盟を許さない」

上記は、ロシアのウクライナ侵攻の根拠として挙げられている。
プーチン大統領はなぜウクライナのNATO加盟に反対するのか。流血沙汰に持ち込むほどの訳は何か。アメリカの約束とは何か。

NATOは冷戦時代の遺物である。かつて、ソ連率いる東側の「ワルシャワ条約機構」に対抗するため生まれた軍事同盟、NATO(北大西洋条約機構)。
(現在のNATOでは主に集団防衛・危機管理・協調的安全保障の三つを中核的任務としている)
1991年12月ソ連邦が解体され、ロシア連邦が成立。ワルシャワ条約機構は91年7月に廃止された。ロシアとしては、同機構の対抗組織であるNATOの廃止を望んだはずだ。しかし、NATOは解体されなかった。

1999年、ロシアとアメリカ、ヨーロッパ諸国にとって重大な出来事が起こる。
NATOによるユーゴスラビア侵攻だ。ユーゴスラビアの中でもセルビアは、もともとスラブ人が住みロシア人とは民族的にも歴史的にもつながりが強い国。セルビアのベオグラードが空爆されたことでロシア人は「欧米はスラブの国には冷たい」という危機感を覚えた。


同年、ポーランド、ハンガリー、チェコといった、かつてワルシャワ条約機構の加盟国だった国がNATOに加盟。2004年までに東欧諸国が次々とNATOへ加盟した。バルト三国のようなロシアと国境を面する国々ももちろん含まれる。

旧ソ連邦国・バルト三国

いわば、反ロシア勢力がじわじわと着実にロシアの目の前まで迫っている。この状況下で隣国ウクライナまでもNATOに加盟しようとしている。ウクライナの政権は親欧米派(つまり反ロシア派)。

米軍が不当な侵攻や爆撃を繰り返してきた近年の歴史を振り返ってみても、ロシア政府としては黙って見過ごす訳にはいかないだろう。

もう一点、「アメリカの約束」とは何か。
冷戦時代欧州は、アメリカの支配下にある西欧と、ソ連の支配下にある東欧に分断されていた。西欧と東欧の分岐点は、ドイツ「ベルリンの壁」。
1980年代後半になると、ゴルバチョフはアメリカとの和解に動き出す。1989年、ベルリンの壁崩壊から、東欧民主化革命が起こった。しかし、ゴルバチョフは、この動きを静観。さらに1990年になると、「東西ドイツを再統一したい」という動きが加速化。アメリカは、東ドイツの実質的支配国だったソ連の指導者ゴルバチョフに許可を求めた。ゴルバチョフは、一つだけ条件をつけた。それは、

「NATOを統一ドイツより東に拡大しないこと」

アメリカは、約束した。そうして東西ドイツ統一は、ソ連の抵抗なく進められた。
この約束がすでに破られていることは記した通りである。

NATO加盟国は、30か国。そして、NATOは、「対ソ連軍事同盟」だった。ソ連崩壊後は、「対ロシア軍事同盟」になっている。「30か国の対ロシア軍事同盟」が存在している。そして、その世界最大最強の軍事同盟は、「さらに拡大しようとしている」。

これがウクライナ侵攻の背景にあるのだ。

追記
大国に挟まれた周辺国は、これほどまでに大国に翻弄され、脅かされる運命にある。地政学的位置と言えるものだろうか。大国のパワーバランスによってただひたすら翻弄される、それを彼の地に生まれた人々の運命と言えるのだろうか。

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