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マスクがとても好きなひとの話

この間マスクをして買い物をしていたら、知らないご婦人が、「いつマスク外していいのかしらね?」とお隣の人に言っていた。
マスクを外したい人は大勢いる。
私はもちろん関係ないので、静かに通り過ぎた。
まぁ、そんなもんだろうなと思いつつ。

私はコロナ禍になる前からずっと、ほぼ毎日マスクをつけて生活していた。

私は普段の生活でマスクをするようになったのは、15年くらい前。
医療系でもなんでもないが、仕事の時はほとんどマスクを着けていた。
その時は、某メーカーのコールセンター部署の勤務だった。

最初にマスクを意図的につけたのは、顔を隠すつもりだった。

会社の会議に出席していた時に、上司に「顔!」と小声で注意された。
表情に感情が出すぎていたのだ。

もともと、表情に出やすい方かもしれない。
人の顔色もとてもよく見てしまうし、相手の為に顔に出すことを癖にしてしまっていた。相手を和ませるためによく笑い、相手を不安にさせないために共感した顔をする。今でもそう。
演劇をずっとやっていたのも原因のひとつかもしれない。
とにかく顔に出てしまう。
顔だけじゃなく無駄にリアクションをしてしまうことが多い。無意識だ。

そんな自分は怒ることがとても少なく、人と争うことも大嫌いだ。
でも、その会議では、納得がいかない話が多く、私は静かに怒っていた。
それが、残念ながら顔に出ていたのだ。
上司のことが大好きだった私は、そんなに顔に出ていたら使いづらいだろうなと思い、それから意識して顔に出さないようにしようと思った。

ただ、気にしていてもやっぱり顔に出てしまう。
自分でもだんだん嫌になってくる。

そこで、対策として、マスクを手に取った。
前髪は重たくぱっつんに切り、マスクをする。
すると、ほぼ顔が見えなくなった。
勿論それでも目は見えるが、思ったよりも見えにくい。
そもそもアレルギーが多く、慢性鼻炎でハウスダストも花粉症もひどいので、かえって快適になった。

ここから、マスクは手放せなくなった。

鼻炎的な快適さだけではなく、自分にとっては、気持ちの面でもマスクはとても優秀にはたらいた。

自分があれだけ顔面の筋肉を使って表情を相手に見せていた労力が、自然と控えめになっていったのだ。これが続けば少しは顔に出なくなるかも、とも思ったが、マスクを外せば元に戻ってしまう。これまた無意識に。
でも、マスクをしていると、驚くほど無表情でいられることに気づいた。
そして、それは思った以上に仕事の疲れを軽減してくれ、人との会話への億劫さを控えめにしてくれたのだ。

私は人が嫌いではないけれど、人と接するとすぐ疲れてしまう。
それはおそらく八方美人な自分が不必要に気を使ったり必死になっているからなのだと思っている。

でも、その疲れはとても大きくて、休みの日は誰とも話したくなくなるし、時として家族とすら話したくない。
友達にもLINEやメールひとつ返すのもしんどい。
億劫どころか、本当に返せなくなるときもある。
返そうとして、何時間も考え込んでしまって、何もできなくなることも。
とにかく疲れてしまって、人と接することが嫌になってしまう。

気を使わなければ良いのだろうけれども、性格など、自己啓発本を読んだって何をしたって、そうは変わらない。
物心ついた時からずっとこうだ。
学生時代、ほぼ保健室登校だったけれど、クラスで浮かないように必死にいろんな人の顔色を見てきた。
社会人になって責任までついてきて、上司や先輩、同僚に加えて、後輩や部下も増えて、なかなかにしんどかった。

そんな自分にとって、マスクはその疲れを少しだけ、軽くしてくれたのだ。
本当に驚いた。
マスクって、こんなに楽になれるのか。


みんな、保身や防御の方法がある。
笑顔で防御する人。
結果を出して防御する人。
真面目さで防御する人。
義理で防御する人。
優しさで防御する人。
脅しで防御する人。
誇張して防御する人。
軽い調子で防御する人。
ブランドで防御する人。
ステータスで防御する人。

マスク依存症という言葉を10年以上前にも耳にしたが、気にしなかった。
私は、仕事の私に合う、ひとつの防御を見つけた。

気づけばマスクを切らさず購入して、予備をバッグに入れておくほど、必需品になっていた。

コールセンターの仕事を退職し、転職後も似たような業界で仕事を続けたが、マスク勤務は続いた。

会社の人にも、最初こそ「マスクどうしたの?」と聞かれたりするものの、「鼻炎がひどいんです」というと、そこまで詰めて聞かれることは無かった。
主に一日中PCでの業務だったので、目立つことも無かった。
マスクをしているからと言ってコミュニケーションをそこまで疎かにすることもなかったと思う。
飄々としたキャラクターで、よく喋りよくニコニコして見せていた。
仕事がそこそこ出来て、ちゃんとそこそこコミュニケーションを取っていれば、「そういう人」で成り立つくらいのものだった。

それでも、マスクを外す業務があった。
商談だ。
正直一番疲れるのだけれど、商談にマスクはいただけない。
そのくらいは分かる。
女性が少ない業界だったのもあって、武器の愛嬌でどうにかなっている部分もあった。仕方がないのだ。

残念ながら、普段の業務でマスクをしているから余計に、その落差で商談は毎回信じられないほど疲弊した。

商談から戻ると、ジャケットを脱ぐタイミングで、マスクを装着した。
酸素ボンベを付ける気分だった。


旦那さんは私が毎日マスクをしていることを何も言わなかった。

家では外していたが、毎日会社に欠かさずマスクをしていくことに、実は違和感はあったらしい。
でも、私がとても必要にしていることは感じていたようで、何も言わずにいてくれた。


こんな生活を十年以上続けていた中でおとずれた、コロナ禍。
私は、世の中からマスクが無くなった時に、最初に軽く絶望した。

マスク生活が世の中で当たり前になってから、気づいたことがあった。

マスクしてたら、相手の顔は見にくいけど、衛生的じゃない?とか。
相手の顔色見ても見にくいから、前より気にしなくなったところもあった。
相手がマスクをしていても、私にとっては結構嬉しいことが多かったのだ。

ただ、これは仕事の時の私の感想でしかない。

ちいさい子がずっとマスクをつけているのも辛そうだし、お年寄りだってしんどそうな人が多い。健康な人だって。
思った通りに、世の中は私と逆で、マスクが辛い人の方が圧倒的に多かった。

仕事以外では自分もマスクはしていなかったので、マスク会食なんかは勿論面倒だなと思ったりもしたし、マスク警察なる過度なマスクへの世間の反応にもうんざりした。
お年寄りとお話するときに、口元が見せられなくて言葉を伝えにくいし、その逆もしかり。
おまけに、遠征はできないし、握手会やライブのイベントも無くなるし、イベントがあってもマスクでお顔は見えないし、なんて、コロナ禍へのよくある不満を抱くことも多かった。

でも、仕事中はやっぱりマスクが、頼りだった。
私だけなんだろうか。
マスクをしたいと思うのは。
そんな気分になっていた。

そんな中、旦那さんがポツリと言った。
「マスクして仕事すると、すごい楽だよな」

何がとは言わなかった。

私と同じ人が、こんなに身近にいたことにとても驚いた。
そして、だから私を分かってくれるんだなと感じた。
同時に、私と同じく、疲れてしまう人なのだとも。
良くないところが、似ている。

私は、この防御が、とても愛しくて、大事なのだ。

そしてこれは、きっと私以外にもいる。

私は現在リモートで仕事をしているが、それでも、またきっと対面での仕事になったら、マスクが欲しいと思う気がする。


いよいよマスクを外す方向に世の中が動き出してきた昨今。
きっと長い夜が明ける思いで、晴れやかな気持ちの方が多いだろう。

もちろんコロナ禍であることは変わらないので、まだまだ油断ならないと慎重な方もいらっしゃる。
それでも、マスクを外せるという方針は、たくさんの方の気持ちを軽くしてくれると思う。
友人の子どもがマスクを無理につけなくても良くなることを想像すると、こんな私だって嬉しく思うのだ。

その一方で、医療系勤務や介護系勤務の方、慎重な方、もともと体が弱い方、アレルギーや喘息などの方、いろんな方がこれからもマスクをつけ続けている。

時には私のような、マスクを心の頼りにしている人なんかも。

きっとマスクを皆が外して、健やかにこの社会を行き来するようになった中で、私はもちろん関係ないので、マスクをしながら、また静かに通り過ぎる。
まぁ、そんなもんだろうなと思いつつ。


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