金の切れ目が縁の切れ目

本日は2024年3月21日。世界のスーパースター大谷翔平選手の通訳である水原一平さんが賭博の罪で所属球団のドジャースを解雇されたという報道でにぎわっている。
正確な内容は把握していないのでそこはどうでも良いし「賭博は良くない、けしからん」と言うつもりもない。ただ、「バクチくらい自分の甲斐性でなんとかしてくれよ」という思いはある。

私は麻雀を中学時代から始めて高校時代の終わりからフリー雀荘に行っていたこともあるのでいわゆる賭け麻雀はかなりの頻度で楽しんでいたことがある。もう時効だから良いでしょう。(良くはない)

高校時代は同級生の家に通い千点10円のレートでよく打っていた。たまに奮発して30円、次第に刺激を求めて半荘毎に牌の1p~5pを裏返してラスがその中から1牌引いてレートを決めていた。ちなみに1p=10円。5pが出現したら金額以上にラスの落胆した表情を見て爆笑していた。

当然のことながら麻雀をしていたのは同期の中でいくつかのグループがあって、そこには何となくヒエラルキーみたいなものがありそれぞれ不可侵的な雰囲気のなかしばらくは交わることはなかった。共通の友人がいたので私はレートやメンツ構成等の基本情報は交換しており高い場だと高校生の分際でテンピンだと聞いていた。しかもそのブルジョア達は正月のお年玉をもらった直後はデカピンでやったらしくめちゃくちゃ興奮したと言っていた。リーチ棒の代わりに千円札出してみたとか言って笑っていいのかわからないことも言われて当時の私は何となく途上国の平民のような劣等感を味わわされた。

しかしどこのグループも特定の負ける人は決まっておりチームブルジョアの中の負け役は夏休みや冬休みの長期休暇を利用してアルバイトして負け金を工面していた。私の所属していたチーム平民も例外ではなく負け役と勝ち役がたいてい決まった来ていた。私は毎回勝っていたとはいえ私のグループは低レートだったのでせいぜい買い込んだおやつ代や弁当代がチャラになるくらいの可愛いモノだった。しかし毎回勝ち役と負け役が決まっていると定期開催していた場がなんとなくマンネリ化して私はよそのグループにも興味を持ち始める。そして私は高3の春にチームブルジョアに殴り込みをかけた。

そこに行って知ったのだがブルジョア達は別に親が太いボンボンではなく、それぞれプライドを持ってしのぎを削っていた。アルバイトして借金返済していた負け役でさえ自身の麻雀に自信を持っていた。いや、死ぬ程負けといてどんだけ鈍感なんだよとは思ったが。

この負け役をKとしよう。Kの麻雀は一言でいえば弱いに尽きる。リーチをかけたらたいていリーチピンフのみの2000点。なぜか毎回ドラはなく愚形の1300や2600リーチは状況を問わずリャンメンになるまで待つ。恐らく一人18巡までしかないことを知らなかったんじゃないかと思う。そして放銃する場合は打点が高い。何しろドラ無し愚形のままでもゼンツなのだから人の捨て牌すら見てなかったんだと思う。なんと地元の高校屈指のハイレベルと思われていたブルジョア卓の実態はひたすらKからむしるだけの場だった。

ブルジョア卓の勝ち頭はJという校内では目立つグループの一員でもあり後輩にも人気があるいわゆる人気者だった。要領も良く学際等のイベントでも非常に目立っておりクラス委員もこなす一面もあった。しかも麻雀の実力もトップクラスという評価があってJ自身もそういう自覚があるせいか発言や所作にそれが垣間見えた。陰キャだった私は俄然燃えた。特にいがみ合う間柄ではなかったがこんなヤツに負けるわけにはいくまいとかなり対抗意識を燃やした。

当時の私は雀鬼桜井章一に傾倒しており第一打に字牌を切らずテンパイするまでドラは切らないというハンデをハンデどころか20年間無敗の戦術と信じており頑なにそれを守っていた。そして「麻雀オリてちゃ勝てねぇよ」の雀鬼のセリフに痺れた私は滅多にオリなかった。今思うとよくこんなんで立ち向かったなと感心するくらいだが内心とにかく負けたくなかった。ちなみにフジテレビで割れ目でポンが放送され始めてハギーの小手返しにも魅了されていた。みんな出来もしない小手返しにハマっており、しかもあんまりしつこくカチャカチャやるもんだから上家下家の小手返しは丸見えだった。今思えばそんな中でも私は部活引退後、勉強もせず近代麻雀を読み漁って麻雀に励んでいたので牌効率だけはしっかりしていたせいか互角以上に渡り合っていた。むしろ夏から秋くらいにかけて私は完全に勝ち組に転じていた。雀鬼流というか雀鬼風の私がだ。それくらい周りのレベルは低かったということだろう。

想定外の出来事で途方に暮れていた進路の件で精神的に弱っていたせいかJも負け始めチームブルジョアは月末清算の帳面麻雀になっていった。Kはもちろん筆頭負け頭だったのでKの借用書があちこちに出回り始め小切手のようにKの借用書で清算する人も出始めた。進路に関しては浪人前提で開き直った私ともう一人の秀才が勝ち始め借用書がこの2人に集中しだした。何となく格付けが済んで気を良くしていた一方でJの借用書を持っていた私は対応に困った。JはジャイアンみたいなキャラではないがなぜかJには誰にも強く言える者はいない。私も催促することで場の雰囲気が悪くなることを恐れて何も言えずにいた。結局Jは勝った時だけは負けた人から勝ち金を回収し負けた時は借用書を切る、麻雀放浪記の作中で坊や哲は勝ったら容赦なく取り立て負けたらトンズラするという戦後のどさくさで使った手法をJは平成の時代に忠実に再現したのだった。恐らく私以外にもJからきちんと清算してくれた人はいなかったと思う。やがて卒業と同時に私とJとの付き合いも途切れた。

時は経ち紆余曲折を経て私は地元に帰ってきたが当時のメンツで麻雀をすることもなくなった。年に1~2回くらい懐かしい友人と酒を酌み交わす程度の付き合いだ。昨年末、ふとしたきっかけからごく少数ながら同窓会のような集まりがあり高校時代に話したことのない人とも交流した。なぜかこれが呼び水となり先日、高校卒業以来20数年ぶりにJと再会することになった。Jは両親の都合で実家が地元にはなくなったため仕事で近くに寄るタイミングで集まることになったのだ。

Jは現在会社役員だという。ファッションセンスは昔から尖った感じだったので私なら絶対に着ないベージュのスーツに身を包んでいた。思わず教師ビンビン物語のトシちゃんかよ!と言いたかったがやめておいた。業種は町興し関連のコンサルだという。軽く話を聞くとどうも儲かる絵図が見えなかったが会社役員という肩書きには満足している様子だった。一応当日の会合は少数ながら高校時代の同窓会の意味合いが濃かったがJは出張に同行していた一回り年下の女性アシスタントもそこに同席させていた。彼女にとって面識のない中年のオジサンオバサンに囲まれる飲み会はさぞつまらなかったと思う。Jは話すセリフの端々に自身を大きく見せるような言い回しをしていて私はなんとなく印象悪く感じた。

やがて閉店の時間が近づきお会計となりテーブルチェックではなくレジで支払いのため私は伝票を持ってレジに向かった。もう一人地元の男友達(ブルジョワの一人)とひとまず支払おうとしたところ遅れてJも来た。私は内心(Jは自分が連れてきたアシスタントの分は負担する旨申し出るだろう)と思ったが当日参加したJ含めた男3人で等分するつもりだった。途中あれだけ大きいことを皆の前で言っていた手前こちらが一方的に出すと体裁が悪いだろうと思ったのもある。ところがJは「全部で〇人だから一人いくら?」と聞いてきた。私はなんとなく察した。元ブルジョワの男友達も同じ心境だったのか黙って財布から諭吉を数枚出したので私も諭吉を出して大きい分を二人で出すように調整した。元ブルジョワの男友達は「残りの2千某円はお前出せよ」とJに伝えた。

後からレジにて来た女性陣が「私も払うよ」という申し出を断っていると背後でJの「領収書ください」という声が聞こえた。会計の一割にも満たない額しか出さないJはなんと全額分の領収書を切ったのだ。後日自分の会社でこの分を清算するのでこの日の夕食はなぜか時給換算で1万円を超える収入だ。とんでもない錬金術師だ。私は不正な臨時収入に利用されたような後味悪いような気分になった。

Jにとって人間関係よりも目の前の小銭の方が大事だったのだろうか。そこまで考えてはないかもしれないし、あるいはライフハックは使わなきゃ損くらいにしか思ってないかもしれない。その場を取り繕い自分だけは得をするという思考は高校時代から変わってないんだなと私は感じた。

「年内に札幌のホテル借りて大々的に同窓会しようぜ。そん時は幹事やるよ」とJは豪語していたが、あの日の夜のように会費を水増しして懐に入れる算段なんだろうと思わずにはいられなかった。

私は一度の飲み会で数万円使うことに何の抵抗もない。歳を取るとなかなか気心知れた仲間と共に過ごす時間が持てないので旧友との飲み会自体がとても貴重だ。それこそプライスレスというものだろう。しかし騙されたり価値のないモノに出すお金は100円だって惜しい。そんな私の価値観が絶対正しいとは思っていないが過去の卑しい行いも相まって残念というか虚しい気持ちになった。

6億数千万ものお金を費やした水原さんと肩代わりした大谷選手。水原さん使い込みの背景には肩代わりしてもらえる公算のある大谷選手の存在があったからかもしれないし、あるいはそれを狙った知能犯が暗躍していたかもしれない。

信頼関係はお金では買えないけどお金がいくらあっても信頼関係は破綻するものなんだなとなんとなく自分の忌まわしい思い出と重ねたりした。

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