社会人大学日記


 私は久々に完読をした。普段はその本の結末や意図していることがわかったらやめてしまうことが多い。作者には申し訳ないがそれは悪いことと思っていない。(でも8割以上は読んでいる)
その完読した本というのがオードリー若林さんが書いた
「社会人大学人見知り学部卒業見込み」という本だ。以前から連載していたエッセイのまとめた本だった。
エッセイだからその本の細かな詳細は見てくださいとお伝えするのが1番手っ取り早いし、面白いので読んで欲しい。
その中で僕が興味を惹かれた言葉を説明します。
それはディヴ(分人)という言葉だ。
恋人といる時の自分、会社での自分、両親の前での自分、友人といる時の自分と、人には様々な自分がいて、その分けられた一つ一つの自分をディヴ(分人)と呼んでいた。キャラという言葉よりは操作性がなく、対人関係や居場所によって自然と作られる自分がディヴだ。
その言葉とは逆に「自分は自分」と執着しているのは子供だという文に私はドキッとした。ディヴは本当の自分に嘘をついている訳でも、無理をしている訳でもないということ、自分の意見をTPOによって変えることに対しての罪悪感を持たなくてもいいような気がして気持ちが楽になった。
この世の中は裏表がある人を良く思わない人が多いと思う。私自身も裏表が激しい人だよということを耳にすると構えてしまうところがあった。
だが裏表という表現をするのではなくディヴ(分人)と表現することでTPOに対応していて付き合いの上手い人なのだと思える様になった。単に表現方法が異なるだけかも知れないが言うなればディヴを自然と上手く使えている人はどんな場面においても対応が上手い人なのだなと。ということは、裏表がある人が同じ様に使い分けが上手い人なのだと。裏表があるということは素晴らしいことだと思えた。
本当に物はいいようだなと思った。
今後は裏表という比較的マイナス要素な言葉のを分人(ディヴ)と置き換えられたように、マイナス、ネガティブ発言に対して色々な面で言い方を私なりに変えて捉えてみようと思う。
そうしたら人の嫌なとこも全て理解できる人に近づける気がするから。

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