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間隔



駅前の高架下。信号待ちをしている間、会話が途切れた。信号が青に変わり横断歩道を歩き出したら、もうこれが最後なんだと思った。わたしはどんどん心臓の辺りが苦しくなって、水面で息継ぎをする弱った熱帯魚のように、すぅと息を吸い込んで、まだ帰りたくないと口にした。途端に心の中がザワザワし始める。横断歩道を渡りきる僅かな時間、とても蒸し暑い夜。何かがぐにゃりと狂う寸前。

改札に辿り着くと、わたしは正気を取り戻し、改札内に入ることができた。ほっとした気持ちと、残念な気持ちが入り混じる。なぜなら、ずっと。待ち合わせ場所で再会した時からずっと、彼に触れたかったから。路地裏にはホテルがある事を知っていたから。でも誘う勇気は出なかったから。その全てに、おそらく彼は気づいていた。

彼は「会いたい人に会って、食べたい物を食べて、欲望のままだ」と言い、わたしは「欲望のままに生きて何が悪いの?」と目を合わずに応えた。欲望のままに生きられたら、どんなに良いのだろうか。わたしは、泣いたって帰りたくないと駄々をこねたって、欲望のままには生きられない。

当たり前のように、同じ夜を何度も繰り返す。横断歩道の白線の間隔と同じように適当な距離が保たれて、それがずっと。




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