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自業自得と学び直し

ちょっと前のこと、とある方が三角関数は使ったことないから無駄、それなら金融とか投資について高校で学ばせるべき、とTwitterで吹き上がっていたのが話題になっていた。まあこの話題に関してはよく繰り返されることで、ほかには古文とかも同じように時間の無駄のごとく槍玉にあげられる。(Twitterの流れは循環していますので、今後も同じやり取りがなされるので、その是非については全く興味はありません。サイゼみたいなものですね)
そんな中、実は三角関数ではなく三角比のこといってるんじゃね、みたいな話になっていて、恥ずかしながら自分も密かに「三角関数はこう……あれじゃん、目標までの直線距離と、ここから見る角度が分かれば……高さがわかるわけじゃん。」とか考えていたので、あ、自分も混同してる!と愕然とした。
というのも、通っていた高校の都合で、実は三角関数はおろか三角比までしか習っておらず、微積分も存在だけ聞いたことがある程度で習っておらずで、自分の数学的知見のなさがちょっと恐ろしくなった。
世間にでて恥をかかないようにするためにも、何でも学ぶということは大事だなぁ、明日は我が身と捉え、あんまりいらんこと言わんようにしたいなあと改めて心に刻むこととなった。

そもそも自分には若干の学歴コンプの気があるのは自覚があり、その根本が大学進学を諦めた……というかその気がなかったというところにある。
当時は大学進学率でいえば全体の50%に満たない程度で、ようやく一般的になってきたかな、という具合だったと思う。(2021年では54.9%)
高校自体が商業高校ということも相まって、一般入試ではなく基本的に大学進学は指定校推薦ないしは推薦のみ、就職するか、さもなければ専門学校に進学するのが一般的な姿だった。
自分はどうだったかと思い返すと、まぁまぁ変な意識みたいなものがあって、大学に進学するとなると推薦のみ、周りは普通科からあの厳しいという一般入試を通ってやってきた優秀な者たち。もちろん(前述のように数学なんかは本当に遅れていたため)前提知能には大幅な差があり、肩を並べて学ぼうと望むものならこれまでの比ではない努力をしていかなければならない。その覚悟が本当に俺にあるのだろうか、いやない(反語)。もしも大学にいきたいなら一般入試でいかなければならない、そうでなければほかの人たちに申し訳が立たないしそんな資格はないのだ。
大学に行くということは、すなわち学問を修めるために行くのだ。決して社会に出るまでのモラトリアムの延長のためではない。そもそもとして、そこまでして学問するつもりがお前にあるのか。
そもそもうちは裕福でもなんでもない、いくなら国公立以外ありえないし、それでもずいぶんな費用が掛かることは明白だ。姉はすでに専門学校に進学しているし、ここでさらにその費用を上積みするのか、まだあとには妹も残っている。さりとて奨学金は貰えるだろうがこれは借金だし、給付制度には引っかからないだろうし。進路担当の先生にはちらっと京都とか住んでみたいとかいったら、そっちの大学の推薦も書けるとか言われたけど、そうなると費用が等々と様々なことを自問した。なんだかんだと理屈をこねてもたぶん勉強することに嫌気が差していたのだろうというのはある。それぐらい目標がなかった。
「働きながらでも勉強はできます!」とかキエル・ハイムのようなことをぬかして今のところに就職することとなり、はや十数年。その時の気味の悪い意地と判断は大きく間違っているのは言うまでもない。働きながら勉強できる人は確かにいるけど、自分はできない人でした。おしまいです。無理無理、無理ですよ。

とどのつまり、大した志もなく手ごろな大学に進学し4年間遊び惚ける架空のモラトリアム野郎を内心で激しく見下して、そうはならんと意地を張った結果がこの体たらくというわけだ。
働いてしばらくしてから、地元の国立の夜間に通うという選択肢は確かにあったのだけれど、若いころはまだその意地が根を張っていて、そのうえ時間を捻出することも難しく……というより自分を厳しい立場に追い込むことを嫌がっていて、それも叶わなかった。今思えば少しでも無理をしてチャレンジすべきだったなあ。

そんなことがあって(そればかりではないが)、最近は「学び直し」について少なからず考えるようになってきた。
学位取得して学歴更新がしたい、ということではもうなく(今更だ)、単純に学ぶということをまたしたくなってきている。
地元の大学の講座とか、それこそ放送大学とか、選択肢は色々と広まってきている。そうしたニーズが増えてきたというのもあるし、国としてリカレント教育を推進していることもあるから、今は意欲があればいくらでも可能になってきた。
……それにも結局は費用が掛かるんだよなあ、時間もかかるんだよなあ。やるなら今の仕事に関係することにしないと、何のためかもわからないし。特に費用がなあ、結婚してからというもの、稼いだ額の1%も自分のためには使えてない以上、特に仕事上のインセンティブが発生するわけでもない行動のために捻出できる余裕があるわけでもなく。様々な事情で今後もしばらく、ざっと10年程度は息継ぎも難しいだろうなあという先の展望を考えるとこれもまた行動することができない。
何かを始めることに遅すぎるということはない、という後押しになる言葉はあるのだけれど、何でもかんでも早ければ早いほうがいいのは間違いなくて、遅きに失すればそもそも始めることがそれだけ難しくなっていくのが現実だ。
もし何かやりたいことがあるなら、できれば身軽なときに何でもやってみることをお勧めしたい。
Twitterのよくある話題で、そんなことを考えて今後のわが身を思い若干の諦観を抱きつつ。

いやぁほんとうに、何かしていたいっすね。何か。

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