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「母のこころ」 短編小説 中西伊之助著

プロレタリア作家ー中西伊之助の短編小説「母のこころ」を紹介したい。



小作農の作兵衛はとう⌃死んだ。全く、彼は、とう⌃死んだのだ。……
 たれでも、最後は死である。それを疑ふ人は、たれ一人もない。だが、作兵衛ほど、安楽に死んだ人はないだらう。彼はありふれた言葉で表現するならば、『眠るが如く死んだ』
 が、彼がその眠るが如く、なんの苦悶もなく死んで行つたのには、かうだ。彼は七十一にもなつて、まだせつせと―それはまるで小説の作りごとのやうに―野良に稼いでゐたのだが、ある日、ぐつたりと疲れてかへつて来て、今日は、おしきせ(と彼の国では云ふ)の一合の晩酌もいらぬと云つて、すぐ寝床にはいつていたのだ。朝になつて、彼が起きて来ないので、彼と仲のいい彼の孫の庄作が彼の寝床に起こしに行くと、彼は冷たくなつていたのであつた。庄作はびつくりして、それを母のお徳に知らせた。お徳は、煤で真黒くなつた土瓶を、大きい弁当袋と共にさげて、これから、彼女の夫が暗いうちに出かけて行つた野良へ出て行かうとしてゐるところであつた。そこへ庄作がとび出して行つて、祖父の作兵衛が、冷たく、硬くなつてゐると、あわただしく告げた。
 『ふん、それはまあ⌃よかつた……。』
 と、お徳は、あまり悲しさうな顔もせずに、はんたいに安心したやうに云つて、溜息をついた。
 『あんなに働かはつたおぢいさんやから、ええところへまゐらはるやろ、お天道さんも、もうそれなら罰も当てはらへんやろ、…』
 庄作の母のお徳は、さう云つて、また吐息をした。が、やはり、彼女の顔には、まだなんの悲しみも感じてはゐなかった。むしろ、深い安心と祝福の色さへ漂つてゐた。作兵衛は、お徳の実父で、彼の夫は養子であつた。その実父が死んだのに、彼女は、さう云つて、父を祝福してゐるのだ。それはなんとしたことだ? 十六になつたばかりの庄作には、母親の心が解らなかつた。小学校で、忠孝の教を小さい頭脳へほりつけるほど聴かされた彼は、母親が外道のやうに思はれた。
 『おぢいさんはな、貧乏するのは天道さんの罰があたつてゐるのや云うて、お天道さんがまだ東の山に出やはらん三時間前に起きて野良に出やはつた。そして、天道さんが西の山におかくれになつてから三時間も働いてゐやはつた。わしたちが、それでは体がつづかん云うたけれど、おぢいさんは却々きかはらへん。あんなに働いて、菜つ葉ばかりたべて生きてゐるより、死んだ方が楽や…』
 お徳はさう云つて、『お前、早よ行つて、お父さんをよんでおいで、おぢいさんも楽にまゐらはつたとな…』
 そしてお徳は、持つていた土瓶と弁当を下に置いた。『死ぬのなら、もつと暇な時がよかつたんや、今死なれては困るけど….しかし、さうもいかんやろな…』
 彼女は、さう云つて、やつと、涙をはら⌃と落した。―その時、庄作は、母の心がわかつた。

(新潟県に於ける日本農民組合の争議の
         勝利を祈祷しながら、一九二六、六、六、午前三時半稿)


プロレタリア作家・中西伊之助とは?
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-09-19/ftp20070919faq12_01_0.html










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