怒りは正当な感情

怒りは正当な感情、という話を精神科のマンガで書いた。
自分の権利が侵されていると思った時に、怒りを表明することは、自分を守ること。
依存症の人は、怒りを悪だと思いがち。(最初に怒りを持った相手が親だからではないか。)
怒りをなかったことにする代わりに、なにかに依存する。

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いまの世の中自体がその状態ではないかと思う。
自分も含めて。

「怒り」に対してどこか引け目がある。
政府への怒り方を知らない。学校で習ったことない。
自分に人権があるという感覚がよくわからない。
ツイッターで怒りを表明している人を見て、疲れる。不快感がわくときもある。
「アンガーコントロール」とか怒りの表出には未熟なイメージがある。和を乱すこと。

でもヤマシタトモコさんとかいろんな人のツイートを見たり、
電話で友達とアベの動画について喋っていたら、
やらねばという気分になってきて、政府へ意見メールを送った。
メールを打ってたらどんどん怒りが出てきた。
やっぱり「動く」って意味があるんだなと思った。
動くことで、自分の感情が生まれてくる。
夫には「意味ないでしょ」と笑われたが、やらないよりはいいだろう。
意見が溜まってきたら、「え…」って多少はなるでしょ。

精神科の中では、正当な怒りを出せないということは、病んでいるということ。
国=家族、政府=親、国民=子どもだと例えれば、
親(政府)に怒りを出せない子ども(国民)は、病んでいるということなのかもしれない。
世の中にはいろんな立場の人が当然なのに補償がない。命がかかっている。文化も守らない。

権利を侵害されているのに、ないことにする。怒れない。自分を守っていない。

戦争のときも、軍のおじさんたちが突っ走っておかしなことになった。
今も、似てないか?変わってないんじゃないか?って話を友達とした。

あと、怒りに対して嫌悪感を示してるツイートを見て、
日本って貧富の差がすごいんだなと改めて思った。

引き続き考えよ。

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